第18話

 ──伝説には真実とフィクションを巧妙に織り交ぜて作られているものもある。


 整った文字列は神妙に伝説について語りだす。彼の問いたいことはどうも、翆嶺村時代から伝わる鬼退治伝説のことらしい。村に鬼がやってきた際、村人が山神の力を借りて協力して退治したというのが、鬼退治伝説の大まかな内容だった。

『構成としては特に目に付くところはない。自然豊かな村で、山に信仰があるのはなにもおかしな話ではないし、山神の力を借りて平和をもたらした人物が権力者の家系の人間であることもなに一つおかしくはない。』

 雄弁な書き出しに致は頷く。

「まぁ、確かにそうだともいえなくはないけどな……でも、まぁ」

『ただ、あまりにも出来過ぎているとも言えるだろう。この鬼退治伝説についてだが、鬼についての記述や描写はほとんどない。それどころか、鬼がなにをして退治されるに至ったのか。その理由が定かではない。』

 紙面を繰る、指でなぞる。筆者はこれまた調子よく話を続けた。

『鬼という言葉を意味するものは、複数存在する。一概に翆嶺村で鬼と称されたものの正体がなにであるとは、通常断定することはできない。それどころか物語内では一貫して「水鬼」という特殊な名称が使われている。』

「まぁ、病かもしれないし、ただの盗賊かもしれないし……」

『なら翆嶺村を訪れた鬼、水鬼とは一体なんだったのか。』

 至極当然の疑問である。それこそ町史には挿絵つきで伝説が記録されていたが、言葉による鬼の描写はほとんど無に等しい。色のついた肌に角の生えた、いわゆる鬼とイメージされるイラストだけが彼らの姿を描写しているのみであった。

(単純で粗雑な印象操作だ。言葉による描写は解釈が分かれるが、シンプルなデフォルメイラストは解釈が固定化される)

 意見が分かれるとすれば、せいぜいカラーリングくらいだろう。とはいえ、これで薄橙をイメージする人がどの程度いるのだろうか。

 ────悪意を持った印象操作だ。

『また、この物語に登場する山神というのも曖昧な存在である。青田神社で行う祭祀には、村人全員が少しずつ金を出して資金を捻出して行う制度があった。この制度が始まったのが、九十九家が翆嶺村に台頭し始めてからである。それ以前は百々瀬家がこの村の運営を担っていた。』

(んなこた言っても)

『百々瀬家が運営していた時代の史料の中に村全体の収入と支出を記録したものがある。これは藩に対して村の財政状況の厳しさを訴えるための証拠資料として作成されたと考えられるものだ。』

 確かにそれはあり得る、と致は頷かざるを得なかった。

 税金……いわゆる米が不作だった年があったのだろう。年代を見るに全国的な飢饉が訪れていた時期だ。致もその時代のことはなんとなく知っていた。日々の食料を削らなければ納税できない状況を鑑みて、各家々での収支を記録し、困窮具合の証拠として提出した。そんな史料を取り扱った論文を読んだことがある。原本は藩に提出され、おそらく残ってはいない。ここにあるのは保存用の写しだろう。

『この記録の中に祭祀費にあたるものは含まれていない。村の公共事業用の集金はある。しかし、この集金は過不足なく青田川にかかる橋の修繕や災害時の対応費用に充てられている。』

「なら黙って使ったというわけではないと。確かに村人にちゃんと使ったぞという証明として、修繕事業を真昼間にやったり、領収書を取っておいたりってのは筋が通るけどな……」

『しかしこれが、九十九家の時代になると一変する。祭祀費について詳細な金額が記された領収書にあたるものが見当たらなくなるのだ。次第に公共事業費も公表されなくなっている。』

「だからくすねている可能性があると? 確かに存在しない神の維持費は安くつくだろうが……それをなにに使うっていうんだ」

 残念ながら、使用先については考察が一切されていなかった。使用先を示す史料が存在しないのであれば、これも机上の空論に過ぎない。そこから展開される論に意味を見出すのは難しいのだが、致の好奇心は一切を無視して次の行へ食いかかった。

『この山神の代わりに、金を費やす先があるとすれば、それは一体なにであったのか。』

 気になる問いだが、それ以上話が進むことはなかった。書き手自身も証拠を掴むのに相当苦労していたらしい。村人から集められた金が、どこへ消えていたのかは結局のところ『不明である』と結論付けるほかなかったようだ。話は飛んで、一つの仮説を提示する。

『この山神も、先ほど述べた水鬼も、すべて創作の可能性があるのではないか。』

「九十九に都合よく物語を作るなら、それでいいんだろうけどな……それじゃ村人が納得できないだろ」

『では、水鬼の元になった人物がいたとすれば? 水鬼が実際にあった事件事故をモチーフにしたものであるのならば。当時は水鬼と呼ばれていなかった何者かが、後世に渡ってその名を与えられ、通称として通るようになったのなら。水鬼と呼ばれるに値する、特殊な能力を持った者であれば成立するのではないか?』

 強気に問うその文章に、金清野致は息を飲む。

 最後は少し突飛な気もしてしまう。この語り方では、水鬼の正体を知っていて、そこに誘導するかのような。そんな印象を覚えてしまう。それに気づいて、乗せられそうになった致は頭を横に振る。

 そんな今に構うことなく、紙面の彼は熱く、走るように話を続けた。


『単刀直入に水鬼の正体とは、とある時代に翆嶺村に迷い込んできた長谷家という名の一族である。そして、青田山の山上は鬼退治伝説と共に創作された架空の神である。』


 がたん! と大きな音が鳴った。肩を跳ねさせ、ノートを取り落としそうになりながらも致は音のした方を勢いよく振り返る。廊下に誰かがいるらしい。なにか引きずるような音に、彼は思わず立ち上がって内蔵から顔を出した。

「え、あ……これは、どういう」

「あー、清水センセじゃないすか」

 赤黒い水たまりを作りながら、鳴木に肩を借りる人物は呟いた。覇気のない、弱い声に致は息を飲む。長い黒髪は解けて乱れてしまっている。鳴木の背が少し低いせいだろう。辻村真は彼に合わせて身を丸めているらしかった。それが余計に、状態を悪く見せているだけなのかもしれない。そんな言葉をかき消すように、致はそちらへ寄る。

「よくまぁ無事で」

「無事なもんか。俺も手伝う」

 そう言って手を差し出すものの、その手はぶるぶると震えていた。顔面蒼白、滴る汗もそのままに手を差し出す致を見て、後輩は眉を下げる。

「イヤ、無理しない方がいいんじゃ」

「黙れ」

 渋い顔のまま彼は言い返すが、その声は焦りが滲んでいるせいか微塵も威圧感がない。宙で泳ぐ手は細かく震えていた。

「あー、イヤ、えっと」

 弱った声のまま辻村は肩をすくめる。

「怪我は重くないんすよ、ホラ。一応かすり傷で済んでるんで、ええ」

 なにがなんだか、意図をくみ取れずに目を回す致に対し、辻村はシャツをめくってへらりと笑いかけた。

「傷は浅く済んだし、いい感じに致命傷に見えるようインクぶちまけといたんすよー。暗いから見えづらいし、いけるかなって思ってやってみたらいけたっす。ねっ?」

 茶目っ気たっぷりに後輩は片目をつぶって口の端をさらに釣り上げる。彼女は手に万年筆を持っていた。しかし、致は見せられた傷に驚いたのか、辻村の弁明を聞く前に白目をむいて突っ伏してしまった。

「いやー、でもさすがに低体温は……ああ……清水センセ弱…………」


 ※


 じとり、と藍色の瞳が辻村を睨みつける。

「いやぁ、なんか散歩してたら九十九の人がいなくなったから、ちょうどいいやーって思って調査しに行ったんだよ。そしたらさぁ。まさか致さんが山に棄てられてるとは……」

「いや、なに言ってんだよお前……違わないが……」

 辻村が鳴木に保護されてから数時間後。体温を取り戻した辻村はゆっくりと布団から体を起こした。本人はもう大丈夫と言い張っているが、まだ唇に青が残っている。もうしばらくは温め続けた方がいいのだろう。部屋の隅では、ナツコがちょこんと座り込んで二人の様子を伺っている。致が何度か声をかけたが、そこから動くつもりは全くないらしい。

「にしてもっすよ? 致さん、結構重傷だったと思うんすけど……もう大丈夫なんです?」

 ぺたぺた、と致の肩を触りながら辻村は問う。その手を邪険に払いのけて致は首を横に振った。

「大丈夫と言えばそうだが俺は大丈夫じゃない」

「なんです、それ」

「そのままの意味だ。別に俺のことはいいだろ」

 想像より元気そうな辻村を一瞥して致は首を横に振った。本人が行っていた通り、傷の程度は浅く大事には至っていなかった。出血量が多く見えたのは確かに万年筆のインクのせいらしい。ただ、長時間雨に当たっていたらしく軽い低体温症になっていた。それでも数時間でここまで回復できるのだから、彼女の頑丈さを思い知らされる。当然、鳴木の適切な処置があってこその結果だが。

「いやあ、その辺も気になりますけど、話すことが多すぎですわぁ。てかこっちでもなにか調べものを?」

 あの時致の手元にあったノートを見ていたのだろう。彼女は首を傾げてその内容を訊いてきた。

「まぁ、色々と知れた。結構重大だと思う。お前は?」

「そりゃもうばっちりですよ! なんてったって、九十九家の深部に入り込んだも同然ですからね!」

「……だから襲われたんだろ」

「それは本当にそうですね。違いない……んで、なにが分かったんです?」

「鬼の正体、御伽噺のからくりと翆嶺で行われていた裏事業の概要。詳細までは分からない」

「あらあら、まぁまぁ……アタシは九十九家の裏家業の詳細、それから鬼の正体っすねぇ」

 互いに見つけた情報を耳にし、顔を見合わせる。

「ここで答え合わせか」

「偏りがなくて精査が捗りそうですなァ。んじゃ、やりましょうか。こっからは推理のお時間ってことで」

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