第24話
背後から銃声が聞こえる。聞いたことのない衝撃音に致は思わず身を縮ませた。が、手を引く少女は足を止めることを許さない。
「ちょ、ちょっと待て。待てって」
急いで致が止めようとその手を引くと、ナツコはしぶしぶといった様子で止まる。
「さてはお前、辻村となんか取引しただろ。あまりに動きが速すぎる」
致の追及に、ナツコはむっとした表情のまま動じない。そのまましばしにらみ合い、二人は互いの出方を伺った。
破裂音が響く。二人ははっとして顔を上げた。
「な、どこから……」
音が反響するせいか、どこから聞こえてくるのか分からない。
(でも、なんだ。音の反響のせいなのか?)
違和感を必死に捕まえて言語化しようとする。
(重なって、聞こえたような──)
銃声の重なりが反響のせいなのか、全く分からないがナツコもそれに気が付いたのだろうか。彼女は顔色を変えて、急に駆け出した。どこに繋がっているかも分からない分かれた道を行き、ナツコは岩陰に飛び込む。迷いなきその背に、致はただついて行くことしかできなかった。彼女が飛び込んだ岩陰、ちょうど死角になっていた場所にぽっかりと穴が開いている。致がそこを覗き込めば、冷たい風が水の香りと共に流れ出してきた。
意を決してそちらへ飛び込む。出口だとは思えないが、なにかがあるのは確かだろう。もう一つ聞こえてきた銃声を頼りに、致は奥へと進んだ。
暗い足元では水の流れる音が聞こえる。降りていく度に水のにおいが濃厚に、湿気がぐっと喉を掴む。だんだんと逸る足元を抑えるように、苔むした地面が足裏を掬う。何度か膝をつきながら、致は明るく、広い空間に出た。
むき出しの壁面に、見合わぬLEDライトが空間内をこれでもかと照らし出す。白日のような光に、濃くなった影が伸びていくのが分かった。流れる水はここへたどり着くのだろう。大きな機械音が木霊する中、黒い木々が水を受けながら天井に伸びている。水に浸かった根元はよく見えないが、なにかがあることだけは分かった。深さはそれなりにあるのだろう。青く澄んだ水は、底を見せてはくれない。黒い枝には葉は一枚もついておらず、この空間全体に伸びきっている。奥には水のための機械だろうか。太いパイプと機械音だけではなんの予想もできない。視線はあちらこちらへ泳ぎ、手前の一団にたどり着いた。
地面に転がる猟銃らしきもの、それにかかった血しぶき。倒れ伏す人物が二人。一人はナツコが必死に揺さぶっている。
そして彼らを見下ろす人物が、一人。
「な、るきさん……?」
冷や汗が流れ落ちる。なにがあったのかは問わずとも理解できる。手放しかけた意識を、命の危機が取り直す。硝煙のにおいとはこういうものか、と勤勉な己が呟いた。
「これはこれは、幸運な。取り逃がしたネズミが自ら戻ってくるとは」
ぬけぬけと、ひと仕事終えたのであろう人物は致へ向き直った。その手には見慣れない長物が握られている。彼の表情は白い仮面に隠されており、全く読み取れない。
「あんた……九十九蔵介、か……」
呻くように告げられた名に彼は一つ頷いて返した。どこか満足げな動作に、思わず一歩引いてしまう。
「急に呼び出したと思えば、やはりなにか企んでいたんですね。ただ、あなたがいるのは意外でした」
「呼び出し? 鳴木さんが……?」
「この洞穴も未探索の場所がありますからね。私の知らない抜け道があってもおかしくはないでしょう。急な呼び出しはあなたのためでしたか。けれどまさか、こちらを通らせるとは」
「俺はさっぱり事情が分からないけどな。なんだ、この状況は」
「どれのことを指して言ってます? この後ろの煤梅のことですか」
ぐいっと九十九蔵介が指した先には細く黒い枝を持った木々が並んでいた。
「ああ、確かにここはよくなかったですね。鳴木もよくないことを思いついたもんだ。というか、あなたよく生きてましたね?」
その言葉にゴミ箱の中身が脳裏を過る。
「存外にしぶといもんでな……俺もまさかとは思ったが。お前の差し金か」
嫌な汗を自覚しつつ、致は腹から声を絞り出した。
「そうだとして?」
「知りたいだけだ。別にダンマリだろうが証拠がないから関係ないが……」
背後、広がる異様な光景に指向は蝕まれていく。
「どういうことだよ、これは」
致の問いに、九十九蔵介は一つ息をついて足元に伏せった人物を指した。
「この人は私とそれから百々瀬天和を呼び出して殺そうとした。まぁ、失敗しましたが。この人は私を甘く見過ぎた。それだけです」
「後ろのは」
「これは煤梅。人体に根を下ろして初めて育つことのできる生き物ですから。さしずめここは煤梅工場とでも言いましょうか」
ちょいちょい、と九十九蔵介は致を呼びつける。どういうつもりなのかまるで読めなかったが、致の足は自然とそちらへ向いていた。彼は透き通った水面を指し、一つ言葉を付け足す。
「ここだとよく見えるでしょう?」
ふと、水面下の人物と目が合った。見開かれたソレに、生気は感じられない。ただ真っ黒で、あるだけの瞳が致を見つめていた。思わずその身を引く。黒い細木の足元には、人がいた。一人に気づけば、自ずと他にも人がいることが分かる。あそこにも、そこにも、ここにも。助けを求めるようにこちらを見る人の目と、いくつもいくつもむけられる視線と、己の視線がかち合う。
「……集落の人間を食い物にしてまで作るもんかよ」
呻くように吐き出された言葉を耳にし、九十九蔵介は目を丸くする。まるで心外だと言わんばかりに、彼は口を開く。
「いえ、違いますけど」
「ちがう? は、じゃあ、そりゃどこから」
思わず九十九蔵介を振り返った致の背後で、ばしゃ、と水音がした。咄嗟の反応が追い付かない致の足を、なにかが絡めとる。力強く水中へ引きずり込まれたことだけが分かった。派手にしぶきが上がる。辛うじて首から上は水の上に出ているが、腕も足も、器用に黒い根が水底に縛り付けんと力を強める。
ずれた眼鏡の位置を直すこともままならない。一瞬呆気に取られていた致だったが、脳裏で点と点が繋がっていくのが分かった。思い当たった結論は滑稽で、それでもこの場ではありうると肯定せざるを得ない。
「そ、うか……失踪者は、煤梅の副作用で水になって死んだんじゃなかったんだな。こうやって、ここで──」
「煤梅の土壌となっている、ですね。お見事です」
乾いた拍手が広い空間に木霊する。
「じゃあ、なんだ。あっちで水になって消えたのは……」
「煤梅の作り出す分身ですよ。人体の形状から記憶までコピーができる優れものなのですが……弱点がありまして。水に触れると水と同化してコピーが解けてしまうんです」
「なるほど、な……そのせいで余計に、分かりにくくなってたんだな」
水に触れるタイミングは様々だ。生活の中で頻繁に触れる機会があるが、突発的な事故で触れることもある。正直なところ、水に触れない生活をする方が難しい。逆にそれを利用して失踪時期を誤魔化していた、と彼は話す。確かに、これなら煤梅を知らない人にはなにがなんだか分からないだろう。
冷えてきた指先は、すでに感覚がない。冷たい水は容赦なく体温を奪っていく。
「じゃあ、掛け軸はなんなんだ、お前らは一体、なにがしたくてあんなことを」
「分かりません」
「……なんだと?」
「自作自演を疑ってらっしゃるのでしょうが……違います。掛け軸を盗んだ人物が誰なのか、見当は付きますがね」
じくり、と腕が傷んだ。何事かと思い、そちらを見て目を見開く。黒い根が腕に、足に突き刺さっているではないか。
「さて、お話しできるのももう少しでしょうかね。だいぶ冷えてきたでしょう」
「んな……」
文句をつけるよりも先に、状況の打開を目指す。が、木の根に掴まれた腕はびくともしない。水が、冷たいなにかが傷口から手を伸ばしているのが分かった。なにが起きているのか分からない気持ち悪さが、喉までこみ上げてくる。どうにかしなければいけない、そんな気持ちだけが手を動かそうとするが、指先が空しく動いただけだった。
「煤梅の幼体は人の体温でも火傷をしてしまうんです。けれど、人体を根にしなければ育つことができない。扱いも繁殖も困難でした」
「だから……こんなに、水が……そうか、ダム誘致に熱心だったのは、こういうところに関わるためか──」
ふと思い当たった仮説を九十九蔵介は否定しなかった。煤梅の適温を提供するために使う水。地下から汲み上げているのか、ダムから持ってきているのかは定かではないがここまで大量の水が必要なのだ。そうとなれば当然、複数の供給源があるはず。致は確信を得る。
ぐら、と視界が揺れた。冷たい手に心臓が掴まれているような。そんな気持ち悪さが、悪寒と共に背筋を駆け抜ける。
「体温低いんですね。それでは」
踵を返す着物の男。破裂音と共にその袖が舞い上がった。もう一発、散弾は派手なしぶきを上げさせる。落ちかけていた意識が、揺れる、揺れる。
「へー、なるほど。それでか、九十九家はそれで有用だったワケ」
ドスの効いた声がなにやら告げている。
「とりあえず、清水センセからは離れてもらうぜ。この状態じゃおちおち話もできん」
なにかを構える音、発砲音がもう一発。ここからはなにが起きているのか、全く分からない。冷たい水底に引っ張られそうな意識を必死に保っていれば、暖かい手が己の腕を掴み上げたのが分かった。
「ハロー清水センセ。気分は?」
「最悪……」
でしょうね、と彼女は相槌を打った。あんなに硬かった木の根を後輩はひょいひょいと引き剝がして退けてしまう。辻村真は致を水から完全に引き上げて、頭から上着を被せる。突如覆われた視界に、致はぎょっとして抵抗を図る。
「薄いんであんま意味ないと思いますけどね」
「そうじゃないだろ、おい」
そう言って視界を確保するべく上着を着直そうとするが、どういうわけか辻村がそを許さない。それだけで嫌な予感がしてくる。
「さっき二発、いや三発撃っただろ」
その言葉でピタリと辻村は動きを止めた。
「当ててませんよ」
その言葉を聞きつつ、致は視界を覆っていた布を取り払った。もう一つ増えた遺体に喉の奥を掴まれる。思わずこみ上げてくるものがあったが、寸でのところで彼は堪えた。そんなことをしている場合ではないと、本能が止めたらしかった。
「もっと、マシな嘘をつけ」
「まぁ、嘘ならいいんですが……」
そんなやり取りを終えぬうちに、遺体だったものはゆらりと膝を立てた。
「この程度で殺せるとも思えなくて」
辻村の言葉に、本当は耳を疑いたかった致だったが、そうもいかないらしい。目の前では撃たれたであろう人物がゆっくりと立ち上がろうとしているのだから。本当は当たっていなかったのかもしれない。そう思いたかったが、彼の衣服は散弾による銃撃の痕をしっかり残していた。
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