Episode.5-4:彼女の思惑と最期の思い出

「っ!!」


 その少女に語りかけるために名前を呼ぼうとした瞬間、頭がかち割れそうなほどに強い頭痛が俺を襲った。思わず両手で抱え込むようにして頭を抱え思い切り尻もちをつく。その際、俺の背後にあった部室のドアに思い切り衝突してしまい、鈍い音が教室内へと響く。


 .....................やがて、頭痛は治まる。おそらく、すべてを思い出してしまうための副作用のようなものだったのだろう。どうやら、華菜さんの作戦は成功したらしい。


「詩遠、先輩.........」


 椅子に座り見下ろすようにして俺を見る彼女は、口をわなわなさせながら大層驚いた様子でそう呟いた。


「ああ、紫水。久しぶり......というほどでもないか。少し前にも一度、ここで会ったよな」


 亜空間。前回ここで紫水と会ったときに彼女が口にした言葉。おそらく、今回も同じと考えて問題ないのだろう。ゆっくりと腰を上げて、俺は自分の定位置へと向かい腰を下ろす。


 .....................。


 俺は紫水を見つめ、彼女は床を向くだけで、互いに口を開かぬまま時間が過ぎ去る。そういえば、前も時間制限が云々で俺は退場させられたんだったか。おそらくこいつが簡単に口を割ることはないだろうし、俺からアクションを起こさねば。


「.........なあ、紫水。単刀直入に言うぞ。俺は、お前をここから連れ戻しに来た」

「......っ!」


 紫水は明らかに動揺した様子を見せる。だが、まだ口を開かない。


「まあ、少し語弊はあるがな。ここへ来たのは『忘れてしまっていた何かを思い出す』ためだが、すべてを思い出し、かつ紫水がここにいるんだ。こんな好条件はない」

「...............」

「前紫水に聞かれたときは言い淀んでしまったけど、もう迷わないぞ。俺は悠姫じゃなく、紫水を選ぶ」

「................んで」


 ぽつりと、まるで雨の降り始めかのように彼女の言葉は口から零れ出す。


「なんで先輩は、そういう事を言うんですか.........?」


 本格的に降り始めた紫水の言葉は続く。


「私は、先輩のことを想っているからこそ、良かれと思ってやったのですよ? 役立たずでダメな後輩が唯一できる、最初で最後の恩返しがこれなんです。それをも、先輩は否定すると言うのですか.........?」


 何かを訴えかけるかのように、紫水は俺の顔をじっと見た。ここまで卑下されるとなんとも言葉を言いづらくなるが.........でも、それでも言わなければならない言葉も存在するのだと、自分自身を鼓舞する。


「ああ、否定するね」

「っ!?」


 紫水はとても哀しそうな顔を見せた。しかし、そんな彼女をよそに俺は言葉を続ける。


「『役立たず』ってのは、誰が決めることだ? 自分か? 違うだろう。俺の役に立っているかどうかを決めるのは、他でもない俺だ。

 そんでもって、俺が紫水を役立たずだなんて思ったことは一度もない。.........紫水が覚えているかは分からないが、お前だって、俺の隣を歩きたいと言ってくれていたじゃないか」

「............ええ、それはよく覚えていますよ。あのとき、心の底から嬉しかったんです。先輩が、大好きな先輩が私を必要としてくれていると言ってくれて。......隣を、歩いてほしいと言ってくれて」


 一瞬優しそうな目をする紫水であったが、すぐに逆接の言葉を紡いだかと思えば、またもや哀しそうな表情を浮かべながら続ける。


「でも、あなたは悠姫先輩という大きすぎる存在を一向に忘れることができなかった。

 確かに、あれからはそれまで以上に私と詩遠先輩の関係は深くなっていったと思います。けれど、それは詩遠先輩から悠姫先輩を引き剥がすまでには至らなかった。......まあ、それも今考えれば当たり前のことだったんですけどね。

 当時舞い上がっていた私は、そのことにふと気がつくと、その感情が地の底まで落ちてしまったのです。......そして、ようやく自分がどうすれば一番あなたの役に立てるかに、気づいたのです」

「............それが、自分の身体に悠姫を宿すということだったと?」


 こくりと、紫水は黙って頷く。

 ............思わず、自分の不甲斐なさに溜息が漏れそうになる。俺は何度人を悲しませれば気が済むのだろうか。


 確かに、彼女の言葉について思い当たる節があった。『紫水に悠姫を求めていない』という言葉は心底からの言葉であったが、そう思っていた上で、いつも何処かで悠姫の姿を求めてしまっていた。隣にいてくれる紫水に目を向けるフリをしながら、俺は後ろを向き続けていた。本当に今更ながら、自らの愚かさをひしひしと感じる。


「やっぱり、紫水は役立たずなんかじゃないよ。そこまで俺のことを想ってくれる人間に『役立たず』だなんて、口が裂けても言えない。......本当の役立たずは、そんな唯一の後輩のことを何も分かろうとせず、いつまで経っても過去を見続けてしまっていた俺の方だ」

「いえ、先輩のことを振り向かせることができなかった私が——」

「違うよ」

「えっ......?」


 紫水の言葉を遮るようにして、彼女の言葉を否定した。呆気にとられる紫水をよそに、俺は言葉を続ける。


「紫水はきっと勘違いをしている。多分俺、悠姫と居ても前を向けないと思うんだ。今度は、消えてしまった紫水の影に引っ張られてしまう」

「そんなこと、あるはず無いじゃないですか。私は先輩たちから忘れられたのですよ?」

「じゃあ、なんで俺がここに居るんだ? ......偶然だとでも思うか?」


 それに対し紫水が言葉を返さなくなったと思ったら、急に目を伏せたまましゃくり上げて涙を見せた。ここで泣くのは完全に想定外であった。驚きを隠せぬままにどうしたんだと声を掛ける。彼女は、泣き止むのを待たぬままに答えてくれた。


「.........それじゃあ、私.........やっぱり何も......役に、立ってない......じゃないですか」

「...............」


 『自分では環詩遠を振り返らせることができない』と感じた彼女は、自らの身に悠姫を宿し俺の役に立とうとした。だが、それすら無意味だと俺は真正面からストレートに伝えてしまった。.........まだすべてを伝えてはいないとはいえ、泣かれても仕方がないか。それも、自責思考の強い彼女のことだから、余計に。

 もはや言い訳に過ぎないかも知れないが、俺は言葉を続ける。


「自分で言うのも恥ずかしいんだけどさ、俺、十数年と付き合いがあったのに悠姫のこと全然知らなかった。でも、今回の件でそれを知れた。そして、後ろを向き続けていた原因である、ずっと言えなかった言葉も言えた。これは、紫水が居なかったら絶対にできなかったことだ」

「.........私、役に立てたんですか......?」

「ああ、今回のことに限らないけど、紫水には本当に世話になっている。感謝してもしきれないよ......」

「そう、ですか」


 俺の言っていることを分かってくれたのか、はたまた一向に折れない俺にこれ以上何を言っても無駄だと判断したのか分からないが、紫水はそう言ったのを境に泣き止んだ。


 少しの間、二人の間には沈黙が佇む。まだ言いたいことが沢山あったが、不思議と先程のような焦燥感は感じておらず、俺はゆっくりと言葉を選ぶ。

 そして、十数秒後、口を開いた。


「.........本当に自分勝手だということは承知の上で、お願いしたいことがあるんだけど、いいかな」


 紫水は黙って首肯する。


「.........俺の隣を、もう一度歩いてはくれないだろうか。さっきも言った通り、このまま生きていても、今度は紫水の影を求めて後ろを向いてしまうと思う。悠姫ともそうだったように、まだ紫水とやり残したことが、いっぱいあるんだ」

「............私も、先輩とやりたいこと、話したいこと、いっぱりありますよ」

「そうか。だったら.........」


 しかし、彼女はそれ以降口を一文字に結んで一向に開こうとしない。

 一瞬にして変わった彼女の様子におかしさを感じた俺は、その原因を探す。すると、ふと一つの可能性が頭に浮かんだ。そうか、まあ、そうだよな。俺の言葉を信じられない原因を作ったのは他でもない俺なんだから、その尻拭いも俺がしなくてはならない。


「俺は一度紫水を裏切ってしまった身だ。今更言葉ひとつで俺を信じてくれ、だなんてことは言えないよな。............一つだけ、紫水の言う事を何でも聞く。それと引き換えに、紫水も俺の言葉を信じてくれないか。さあ、何が良い?」


 不快だから死んでくれ、と言われれば本当に死んでやる。それほどの覚悟で俺は紫水にそう問うた。しばしの間彼女は考え込み、やがて俺の目を見て、口を開く。


「............悠姫先輩とこれからも仲良く過ごしてくださいと言ったら、どうしますか?」

「.........紫水も意地が悪いな」

「じ、冗談ですよ! そんな哀しそうな顔しないでください」


 手をブンブンと振って慌てて言葉を取り消す紫水。正直な話、内心かなり焦った。『死ね』という言葉よりもいやに現実的で、彼女が本当に口にする可能性もなくは無いと思ったのかも知れない。


 紫水は仕切り直しだと言わんばかりにわかりやすく咳払いをし、少々顔を赤らめながら、ゆっくりと口を開いた。


「それじゃあ、キ......キスを、してください」

「そんなことでいいのか?」


 先ほどの要求と比べてかなりハードルが下がったために思わずそう口にしてしまったのだが、あっけらかんと言う俺の態度が気に入らなかったのか、先ほどまでの頬の紅潮を完全に消し、少しばかり不機嫌そうな表情で言葉を返す。


「む。『そんなこと』ってなんですか。さすが彼女持ちの先輩です、余裕が違いますねえ。

 .........私のファーストキスをもらってください、と言っているんです。先輩と、私との、最後の大切な思い出を、私にくれませんか?」


 そう言うと、彼女は俺に有無も言わせぬままにそっと目を閉じる。

 今度こそ、何を問うても口を一文字に結んで絶対に開かなかった。もはや何かを考えることの無意味さを悟った俺は、少々戸惑いながらも着席している椅子ごと彼女の方へと近づく。すると、紫水は目をより強くつむり、その肩は自然と上がってゆく。よほど緊張している様であった。


 そんな緊張をほぐさんと、紫水の両肩に手を置く。一瞬だけピクリと肩が跳ねるも、徐々に平生の位置まで下がっていく。


 心臓が早鐘を鳴らしているのを感じながら、ゆっくりと顔を近づける。もはや互いの息さえ触れ合ってしまうほどの距離まで近づいたとき、一瞬だけ躊躇いの間が生まれるも、俺はそこから一気に彼女と唇を重ねた。


 紫水の唇は柔らかく、それでいてとても温かい。少し落ち着いたとはいえやはり緊張は続いているようで、彼女の身体が小刻みに震えているのを身体で感じる。そんな姿が、何処かとても愛おしく思えた。


 数秒後、ゆっくりと唇を離す。紫水は次第にまぶたを開け、そして、頬をりんごのように紅潮させながらも、とても嬉しそうに微笑んだ。


 紫水からこの願いを聞いたときは、もしかしたら自棄になってしまっているのではないだろうかと思ってしまっていたのだが、そんな笑みを見て馬鹿馬鹿しい考えだと思った。


「ありがとうございました、先輩」


 彼女はとても温かい声音で告げる。礼を言われるようなことは何もしていないのだが、紫水がそう言うのであれば受け取ってあげよう。

 しばし二人は、何をするでもなく、口づけの余韻に浸っていた。

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