Episode.5-2:募る違和感

「ねえ詩遠、帰りにあそこ寄らない?」


 その日の帰り道。駅前で椿さんと別れて二人で帰りの電車を待っているホームにて、悠姫はそんなことを俺に提案した。彼女の言う『あそこ』とは、恐らく俺達が住む住宅街の外れにある喫茶店のことであろう。


「別にいいけど、どうしてまた急に?」

「いやあ、入院とか色々あったりして、全然顔出せてなかったからさ」

「.........いや、それなら少し前に——」


 少し前に行っただろ、と言いかけて、ふとその言葉を止める。少し前っていつだ? 半年前? 一年前? いや、何をどう解釈してもそうはならない。きっと、俺が頭に浮かべたのは、ほんの数日前とか、そんな規模感の話なのだ。


 でも、そんな事実はどこにもない。俺ですら、覚えてはいないのだ。一人で顔を出したとか、そんな勘違いでもない。だとしたら、一体何が俺にこの言葉を与えたのか。


「......どうしたの? 詩遠。電車きたよー?」


 そんなことをうんうんと唸っていると、悠姫は目の前に停まっている電車のドアから顔をのぞかせるようにしてそう呼びかけた。慌てて飛び込むように乗ると、たちまちドアが閉まり始める。


 ほっと一息つきながら、時折悠姫と世間話に興じる。しかし、先程のことが喉の奥に刺さった小骨のように気になり、どうも集中できない。結局、最寄りまでその様な状態が解かれないまま電車に揺られることとなった。


 退勤時間や部活終了時間にしてはまだ早かったからか、駅構内の人の動きはまばらであった。そして、相も変わらず駄弁りながら普段と同じように改札を抜けようとICカードをタッチした時、隣からいつもとは違う警告音が聞こえ、並進していたはずの悠姫の姿が横からいなくなった。


「あれ、残高不足......? 定期切れちゃってるのかな。ち、ちょっとチャージしてくるねー!」


 柄にもなく慌てた様子でそう言うと、悠姫は小走りで乗り越し精算機の方へと向かっていく。一分もすれば彼女は戻って来て無事駅から出ることができたのだが、よくよく考えると、一連の出来事がなんとも不思議に思える。

 思わず、彼女に問いかけた。


「なあ悠姫。お前そんな中途半端な期間で定期買ったのか?」


 今は十二月に入って一周目。夏休みの終わり、即ち八月末から登校しているのだから、六ヶ月定期だと切れるのは二月の末、三ヶ月定期だとしても切れるのは十一月の末。今切れるというのは、なんとも中途半端な話である。学校が始まる前に時間が無くて更新ができなかったという可能性も、一日二日ならともかく、一週間二週間となっては話が別だ。


 悠姫は俺の問いかけに対して、「いやあ、そんなこと無いと思うんだけどなあ」となんとも歯切れの悪い言い方をしながら、さきほど仕舞ったばかりのICカードを取り出す。

 すると、目を見開いて、言う。


「ねえ、詩遠。これ見て」


 彼女から半ば押し付けられるようにして渡されたICカードには、見慣れた水色のデザインの上に、定期の情報がずらりと書かれている。.........って、なんじゃこりゃ。


「区間.........これこっちとは逆の方面だよな。しかも、所有主の名前が掠れて消えてる.........おい悠姫、正直に言ったほうが楽だぞ。これどこで拾ったんだ?」

「わ、私はそんなことしてないよっ! ねえ詩遠、信じて......?」

「うーん.........まあ、そうだよなあ」


 気持ち涙目になりながら訴えかける悠姫に、俺もそう言葉を零す。

 そも彼女がそんなことをする柄じゃない、というのもそうだが、もし仮に本当にそうだとすれば、悠姫の反応は色々とおかしい。百歩譲って自らの定期に驚くというのが演技だったとしても、それを俺に渡すだろうか。いくら俺が幼馴染だとは言え、流石にそれは隙を魅せすぎではないだろうか。


 とはいえ、これが悠姫の定期ではないということもは不動の事実である。ううむ、どうしようか。このまま駅に悠姫を突き出すのは簡単な話だが、それを想像すると幾分か心が痛む。しかし、このまま見逃すというのもまた同じだった。

 そして、結局俺が出した折衷案というのが。


「......今日、俺は何も見ていない。ただ、明日の帰りも同じだったら今度は知らんぞ」


 という、なんともシンプルなものであった。明日も学校があるから、時間的な問題で厳しいところもあるかもしれないが、まあ、今の時期に定期を更新するような人間もそう多くないだろうし、大丈夫であろう。


 悠姫はと言うと、俺の言葉を聞き、どこか安堵した様子で、

「分かった。信じてくれてありがとうね、詩遠」

 と礼を告げた。


 その後、すっかり暗くなってきた帰路を二人並んで歩く。適当に駄弁りながら、少しだけ遠回りをして悠姫が寄りたいと言った喫茶店を目指した。確かあの店の閉店時間は十七時半であったはずだからと、少しだけ歩くペースを上げる。彼のことだから、久々に悠姫が顔を出すとなると少しくらいは融通が利くのかもしれないが、まあ、あまり無理はさせないほうが良いだろう。


 そんなこんなで、目的地へと到着する。

 カランコロンと軽いドアベルの音を鳴らしながら、喫茶店の戸を開ける。俺と、それに続くようにして悠姫が入店した。閉店時間まであと五分程度しか無いが、なんとか間に合ったようだ。


 店内には俺達の他に客の姿はなく、店主さんはもう既に店を閉める作業をしていた。そんな店主さんは、入店してきた俺達に目をやるや否やテーブルを拭く作業を中断し、嬉しそうな声音で告げる。


「詩遠君に悠姫ちゃんじゃないか。本当に久しぶりだね」


 そんな歓迎を受けて、悠姫も嬉しそうに彼に近づき言葉を交わし合う。

 そんな二人とは対照的に、俺は少し離れた場所でまたもや考え事を行う。

 .........悠姫に加えて店主さんもこう言ってるのだから、本当にここに来たのは『久しぶり』なのだろう。だというのに、どうしてここまで違和感が拭えないのだろうか。はっきりと否定できないのだろうか。


 まるで、自室で失くしたと判っているのに、一向に見つからない探しものをしている気分であった。どこかに大事に仕舞ったはずなのに。この出来の悪い頭の中にはもはや残っていない。知らぬうちに他のゴミとまとめて棄ててしまったのかもしれない。


「——詩遠? おーい、詩遠ってば。最近様子がおかしいけどどしたの?」

「ん、ああ、すまん。ちょっと考え事をな......それで、何だったっけ?」

「また時間あるときにゆっくり来ようねって」

「そ、そうだな。テストが終わったらまた来よう」


 ぎこちない会話が続く。

 そして、時間も時間だからと退店しようと二人身を翻そうとしたとき、俺は店主さんに一つだけ質問をした。


「あの、店主さん」

「ん、何かな?」

「俺が最後に訪れたのって、いつでしたっけ」


 すると、彼は数秒思慮を巡らせると、少しだけ曖昧な言葉を返す。


「ええと、確か今年の春か夏あたりじゃなかったかな」

「............」


 ああ、そうなのか。なら、それでいい。それが正しい。


「......そうでしたか。急に顔を見せなくなってご心配をかけてしまいホントすみませんでした」

「いやいや、死ぬ前にもう一度君たちの顔を見られただけで十分だよ。また、気が向いたらよっておくれよ?」

「はい、ありがとうございます。それでは」


 そう告げると、再びドアベルを鳴らしながら戸を開け外へと出る。すると、零度近い外気が何も身につけていない掌や顔の肌を容赦なく刺す。流石に身体が冷えてしまいそうだが、もう少しで家に着くし別に大した問題でもないだろう。


「店主さん、変わらず元気そうで良かったな。じゃあ行こうか——って、どうした?」


 自宅方面へと足を数歩進めたのだが、悠姫はまるで散歩を終わらせたくない犬のように足をピタと止め動かさない。その代わりになるのか分からないが、もこもことした手袋をはめた右手をこちらへと差し出している。そして、微妙に俺から目線を外しながら、一言。


「手、寒そうだから。家まで握っててあげる」


 はあ、なるほど。本当は手袋も持っているのだが付けるのが面倒くさいだけ.........だなんて言ったら、雰囲気がぶち壊しだな。そう思い、俺は外面素直にその手を取り、「ありがとう」と告げた。


 手袋越しではあるが、彼女の手の温かさや小ささが伝わる。小学生くらいの頃は手くらいよく繋いだものだが、今となってはなんだか少しだけ恥ずかしく思えた。

 そんな気恥ずかしさと、そして、仄かな幸せをじっくりと噛みしめるかのように、二人並んでゆっくりと家を目指した。


 ............それにしても、店主さんの最後の言葉はどこかで聞いたことがあるような......? まあ、別にいいか。どうせ、俺の記憶なんて当てにならないのだから。

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