エピローグ

 5月5日。


「「「ありがとうございました!!!」」」


 第5研究所内託児所のお遊戯会が、この日九里ヶ崎公民館で行われた。


 大トリの演劇では、1週間も行方不明となっていた少女──玲成水玖も参加し、拍手喝采の大成功を遂げてお遊戯会は終了した。




   ※ ※ ※ ※ ※




「来てたんだ」


「こんな気合いの入った招待状渡されたら行かねぇとな」


 お遊戯会後、悠真と水希は公民館のエントランスにあるベンチに座り、いつかのようにあったか~いミルクティーを飲みながら話していた。


 悠真は制服の胸ポケットから〝ぜったいきてね!〟とクレヨンで書かれた絵付きのメッセージカードを取り出す。


 水玖が書いたメッセージカードを学校で水希に渡されてから、今日まで悠真は大事に大事に財布にしまっていたのだ。





 悠真、水希、水玖の3人には傷などが少しも見当たらなかった。


 念のため一晩入院はしたが、至って健康体だったためすぐに退院し、各々いつも通りの生活に戻っていった。


 傷が皆無の理由は不明だったが、悠真の左腕の異能力ディナイアルが関係しているとは思われる。




「嫌いなお話だから来ないものかと」


「嫌いだ、クレアが悪の象徴みてぇな描かれ方してるんだからよ……けど」


 ミルクティーを一気に飲み干した悠真は咽せて咳き込み、収まると空のペットボトルをゴミ箱に捨てて別の紅茶を購入する。


 おつりとペットボトルを取り出し、悠真は救われたように微笑んでこう言った。


「あのアドリブで、全部チャラになったわ」




 主人公のお姫様であるキャメロンを演じた水玖は、練習の成果を発揮して見事ノーミスで演劇をやり遂げた。


 だが水玖は、魔女クレアを倒したシーンで台本には無かったセリフを言う。




「ごめんなさい……あなただけは、私を覚えてくれていたのに……」




 かけられた呪いを解いたために全ての者達から忘れ去られていたキャメロンを、唯一覚えていた呪いをかけた張本人の魔女クレア。


 水玖のその一言で、悪の象徴だった魔女クレアは絶対悪では無くなり、キャメロンのハッピーエンドに僅かな哀しみが添えられた。


 たった一瞬でも客に魔女クレアが絶対悪ではないと印象を操作した水玖のアドリブが、悠真の心にあったつっかえを取り払ってくれた。




「天才だよ、将来は大女優になるかもな~」


「ね~」


 子煩悩な親みたいなやり取りをし、少しの静寂の後に水希が切り出す。


「……何で……あの時来てくれたの?」


 あの時に幾つか心当たりがある悠真だったが、ここでのあの時は、水玖の救出のために第5研究所に入った時だろう。


「特別な理由は無かった……もちろん心配だったし、けどそれだけじゃ傍観者止まりだったろうな──




 ──絶対助けようって思ったきっかけは、お前が泣いてたからだ」




 想像もしていなかった返答に驚いた水希は目を見開き、そして顔が茹でダコのように熱く赤く火照る。


 心臓がバクンバクンと鳴り響き、ミルクティーを一気飲みしたが咽せて咳き込むだけで、この感情は収まらない。


 嬉しいや感謝とも少し違う、曖昧な感情。


「大丈夫か?」


「だっ! だだ大丈夫って! なな何でそういう恥ずかしい事を普通に言えるの!?」


 自分でも何故こんなにテンパっているのか分からない水希。


 しかし悠真はどこが恥ずかしかったのかピンと来ず、僅かに首をかしげてベンチに座る。


「恥ずかしい事……恥ずかしい事……えぇ……俺そんな下ネタ言ったか?」


「そういう事じゃない!!」


 悠真の勘違いも割と重症だが、水希自身何故こんなにも怒りが込み上げるのか分からない。


 さっきから冷静になれない水希は、火照った顔を両手で覆いながら深呼吸をして落ち着かせる。


「でもありがとな」


「へ?」


 唐突な感謝に思わず変な声が出た水希は、笑った悠真と目が合った瞬間に収まっていた心臓の鼓動が再び激しく動き出す。


「多分俺が来たことは最善じゃなかった、ただの高校生が何バカやってんだって感じだけどさ……あの時、俺を見て救われたって顔してくれてありがとう」


 思い出し、穴があったら入りたいと思ってしまった。


 あの余裕も無くていっぱいいっぱいだった瞬間だからこそ、らしくもないあんな甘え方が出来たんだろう。


 冷静になって振り返ると、ただただ恥ずかしい。


 いっそ殺してほしいなんて思ったが、同時にこの思い出は一生胸の内に秘めてひとり占めしていたいとも思う。


「あとそれから」


「名前」


 これ以上言われたら恥ずかしすぎて死にそうなので、言葉を遮り無理矢理話題を変える水希。


「名前?」


「……もう呼んでくれないの?」


 暴走状態の水玖を抱きしめていた悠真が、水希を呼ぶために左手を伸ばしたあの時。


 それっきり「お前」などとしか呼ばない悠真にややムッとしており、この際だから呼ばせようと強攻策に打って出る。


「……あの時は場のノリというか、女子の名前呼ぶの恥ずかしいというか」


「どこで恥ずかしがってんの!? ……水玖は呼ぶのに私は呼ばないんだ」


「水玖ちゃんは小さいし……ほら、何というか……お前とは違うんだよ……」


 水玖とは違う。

 つまり自分の事を女として見ている。

 だから恥ずかしい。


 などという妄想連想ゲームを脳内で少し繰り広げた後、首を横に振って立ち上がり悠真の前に立つ。


「いいからちゃんと呼ぶ!! 私も……その……ゆ……ゆう……悠真……って呼ぶから!!」


「強引だな……分かったよ…………水希」


 決して表情には出さなかったが、胸が弾む水希。


 ただ名前を呼ばれただけなのに、こんなに嬉しくなる事があるだろうか。


 だけど、もう少しこの曖昧な気持ちに浸っていたいと思った。




   ※ ※ ※ ※ ※




「お姉ちゃ~ん!」


 帰宅準備を整えた水玖が、走った勢いそのまま水希に抱きつく。


「水玖、お姫様ホントによかったよ!」


「えへへ~、あ、ゆうまくんも来てくれたんだ!」


「おう! 水玖ちゃんは天才だと思う」


 満面の笑みを浮かべる水玖は髪を撫でる姉の手から離れて、座っている悠真の太ももの上に座り乗る。


「来てくれてありがと!」


 そう言った水玖は何ひとつ躊躇う事無く、悠真の左頬にキスをした。


「なっ!!??」


「お、嬉しいなぁ~!」


 至って普通のスキンシップと捉えて髪をわしゃわしゃ撫でる悠真に対して、水希は何だか負けた気分になりモヤモヤする。


(いやいや落ち着け私! たかが5歳のやった事なんだから何も気にする必要は)


 だが水希は見てしまった。


 年の差10歳の妹が、ニヤリとしたり顔を向けてきた瞬間を。


(こ、こいつッ……5歳のくせに生意気な……って、だから何だっていうの!? 別に私はそういうんじゃないから!!)




 などという姉妹のやり合いに1ミリも気付かない悠真は、この瞬間の幸せを存分にかみ締める。


 両親を失い、最愛の魔女を失ったこの手で救った2人。


 これ以上はもう何も失わせはしないと固く決意し、穏やかな日々を贈っていく──











 ──そんな3人の仲睦まじい様子を、少し離れた所から見つめる車椅子に座る1人の少女がいた。


 その眼差しは決して穏やかではなく、だがすぐに肘当ての先に取り付けられたスティックレバーを操作して外に出る。


 悠真と水希の通う高校と同じ制服に身を纏った少女は、誰にも聞こえないように口ずさむ。


「……嶋内悠真……あいつは私が……」




 第1章 大切なモノはすぐそばに fin.

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