第9話 父の誓い、娘の決意

 4月20日。


 土曜日のため本来託児所は休みだが、学芸会も近いため練習のためにこの日も水玖を送る水希。


「今日は検査受けるかい?」


「いえ、今日は大丈夫です」


 九里ヶ崎区に暮らす異能力者ディナイアラーは研究のために正規の検査を、いずれかの国立研究所で年に12回以上は必ず受けなければならない。


 水希は既に4月の検査を受けていたため、黒サンタの勧めを断った。


「お姉ちゃん! 水玖ね~、ほとんどのセリフ覚えたんだよ!」


「え~ホント~?」


「ホントだよ! 今から言うから聞いてて!」


「分かった分かった……と、ごめんごめんちょっと電話に出るね」


「えー!」


 水玖がワクワクしている所を本当に申し訳なく思いつつ、ポケットで鳴るスマホのバイブレーションを止め、部屋を出てから画面を見た。


「……え……」


 研究所のルールでマナーモードにしていたスマホから、一生かかってくるはずの無いと思っていた番号からの連絡に驚きを隠せない。


〝お父さん〟


 口に押さえた手を画面に近付け、高鳴りつつある心臓の鼓動を抑制するためにゆっくりと深呼吸をして、気持ちを整える。


 思うことは山ほどある。


 突然いなくなり、姉妹は路頭に迷いかけた。

 母が死んで以降、何1つとして親らしい事をしてもらっていない。

 水玖なんて両親の顔を知らない。写真は全て捨てた。


 それが怒りなのか憎しみなのか、悲しみなのか喜びなのか、水希自身も分かりはしない。


 電話を掛けた者が本当に父親なのかも分からない、とにかく出てみない事には現実でも精神的にも問題の解決は図れない。


「……もしもし」


 そっと人差し指に緑色の部分をタップし、3秒近く経ってから弱々しい声を発する。


「……水希か」




 忘れていたはずなのに、脳内を駆け巡る記憶。


 おそらく生涯忘れる事など出来ないだろう声。


 ずっとかかっていた靄が晴れるように、水希の鼓膜から伝う思い出が鮮やかに、明るく、蘇る。




「お父……さん……」


「よかった、出てくれてありがとう」


 思わずスマホを手から滑り落としそうになったが、何とか取り乱さずにもう1度深呼吸をする。


 父親──玲成一番エースは、喜びに沸く事も捨てた後悔の懺悔もする事無く、淡々とした声で話を続けた。


「誰にも聞かれていないな」


「……だから何」


「第5研究所2階の多目的トイレに来てくれ、お前に必ず伝えなければならない話がある」



 いる。


 今、1つ上の階にいる。


 当然いきなり連絡を取ってきたのだから、ただ思い出話をするだけという事が無いのは分かっていた。


 ──でも、会いたくない。


 憎いとか怒りでどうにかなりそうという事は無い。自分自身が今どんな感情の中にあるのか把握出来ていない。


 ──でも、会いたくない。


 だから断ろうとした。

 心が1歩前に進まなくてもいい、目の前の問題から逃げたっていい。


 だが次の一言で、会うことを決意した。




「水玖の、異能力ディナイアルの事だ」




   ※ ※ ※ ※ ※




 行かない訳にはいかない。


 異能力者ディナイアラーでは無い水玖の異能力ディナイアルという事なら、水玖に危害が及ぶ可能性が大いにある。


 もし何かがあったとき、姉である自身しか水玖を助けられる者はいないのだから。



 水玖に少し離れる事だけを伝え、エレベーターに乗って2階へ上がる。


 廊下の奥にあるトイレは男、女、多目的と分かれており、水希は意を決して入ろうと手すりを握るが、施錠されており開く事が出来ない。


「水希か」


 電話から聞こえた声と全く同じ声が、扉の向こうから聞こえてきた。


 緊張が全身を覆い、汗がこめかみから滴り落ちる。


「……うん……」


 最低限の返事をすると、大柄なシルエットが磨りガラス越しに近付いてきた。


 ガチャ、と解錠される音が聞こえ、思わず握っていた手すりを離すが、引き戸は水希が触れずとも開かれた。


「……久しぶりだな」


 言葉は出なかった。視線も合わせられなかった。


 それでも一瞬見ただけで、目の前の男が父親だという事は分かった。


 クラシックオールバックの髪型に無精ヒゲを生やし、目尻のシワやイギリスのクォーターである遺伝子を見せる高い鼻。


 オレンジのネクタイに紺のスーツを合わせ、その上から白衣を着たファッションは、如何にも研究員であることを思わせる。


 革靴がよく似合うナイスミドルは、約5年ぶりの娘との再会に笑顔も涙も合わせず、「入れ」と一言伝えた。


 多目的トイレの鍵をかけた水希は、上手く顔を合わせられないまま本題に切り込む。


「水玖の異能力ディナイアルってどういう事? あの子は何の力も持って」


「ずっと水薫みくるの死因を調べていた」


 遮るように一番エースが語り始めたのは、水希と水玖を産んだ母親であり、一番エースが今もこの世で最も愛する者──玲成れいな 水薫みくるの死の理由だった。


「死因って、産んですぐに血圧が下がったとかで死んだんじゃ」


「いや違う、水玖を産んだ後も水薫は体調を崩さなかった……泣いて水玖の誕生を喜んでいた……」


「なら……」




「──赤ん坊の水玖が、胎児の時点で水薫の生気を全て吸い尽くしていた」




 なら、つまり、という事は。


 水玖が、母親を殺したとでも言うのか。


 水玖の誕生は同時に水薫の死を意味し、水玖は生まれながらに母親を殺したという罪を背負ったとでも言うのか。


 それは水玖が意図してやった訳じゃない、だからそんなのは醜い妄想に過ぎない。


 だが一番エースの、父の表情や声音はそれが真実だと言わんばかりに、憎悪に溢れたモノだった。


「違う、水玖は何も悪くない……水玖はただ生まれてきただけだ……」


「落ち着け水希、話はまだ」


「水玖を産んだせいでお母さんが死んだ訳じゃない……何、水玖を見てると憎くて仕方ないから私達を捨てたの?」


「水希!!」


「水玖もお母さんも何も悪くない!! そんな根も葉もない暴論で水玖を異能力者ディナイアラーだなんて言わないで!! 私の妹を殺人犯にしようとしないで!!!!」


 許せない、という気持ちが全身に湧き上がった。


 父親の言う事の何もかもが、水玖を悪く言っているようにしか思えなかった。


 何故なら、水希の中で父親とは自身と赤ん坊の妹を捨てた大悪党なのだから。


「……違う」


 だが一番エースには水玖を殺人犯にしようとなんて微塵も思っていない。


「水薫も水玖も何も悪くない、当たり前だ、水薫の死は誰にも予想出来なかったんだから……それに水薫は水玖を守って死んだんだ、命と引き換えに」


 母子共に健康だった。


 なのに水薫は、生まれたばかりの水玖を抱き締める事も出来ずにあの世へと旅立った。


 あの瞬間、水薫の死を誰より嘆き誰より悲しんだのは、言うまでもなく一番エースなのだ。


 そんな愛しき妻の死が原因不明だなんて許せなかった。


 ありとあらゆるツテを頼り、仕事を辞めてまで水薫の死因を知ろうと奔走した。



 ──辿り着いたのは、玲成家に代々伝承されてきた言い伝えだった。



「〝零無れいなの血筋の女は、稀に火を操る力に目覚める。そして数百年に1人、国1つを焼き尽くす程に強大な力を持つ女子おなごが生まれる──


 ──破滅を呼ぶ力を封じるために、零無の女が生まれた際は必ず「水」の文字を名に加え、災厄の権化たる火の子が生まれてこない事を願わねばならない──


 ──火の子は生まれる際に母体の生気を吸い尽くし、赤子の体に強大な力を抑え込む蓋として利用する。だがこの蓋も齢5~6歳には破られ、理性の持たない「火の子」となるだろう。〟」



 この伝承を知った一番エースはすぐさま日本の異能力ディナイアルの歴史を研究し、水玖を「火の子」にしないための方法を模索し始めた。


「手がかりはこれしか無かった」


 水玖は水薫が最期に遺した宝物だから、護るために手段を選ぶつもりは毛頭無かった。


「でも、僅かでもチャンスがあるなら、放棄するという選択肢は無かった」


 ──たとえ結果的に、親の義務を放棄したとしても。


「お前達に、迷惑はかけられなかった……」


 ゼロから異能力ディナイアルを学び、日本の知られざる異能力ディナイアルの歴史を知り、何としてでも水玖を災厄の権化にしないために日本中を飛び回った。


「今まで……本当にすまなかった」


 あらゆる名を持ち、あらゆる肩書きを持ち、そしてついに水玖を暴走から守る術を手に入れた。


「でも俺は、水玖を救うための知識を得た」


 愛する家族を守るためならば、自分の命など惜しくは無い。




「だがそれと同時に、水玖が何者かに狙われている事を知った」


「……え……」


 そんな恐るべき力があると知り、利用しようとする者がいたって不思議ではない。


 一番エースはその企みを慎重に調べ、ついにこの5事を突き止めた。


「だから忠告しにお前に連絡した、近い内に必ず水玖を狙う奴らが現れる……半年後かもしれないし、今日かもしれない……」


「そんなの、どうすれば……」


「俺はまだ水玖を救うための準備が出来てない、だからもしもの事があれば……」


 両手をポンと、愛娘の両肩に置く。


 その手はとても綺麗とは言えず、これまでの命懸けの行動の勲章とも言えるであろう。


 最愛の妻が自分自身よりも大切に考えていた最愛の娘を、家族の笑顔を護るためならば、たとえ捨てたも同然の別れをしてでも行動しなければならなかった。


 一番エースの行動はある者達にとっては命を狙われてもおかしくない綱渡りで、娘達を巻き込む訳にはいかなかった。


 九里ヶ崎区を信じ、全てを捨てた父は覚悟の印に、溢れ出す涙だけは父親の背で隠すことが出来た。


 そして今。

 どんなに罵声を浴びせられても構わない。

 どんなに嫌われても構わない。

 たとえ親子の縁を切られたとしても。




 父は、娘を信じる。




「水玖を絶対に、何があっても守ってくれ」




 ようやく、水希は父の顔をちゃんと見ることが出来た。


 以前よりシワが増え、クマも出来ており、ボロボロなのに強がって、情けない姿だけは見せないようにとしてることがバレバレだった。


 バレバレでも、言わなかった。


 こんなにも格好いい姿に、似合う言葉が瞬間浮かばなかったのだから。


「……あれ……」


 自然と涙がこぼれてしまい慌てて右腕でゴシゴシと拭う娘の様子を見て、父は白い歯を見せて満面に笑ってみせ、右手をポンと頭に乗せる。




「──大きくなったな」




 それ以上は何も言わず、父は多目的トイレから去った。


 僅か数分の再会だったが、水希には永遠にも思えるような時間だった。


 何も知らなかった。

 知ろうともしなかった。

 ただ踏み出す事に怯えていた。


 もう迷わない。水希は決意する。


 父が再び2人の前に姿を見せ、何もかもが上手くいって、もう1度幸せいっぱいの日々を過ごす時が訪れるまで。


 水玖を守ってみせる、父のように。


 水玖を守ってみせる、母のように。


 今度は、姉の私が。




   ※ ※ ※ ※ ※




 しばらくした後に水希は泣いてひどい顔を整え、水玖の元へ帰るためにエレベーターを待っていた。


 思ったよりも早く来たと思ったエレベーターの扉が開かれた瞬間、驚愕により中にいた少年とこぼれた声がハモる。



「「はあっ!!??」」



 誰も知らない親子の絆。


 ほどけた糸がまた結ばれたように。


 時を経て分かり合う事が出来た。


 あの日の幸せを取り戻すために。


 確かな約束を交わした。









 数分後、無情にもその心が打ち砕かれるとも知らずに──

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