第2話 春休みの過ごし方
焼きすぎたケーキの表面みたいなこげ茶色の床板。この家は和室も居間も縁側もぐるっとそんな感じ。フローリングっていうんじゃない、板敷きの平屋。
縁側と広い台所は
裏手には蔵があって好きに使える。
それが、今、結が料理を得意とする理由。卵焼きをつくるのが上手な理由。結の料理の手際は彼女の絵の才能と同じか、それ以上。
朝食をつくっている背中を見ると、この家は葵さんが娘を置き去り同然にしていく時間の長さを予め知っていて選ばれた気がする。
六時前。春休みになったばかり。
和室の向こうの廊下、夜には真っ暗になる庭。けれど、朝となるともう庭木に鳥たちがやってきて騒ぐ。雑草だらけで手付かずだけど、園芸する人がいるわけでなし。
不意に、昨晩どうやって離れの蔵からこちらに戻ってきたか思い出した。
眠いから。そんなこと言いながら離れを抜けた。表側の重い扉はかんぬきがかかっているから、簡素な裏口のドアを抜けて。
吹き付ける風に桜の木が揺れて、あがってきていた体温がさめた。
私というモデルがいなくなってからも結は遅くまでスケッチを続けていた。
それなのに、その人が私より早起きしてもう台所にいる。かんかん、と鉄のフライパンの端をたたいて卵焼きを浮かせる。藍色のお皿に大きな雲みたいに広げる。
せめて何かできないか結の後ろをうろついた。
作れるメニューはシンプルで、おままごとみたいと彼女は言うけれどそんなことはない。葵さんが作り置きしていったにんじんのサラダをボウルごと渡されて、小分けにするという係を得た。そのまま彼女は冷凍庫からステンレスの皿に並んだタラのソテーを引っ張り出す。バットにうつしてレンジに入れて解凍。
手際がいい。ずっと彼女はこうしてるのだとわかる。
葵さんは朝早く自分のカフェに行って料理の仕込を始める。その前に副菜をありったけ用意していく。掃除や洗濯も、だんだんと結は自分でするようになったらしい。
昨晩私は何もかも彼女に任せきりだった。不甲斐ない。
もともと、葵さんの家事はひどかったそうだけど。
お茶をいれようと食器棚から湯飲みを出す。
大きなテーブルの上に、魔法瓶が二つ並んでた。
「お弁当?」
今頃、気づいた。
「ありがと。でも、自分でするのに」
「
私はパジャマのままだけど、結はもうスカートに長袖を着てしゃんとしている。テーブルのこちらと向こうに腰掛ける。
私は箸の先で卵焼きをつついた。
「それで、気は変わった?」
「まだ言うの?」
「だいたい、別れた理由も教えてもらってない」
「別れたって、あんなの」
そう、中学生だったし。といっても、まだ二年前だけど私と結とは付き合っていた。中学生の間。
「別れるも何も、あんなの、最初から子供同士のお遊びみたいなものじゃない?」
「だから、やり直したい」
「や、りなおすも、何も……」
何かあったみたいな言い方、しないでほしい。
あれから二年。二年って、結構、長い。
卵焼きを口に放る。
春期講習の間、つまり春休みに入って新学期が始まるまでの間、この家に私は寝泊りすることにしてしまった。でも、ここにいるのはただのひとつだけ年下の友達じゃない。
私の、元彼女だ。
ということを、私はまったく意識せずにここにきてしまった。
確かに、瑞穂結とは付き合っていたことがある。しかも、私から打ち明けてそうしてもらった。中学三年生の夏休みから、秋まで。中学二年生の、彼女と。
その後すぐに彼女は引っ越してそれきりだった。
その人が、この春に、この街に戻ってきた。
もう何もなかったような顔でいられるものだと思ってた。昨晩、ここに到着して荷解きを手伝ってもらっていたら、言い出したのだ。結が。
やり直したい、そのつもりだと。
あの時葵さんはまだ離婚していなかった。結も今よりずっと子供っぽかった。
ご飯を作ってくれたり、それが異様においしかったり、しなかった。
アトリエで二人きりになった夜に、今までおぼえたことのない緊張を感じる、なんてことも。
なかった。
「うん、ゆっくり考えて」
黙りこくった私を見かねてか、結が先手を打つ。
「あとで買い物行こ。せっかく久しぶりで大人もいないし」
「いないけど、君だって宿題くらいあるでしょ」
歌うようにふふふと笑う。全て忘れたように食べ始める。
髪が少し伸びた、だけじゃなくて染めてて。私よりずっと背も高くなって。
通る声。透明な眼差し。
ピアス、してる。
凛々しい、って感じの。
こんな子だったっけ?
困る。すごく、困る。
こんな余裕は、昔の結になかった。
目が合うとかすかに笑ってくるけど、そんな色っぽさも昔にはなかった気がする。
付き合う、って。
あの時は中学生だったから、よくわかってなかった。
それなのに、どうして今更そんなこと言うの?
別れた意味を知りもしないのに。
無邪気に笑わないでほしい。
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