8:瑠璃と東雲
医務室に滑り込むようにして入り込む。
明かりはついているが、その空間には静けさが走っていた。
「すみません!医務官殿は!」
「いないよ〜」
「いないんですか!?」
「席を外しているだけですわ。すぐに戻られます。
「はぁい」
医務官は不在。その代わり、二人の女性と遭遇する。
とりあえず、二人の邪魔にならないように医務官を待つため、適当な椅子に腰掛け、金糸雀の様子を伺った。
顔色は悪く、呼吸も荒い。
大丈夫なのか、不安に彼女の様子を見守る中…浅葱達の様子を伺っていた存在が動く。
「貴方、名前は?」
「浅葱です…」
「金糸雀の専属ですね?今すぐ寝台へ寝かせてください」
「はっ、はい!」
医務室にいた青髪の女性の指示に従い、寝台の上に金糸雀を横たわらせる。
金糸雀を呼び捨てにするということは、この女性は———。
「
「
「へぇ、恩寵を受けし者なんだ。そうは見えないけれど…ぐぅ!?」
瑠璃が左手を東雲へ向けた瞬間、淡い光が東雲へ伸びた。
その光が彼女を包んだ瞬間、東雲は苦しそうに呻き声をあげ、膝から崩れ落ちた。
「へ、なんですかこれ…」
「あはは、新米ちゃんビビってんじゃん。瑠璃様さぁ、そう気軽に権能使うなし〜!」
「お黙りなさい。全く、貴方の敬虔さの欠片もない腐った精神も浄化できたらいいのに…」
「私はこれがデフォなんで。てかさ、私に向けてる暇ないでしょ。状況考えなって、お嬢様?」
「…ちっ」
瑠璃が舌打ちをした後、その光は浅葱に———腕の中にいる金糸雀へ向けられる。
先程、東雲が苦しんでいた光だ。
反射的に背を向けて、金糸雀を守ろうとすると…今度はため息を吐いた。
「私の権能は「万物の浄化」ですわ。病原菌も浄化できますので、正面を向いてくださいまし」
「わかり、ました…」
浅葱自身、瑠璃の力はまだ疑っている。
他人に危害を加えられる能力だ。純粋に東雲の性格が痛覚を覚えさせられる程度に腐っている可能性だってあるが。
しかし、恩寵を受けし者の命令である以上…従うしかない。
やってくる痛覚に備え、目を閉じるが…痛くないどころか、温かい。
浅葱と金糸雀を中心に、穏やかに粒子が流れていく。
それが肌や服に触れ、溶け込む。
「…身体が軽くなりますね」
「疲労も一応消せますのよ。ただ、金糸雀の方に変化はありませんわね。毒物の可能性は?」
「ありません。このスプーンをご覧頂ければ、証拠になるかと」
「汚れて…って、食事に使用したのですから当然ですわね。シチューかしら」
「籠守とお偉いさんは銀製食器の使用が義務づけられているから、毒を盛るのは難しいと思うよ〜」
「い、言われなくてもわかっています!」
「ええっと、金糸雀様だったっけ?アレルギーとか持病は?」
「ありません」
「この身体で持病無しかぁ…」
「ガリガリですものね。食事は摂れていますの?」
「数口程度です」
「身体が弱っているから…と、いうのもあるかもしれませんが、純粋に食べたくないだけの可能性もありますわね。浅葱」
「はい」
「素人の考えで申し訳ないのですが、金糸雀に食べない理由を詳細に聞くべきだと思いますわ。しかし、言葉を権能の影響で金糸雀が話せないのは存じています。今は、どのような意思疎通を?」
「動きですね。私がはいかいいえで答えられる問いをし、金糸雀様が首を横に振ったり、ベルを振ったりして」
話を聞いていた東雲と瑠璃の顔が愕然と歪む。
浅葱的には、話せないことが大前提なのでこれぐらいできていればまだいいか…ぐらいの感覚でいた。
意思疎通の拡張は金糸雀の体調を様子見しつつ行う予定ではあるのだが…。
「君よく今までやってきたね…」
「文字の読み書きはどうなんですの…?」
「読みはできる様子ですが、書くことはできないようです」
「そもそもこの細腕じゃペンを握ることすら叶わないでしょ。もっとちゃんと見なよ、瑠璃様〜」
「ぐぬぬぬぬっ!そんなことわかっていますわ!念の為に聞いたのです!」
ぷりぷり怒っていた瑠璃も、少しの間で平常心を取り戻し、咳払いを一回。
場の空気を変えつつ、話を続けてくれた。
「とりあえず、ですわ。東雲」
「ペンぐらい自分で用意しなよ」
「まだ何も言っていませんわ!確かに用意して欲しかったですけども!」
「私が用意します。何をされるのですか?」
「金糸雀でも答えられるように、質問票を作成しますわ。全部平仮名で書きますので、ご安心くださいまし」
「いいのですか?」
浅葱から紙とペンを受け取った瑠璃は、その上に簡単な質問を書いてくれる。
ペンが上手く持てなくても答えられる、チェック形式で。
文字は読めるわけだし、これならば金糸雀も質問事項に答えられるはずだ。
「ありがとうございます、瑠璃様」
「これぐらいは。居合わせた縁ですもの」
「瑠璃様もたまには粋なことするじゃ〜ん」
「たまにはとはなんですの…?減らず口を叩く暇があるのなら、貴方は金糸雀の様子を見ていなさい。浅葱、貴方はその椅子で待っていてくださいまし」
「え、でも」
「…あまり使いたくはないのですが、これは恩寵を受けし者の命令ですわよ。二度も言わせないでくださいまし」
そう言われてしまえば、浅葱は椅子に腰掛けて待つことしかできない。
金糸雀は東雲が様子見し、変化があればメモに書き留めてくれている。
その横で瑠璃は質問事項を書き…小一時間ほどで書き終えたそれを封筒の中に入れて浅葱に手渡した。
「これでよし、ですわ」
「何から何までありがとうございます」
「いいんですのよ。それより、貴方は休めました?」
「はい」
「それならよかった。貴方だって気を休ませる時間が必要ですからね。慌てふためいていては、医務官に症状を上手く伝えられないでしょうし」
「お気遣いありがとうございます。瑠璃様」
「お気になさらず。有事ですもの。上下関係を無視して協力し合うべきことですから」
言葉の一つ一つに優しさが滲む。
瑠璃の背で光るただの証明が、後光のように照り輝いていた気がした。
「神…」
「色鳥様から恩寵を受けた者ですから、半分は正解だと思いますけれど…それは相応しい主に対する言葉ですわよ、浅葱。私は彼の者に選ばれた御使いとして、果たすべき役目を果たしただけですもの」
「その謙虚な姿勢も神同然です…」
「おおおお、落ち着いてくださいまし…」
「瑠璃様がま〜た信者増やしてる。色鳥政権が崩れないのって、こういう狂った女が音頭を取って慈善活動してるせいだよねぇ…」
「何か言いました?」
「別に?御使い様はその役目とやらで身を滅ぼさないようにね〜って話。医務室に来た意味とか振り返りなよ、偽善者」
「これは試練ですわ。帰郷の日まで病と闘い、慈善を積み続ければ、我が身は彼の者の元へ旅立てるのですから」
「…あんたのそういうところ、ほんとキモい。恩寵受けた連中って皆こうなの?もう少し生きることに渇望ぐらいしろよ…」
東雲は浅葱とすれ違う際に、ぼそっと瑠璃に向けた悪意をこぼす。
その意味を追求しようと振り返ったと同時に、医務官が医務室へと戻ってきた。
瑠璃と東雲は戻ってきた医務官へ金糸雀の様子を説明してくれる。
その後、“いつもの”と、大袋に入った何かを手渡され、瑠璃と東雲は医務室を後にしようとした。
「お二人とも、改めてありがとうございました」
「本当に礼はいいですから…気にするようであれば、今度私たちが困っていたら手を貸してくださいまし」
「浅葱、自由時間に時間があったら話そうよ。この鳥を崇めて額に地面コスコスしてる女の愚痴とか聞いて欲しいわ〜」
「色鳥様を何だと思っているんですの!?籠守としての自覚が足りませんわまったくもー!」
医務官がうるさいと判断し、出入り口がピシャッと閉められる。
それからは医務官から胃を整える薬や、栄養剤の類いを処方され…自室に戻ることになった。
金糸雀はまだ目覚めない。おんぶだと後ろに倒れる可能性があるので、来た時同様、横抱きで来た道を引き返していく。
そういえば、何か忘れているような気がする。
「…なんだったかな」
浅葱は廊下を歩きながら頭を捻り、何を忘れているか思い出そうとするが…その答えは割と早く出た。
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