さち
塩化ナトリウムを踏みしめ、私……いや、私たちは歩く。私が手を繋いでいるのは、私が救い出した元生贄の少女、名前は『さち』。彼女はまだ身体が冷えているのか小さくふるふると震えている。彼女に何か衣類を与えられれば良かったのだが、生憎私の衣服以外に彼女へ渡せるものが……。
いや、それで良いのか。
私はジャケットを脱ぐ。そして彼女にジャケットを着させる。身長差のせいでブカブカになってしまったが、ないよりはマシだろう。私はインナーのまま歩き始める。
「寒く、ないの?」
手を繋いだ先、さちがそう聞いてくる。
「寒くない。活動に支障もない」
「……すごい」
「すごくは、ない」
何だかチグハグな会話を交わしながら、私たちは
すると隣からきゅるるる……と言う音が聞こえてくる。手を繋いだ先を見てみると、彼女がお腹を押さえている。
「お腹すいた」
……とりあえず塩砂の街で最低限の物資を集めようか。
私は手を繋いでいない方の手でさちの頭を撫でながら歩く。
しかしご飯よりも、ホームよりも先に向かうべき場所がある。
それは……。
「…………お母さん」
彼女の母親の元だった。顔の原型が残らないほど殴打されていた彼女だったが、娘……さちにはすぐにわかったらしい。本当は会わせずにホームへ帰還すると言う選択もできたのだが、私はそれを選択しなかった。
もし、さちが大きくなった時、真実を知りたくなった時、困ってしまうと判断したからだ。
真実を知った時、その時に私がホームに居なかったら? もし私が稼働できない状態になっていたら? 誰が真実を伝えることができる?
「おかぁ……さん……」
塩化ナトリウムの地面の上でへたり込み、さちはたくさんの涙を零す。私には泣くことはできないが、彼女たちのために祈ることはできる。私はへたり込んでいるさちの隣で私は両手を組み、そっと祈りを捧げる。
次はもっと幸せな時代で、誰にも邪魔されない平和な時代へ生まれ変われるように。
しばらく祈ったあと、私は瞼を開き、さちの方を見る。そこには呆然としているさちが居る。まだまだ気持ちの整理ができないようだ。
私はそんなさちの手を引く。そろそろ移動を始めなければ。しかしさちはそこから動こうとしない。まるで石像になったように動かない。
いや、動けない……のか。
「…………行こう」
「…………」
「彼女を休ませてあげよう」
「…………」
「……さち」
さちはしばらくその場へ留まろうとしていたが、しばらくすると立ち上がり、私に抱きつく。鼻を鳴らし、瞼をパンパンに腫らし、大粒の涙を私の衣服に付着させる。私はそんな彼女の頭と背中を撫でる。
一時間ほど撫でただろうか、さちは泣きつかれ、私に抱きついたまま眠ってしまった。私はさちを抱き上げ、そのまま歩き始める。私の運動性能的にも特に困らない。このままホームまで歩いて帰ることも可能だ。
しかし今はさちの食べ物などの問題がある。一日分くらいの食糧や水を集めるべきだろう。私はさちを抱きかかえながら、塩砂の街を探索する。
まず最初に向かったのが、さちを助けたあの建物。
白装束たちが戻ってきているんじゃないかと警戒していたが、そんな心配も杞憂に終わる。
私自身が作り上げた瓦礫を少しずつかき分けながら私は物資を探す。ものの十分もかからず一日分くらいの食糧と水を手に入れた。それからさちを包むための布を手に入れた。身分の高い人間が使っていたのか、手触りが良い。布でさちを巻き、出口を見る。
長居は無用。
そう判断した私は外へ向かおうとしたが、ふと目線を瓦礫へ向けると、そこはくしゃくしゃになった紙束があった。建物を覆っていたお札……ではないようだ。私はそれに近づき、中身を確認してみる。そこには塩砂の街について書かれていた。
歴史……と言うには短すぎるそれは、この街に人が集まった経緯や思惑が書かれていた。
最初はこの終末ではよくある瓦礫だらけの街であったこと、いつしか湧き出すように塩……塩化ナトリウムが積もり始めたこと、鉄が錆び、地面を汚染し、やがて植物や建物が全滅したこと。
そしてこの街にやってきた人間のひとりが、この塩が大量に発生する現象を利用できないか考え始めた。最初は食事に使えないかと考えたが、そもそも食塩ではないため却下。次に思いついたのが神事に使用することだった。この国では昔から厄除け・魔除けとして利用されていたため、それを利用できないかと考えた。
避難してきた人間に善意で渡し、ただ見送る……最初はこの程度だった。それがいつしか物々交換となり、空っぽの神様を崇めるようになり、最終的には人身御供へと発展した。三代に渡って綴られた記録、最後の方は贄を捧げることに重きを置いていた。
空っぽの神様のために。
私はそんな資料を記録へ残し、さちを抱え直し、また歩き始める。今度こそここから離れよう。
空を見上げるとすでに星が瞬いており、気温が徐々に下がっていっているのがわかる。布を巻いていても、身体を冷やしてしまうかもしれない。塩化ナトリウムの地面がなくなったら、どこかの建物へ避難するか。
私は塩化ナトリウムを踏みしめ、新トーキョードームへ向かう。そういえば、あの白装束たちはどこへ行くのだろうか? 新トーキョードーム……にも何人か流れてくるだろうか。それはそれで構わないか、人手が多いことには越したことがない。ただ、さちに手を出してきたら……その時は覚悟してもらうことになるかもしれない。
さちを抱えこれからのこと、さちのことを考えていると、小さく唸りながらさちが目を覚ます。
「……かみさま?」
「神様ではないよ。ただの機械」
「キカイさん」
「はい」
「さちは、これからどうすればいいの?」
「……生きる」
「いきるって、何をすればいいんだろう」
「…………」
彼女を助け出した時の記録を参照する。確か彼女は。
「助け出す時、世界を見たいって言っていた」
「あっ、そっか、世界を」
さちはそう言うと、何か思うところがあったのか、脱力し私の顔をジッと見つめている。特に移動に影響はないため、そのまま放置する。しばらく歩き続けていると、地面いっぱいに広がっていた塩化ナトリウムは薄くなり、やがて普通のコンクリートと地面が見えるようになった。
「……っくしゅ」
私の腕の中からそんな声が聞こえた。どうやら身体を冷やしてしまったらしい。私は急いであたりを確認する。ここらへんには人は集まっていないようだが……。
「さむい」
「少しだけ待ってて、侵入できる建物を探すから」
「しん、にゅー」
私はさちを抱え直すと、建物を一軒一軒確認する。どこもかしこも建物は乱立しているが、その中でも屋根と壁がある建物を探す。
なるべくさちの体温を維持しなければ。そんなことを考えながら歩いていると、ちょうど良い建物を見つける。入口が破壊され、原型が残っている建物。私はすぐに建物へ入り、中を確認する。
そこは宿泊施設のようで受付がある。さらに奥へ進むと大量のカプセル型の部屋? 寝床? が並んでいる。布などは根こそぎなくなっていたが、雨風を防ぐだけなら十分だろう。
「……どれで寝る?」
「どれでもいい」
「わかった」
さちと短く言葉を交わし、荷物を床へ置き、さちの食事の準備を始める。
まずは白い塊。小麦粉を練り合わせたものだと思われるが。
「それオサの食事」
「おさ……長?」
「うん、オサの」
彼女はそう言うと、私が準備をしている食材をしげしげと見つめている。
「食べたことない」
「……味は期待はしないほうがいいかも」
私はそう言い、中身を取り出し、さちへ向けて差し出す。さちは興味津々といった様子でその食材を観察した後
、一口含む。
「……むえ」
「ほぼほぼ小麦粉だから」
「おいしくない」
「あと、瓶詰め……」
私は拾った瓶詰めの蓋を開き、中身を取り出してみる。
……匂いから察するにこれは酢漬けか? 私は恐る恐る彼女に渡してみる。
「しゅっぱ」
「……酢?」
「わかんない……でもっ……けほっ……」
彼女は噎せてしまった。私は背中をさする。あと何かあったか? 最後に取り出したのは、何かの干し肉。
「……あと何かのお肉」
私は恐る恐るそれを渡してみる。彼女は少しだけ顔をしかめながら、それを受け取りかぶりつく。
「……かたい」
どうやらとても固いようで、噛み切るどころか歯型しか残っていない。私はすぐにさちから干し肉を取り上げると、警棒で砕く。
小さな欠片になったそれを再びさちへ渡す。
「食べられる?」
「…………ん、なん、とか?」
彼女はゆっくりと噛み締めながら干し肉を食べ始める。よかった、なんとか食べられたみたいだ。
「のどかわいた……」
「水」
「ありがと……」
豪勢とは言い難い食事が終わり、私とさちはカプセル型の部屋? 寝床? の一つへ入る。狭い空間のため、私とさち、互いの温度ですぐに暖かくなる。
「……キカイさん」
「はい」
「キカイさんって、機械なのに、なんで温かいの?」
新トーキョードームで何度か聞かれた質問。最初は律儀に一から仕組みを説明していたのだが、小さな子供には理解できなかったようで、毎度ぽかーんとされていた。そのため大人たちに聞いて回り、子供にも納得してもらえる回答を考えてもらった。
「星の焔っていう心臓が私の胸にあって、その熱気が血管を通って、身体中を巡っているから」
「血じゃないのに、血管を通るの?」
「……うん」
やはり無理があったか? そう考えたがすぐにさちは興味を失ったのか、私の胸に頬を付け、瞳を閉じる。
「あったかい」
「よく言われる」
それから数分後、彼女の寝息が聞こえてくる。
バイタルは安定している。呼吸に乱れもない。どこか怪我をしているかと思っていたが、塩化ナトリウムによるかぶれ以外は大丈夫そうだ。
朝になったらまた移動を始めよう。思ったよりも食糧が心許ない状態なので、まっすぐ新トーキョードームへ戻らなくては。
私は眠ることはないので、カプセルの中で色んなことを思案する。新トーキョードームへの道筋、さちの住居、さちの父親のこと。
やることも、考えることもたくさんある。さちがどれくらいの知識を持っているのかもわからないし、性格もいまいち掴めていない。ちゃんと仲良くなって、ちゃんと一緒に……。
私はカプセルの中で首を傾げる。
もしかして、私はこの子の家族になろうとしていないか? 今まで一人で過ごしてきたのに。
この子が特別なのだろうか。両親にこの子のことを頼まれたからその命令を遂行しようとしているのか、判断ができない。
家族、か。
胸の中で寝息を立てている小さな命をそっと抱き寄せる。強く抱きしめてしまうとバラバラに破壊してしまいそうな儚い存在。
家族。
私は何だかあたたかい気持ちになりながら、また別の思案を始めた。
数時間経過し、翌朝。早くにさちは目を覚ました。どうやらあまり面白くない夢を見たようで、呼吸を荒くし、目には涙を浮かべていた。そんなさちの背中をずっと私は撫でる。機械は夢を見ることはない、見ることはないのだが、嫌な記録を再生させられていると思うとほんの少しだけ辛さがわかってしまう。
「おとぅさん……おかぁさん……」
両親のことを呼び続けるさちに、私はただ撫でることしかできなかった。
それから太陽が昇りきった頃、さちは泣きつかれたのか、私へ抱きついたまま静かになってしまった。ずっと泣いていたためか、涙も枯れてしまったらしい。私は彼女を抱いたまま、カプセルから外へ出る。
そろそろ移動をしないと。
「ここから新トーキョードームへ移動する」
「しん、とーきょー……?」
「とても良いところ。色んな人間がいる」
「機械は?」
「今のところ……私以外はいないかな」
私はそう言いながら荷物をまとめる。昨日さちが食べられなかった食材も片付ける、新トーキョードームの住人ならなんとか食べられるように加工できるかもしれない。そう判断したからだ。
さちはと言うとまだぐったりとしている。あれだけ泣いていたんだ、疲れていても不思議ではない。私は腰をかがめ、彼女へ聞く。
「抱き上げる? それとも背中に乗る?」
私がそう問いかけると、彼女は私のことをジッと見つめた後、フラフラとした足取りで立ち上がる。
「自分の足で。あるいてみる」
……正直、今の彼女と共に歩くくらいなら、担ぎ上げた方が早いのだが、彼女の意志も尊重したい。私は荷物を持ち、さちに向かって手を伸ばす。すぐにさちは私の手に指を絡め、繋ぐ。
「行こうか」
私の言葉にさちは頷いた。
それから、私とさちはゆっくりとゆっくりと道を歩いていった。舗装されていない道は、身体が小さなさちにとってはとても険しい道で、何度も転びそうになっては、休んでまた歩き始める。さちを手助けしながら、時に持ち上げながら、彼女のことを観察する。
観察する限り、年齢は十歳程度、栄養が足りていないのか痩せ細っている。筋肉もついていないため、運動もしてこなかったのだろう。
生贄として、監禁でもされていたのだろうか? あのお札まみれの建物で見つけた書類には生贄についての詳細が記載されていなかった。本人に聞くのが一番早いのだが……。
「キカイさん」
「はい」
「これ、なに?」
「ミミズ。この個体は酸の雨から逃げてきたのか」
「食べられる?」
「お腹壊す」
「そっか」
彼女は初めてだらけの世界に興奮しているらしく、色んな物を見て、色んな物に触れて、色んな物の音を聞き、楽しそうにしている。
しばらく、塩砂の街については触れないほうが良いか。そう判断した私はさちの手を握りしめた。
「キカイさん」
「はい」
「手、きれい」
「……そう? 初めて言われた」
「つるつる」
「それはスキンのせいだと思うけど」
さちは私の手を触りながら私の顔をジッと見つめている。彼女が何を求めているのか……わからない。けどジッと見つめ返すことにした。しばらくお互いにジッと見つめ合い続ける。するとさちは小さく笑い始め。
「にらめっこ、負けちゃった」
そう言い歩き始める。にらめっこって確かお互いに顔を歪ませ、面白さを競う遊びだった気がするが。
……さちが満足しているなら良い、のか?
私たちは瓦礫を避け、地割れを避け、時には野生動物たちを避け、徐々に徐々に新トーキョードームへ近づいていった。そんな道中、私は警戒を強める。
雲行きが怪しくなってきたのだ。このままだと酸の雨にあたってしまう。私はすぐに酸の雨から逃れるための建物を探す。完全に崩れきっていない建物なら一時的に酸の雨から逃れることができる。
「さち、ごめん。ちょっと持ち上げる」
「キカイさん? わっ」
本当は一緒に歩いて避難したいところだったが、残念ながらそんな暇はない。すぐに避難しないと命に関わる。
それからすぐに私たちは新トーキョードーム付近にあるビルへ避難した。避難してから数分後、しとしとと雨が振り始める。
……しゅうしゅうという嫌な音とともに。
「雨」
さちはそう言うと、降りしきる雨に興味津々のようだ。しかし外に出そうとはしなかった。雨に触れただけでも火傷をしてしまうのだ、出せるわけがない。
「さわりたい」
「ダメ」
「なんで」
「火傷する」
「やけど?」
「手がじゅーじゅーと焼ける」
「……お水なのに?」
「お水……? ああ、そういうことか……液体でも火傷する」
さちがソワソワしているのは目に見えてわかる。けれど触る許可をするわけにはいかないのだ。私はがっちりとさちを背中から抱きしめながら、酸の雨が止むのを待つ。
しばらく二人で外を見ていると、外から何やら悲鳴のような声が聞こえてきた。さっきまで楽しそうだったさちも悲鳴を聞いた瞬間、不安げな表情へ変わる。私はさちのことをしっかりと抱きしめながら、外の様子を窺う。すると、何人かの人間が外で狂ったように走っているのが見えた。
ああ、あの白装束は。
「……漂白人っ」
さちは白装束を見ると、震え始める。声色と顔色を見るに、恐怖による震えだろう。さちは振り返り私の顔を見る。あの白装束たちは漂白人と呼ばれていたらしい。そんな彼ら、彼女だったが、今は酸の雨に溶かされている。
「大丈夫。あの様子だとこっちには来られないし、来たとしても私が守るから」
「……かみさまの力で?」
「あれは、星の焔は、神様の力なんかではない。ただの科学」
「かがく?」
「……新トーキョードームについたら色んなこと、教えてあげる」
「たのしみ」
さちは目を細め、私に身体を預ける。しかし外の悲鳴が恐ろしいのか、小刻みに震えている。私はそんなさちが不安にならないように話題を続ける。
「さちはお勉強好き?」
「さちは……わかんない。お勉強、全然してなかった、から」
「そっか。文字とか書ける?」
「ちょっとだけ、えっとね……」
さちはそう言って砂埃まみれの床に指を立て、なぞり始める。彼女が床に書いた文字は逆さになった『贄』という漢字。
「にえ」
「……贄だね」
「お前はこれだって言われて、お腹に書かれた。ほら」
彼女が服の一部を捲り、腹部を見せてくる。そこには、確かに『贄』書かれていた。
……いや、違う。正確には刻まれている。ケロイドになっていて、若干周りの皮膚もシワが寄っている。
つまりこれは、焼かれて、刻まれた。
こんなか弱い生命体に、焼き
この、子に。
星の焔点火確認………………成功。
星の焔出力上昇………………成功。
感情エネルギー補填………………成功。
CarnageSystem起動。
って違う、違う……っ。
「キカイさん……?」
「ごめん、ちょっとびっくりした」
「さちも急にキカイさんがぽかぽかになったからびっくりした」
「……ごめん」
危なかった、我を失いそうになった。
そうかこの力は、CarnageSystemは人間で言うところの怒りの機構か。仮説になるが、私の感情が大きく揺れた時に発動しやすくなってしまっているのだろう。人間ではなく機械だと言うのに、感情に振り回されるなんて変な話だ。……いや、だからこそか、だからこそ私の創造主はこの力を後天的に付与することにしたんだ。感情に振り回されたまま、CarnageSystemを使えば、あっという間に世界は壊れてしまう。そのことがあって、ギフトとしてこの力を渡してきたんだ。
「さち、それは痛くない?」
「ハンコ押された時は痛かったけど、今は大丈夫」
「……そっか」
「お父さんとお母さんがね必死に痛いの痛いの飛んでいけってお願いしてくれて、それで痛みがなくなったんだ」
彼女はどこか懐かしそうにしながら、傷跡をなぞっている。
こんな傷跡だが、彼女にとっては数少ない家族との思い出なのだろうか。こんな終末では写真を撮ることも難しい。だから記憶は大切なものになる。
「お願いしてもらっているときね、何度も、何度もお母さんがごめんねって、お父さんもすっごくつらそうな顔でね」
「さち」
彼女にとっては貴重な思い出、きっと忘れたくない、ずっと残しておきたい大切な記憶。しかし彼女が思い返している思い出はあまりにも。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、さちばっかり生きていて、ごめんなさい……っ」
「さち……」
私は彼女の身体を引き寄せ、自分の胸へ押し付ける。彼女にどんな言葉を投げかければいいのか、わからなかったからだ。
「……ここでなら泣いてもいいし、叫んでもいい。私が全部受け止めるから」
それから彼女はしばらく叫び続けた。喉を擦り切ってしまうんじゃないかと心配になるほど。私はただ彼女を抱きしめて慟哭を受け止める他なかった。
しばらくして、少し落ち着いたのか、さちは私の胸に顔をぎゅーっと押し付ける。
「……心臓の音、聴こえない」
「機械だから心臓はない」
「じゃあなんで動いてるの?」
「それは」
私はインナーを捲り、星の焔が格納されている胸部を出す。そして、普段は閉じられている胸部の蓋をそっと開く。そこにはさらに透明な器があり、その中には柔らかな橙色の焔が揺らめいている。
感情エネルギーを糧とし、半永久的に燃え続ける焔。記録によれば、科学技術の結晶とも呼ばれていたそうだ。もし焔に触れてしまえば生物程度ならあっという間に量子分解されてしまう、それほどまでに危険な高エネルギー体。
「……ちりちりしてる」
「これが私の心臓にあたる部分。ここが消えれば私は活動できなくなる」
「…………さわりたい」
「ダメ」
「どうしても?」
「酸の雨とは比べ物にならないくらい危ないからダメ。文字通りバラバラになる」
「じゃあ……うん、さちがしんじゃったらさわらせて? しんじゃってゆうれいになれば、さわれるでしょ?」
「…………まぁ、それなら」
機械が幽霊を信じるのかという話にもなるが、それくらい約束してもバチは当たらないだろう、多分。
「音は聴こえないんだね」
「ほとんど音は鳴らない……らしい、器から焔を漏らしたことがないからわからないけど」
「ゆうれいになったらちゃんと聴いてあげる」
「その時が来たらね」
私がそう言うと彼女は笑顔を浮かべる。さちを泣かせてばかりだったので、少しだけ安心する。外の酸の雨はまだまだ降り続けていて、新トーキョードームへ帰ることができない。私は長時間『なにもしない』ことに慣れているが、人間……さちには酷く退屈な時間だろう。
ここは私が何かするべきでは?
そう判断し、私は記録を探る。私はさちが退屈しない……何か……芸……。
あ、そうだ。あの話があった。私は記録から笑い話を引っ張りだし、整理をする。
今ならできる気がする。
抱腹絶倒間違いなしの新トーキョードームジョークを披露しようとした時だった。
「……ひっ」
さちが小さな悲鳴を上げた。私はすぐにさちを引き寄せ、外を確認する。
警戒を怠ったか? しかし、生物の反応はないが……? そう考えた時だった。建物の外に、ずり、ずりと身体を引きずらせている白い物体が一つ。それは、塩砂の街にいた白装束だった。どうやら白装束では酸の雨を防いでくれなかったようで、全身をくまなく火傷していた。
「……に、え…………生贄を……捧げ、なかっ……から」
喉も焼かれてしまったようで、ひゅうひゅうという息の中に、微かに声らしき何かが聞こえる程度。音だけだと判別できないので、唇の動きで言葉を識別する。
消え去ったはずの脅威にさちは身震いする。私はさちを自身の
言ってしまえば虫の息だろう。
「ああ……あなたは……真理の箱に居た、鬼……いや、かみさま……」
白装束の塊は千切れかかっている両腕を上げ、私に救いを求めるように伸ばす。ぐじゅぐじゅと肉の剥がれる音が聞こえてくる。さちに見せないよう、彼女の顔を私の背中へ押し当てる。
「残念だけど、私は神様なんかではない、なんなら鬼でもない。ただの機械だよ」
私は白装束へそう返したが、白装束はしきりに私のことを神様と言い、やがて事切れた。念のため近寄って確認してみたが、もう動く気配はなかった。
「やっぱかみさま?」
私の背中に顔をつけたままのさちが言う。
私は否定する。
「違う、ただの機械」
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