11


 曇り空は変わらないまま、世界の明るさはだんだんと失われつつあった。暗闇が生まれ始めた世界で、街灯は一筋の光を地面へとうつそうとしている。


 それだけの時間を過ごしたのだろう、それが意味のあるものだったのかと問われれば、結局意味なんてどこにもないのだろうけれど、それでもここまで俺は時間を無為にすることができたのだと思う。


 そんな中で、隣にいる彼女は口を開いた。


「あのさ」と吐き出す言葉の影に、その慎重そうな様子に俺は首を傾げることしかできなかった。どこか曖昧でしかなかった表情の緩みが、ゆっくりと重みを孕んでいくような、硬さが生まれていくような感じをひしひしと体が覚えていく。


 特に返事はしなかった。相槌を打っても打たなくとも、彼女は言葉を続けるだろう。その先の言葉に興味がなかった、とも言えるけれど、俺はとにかく無反応のまま、暗くなる世界の光をぼんやりと見つめ続けていた。


「──今も、付き合ってるの?」


 意味深長そうな、いや、慎重としか言えない様子で彼女は確かに聞いてきた。そう聞く彼女の目は俯きがちながらも、確かにこちらの瞳を射抜くような、そんなじとっとした熱い視線であるように感じたが、それよりも紡がれた言葉に俺は目を逸らすことしかできなかった。


 付き合ってる、と聞かれれば思いつくことはひとつしかない。ひとつしかないからこそ、それに対しての回答はすぐに思いついてしまう。


 思い付きはするけれど、だが、どのように答えればいいのだろう。いや、そもそも答えるべきものなのだろうか。


 曖昧なものでしか完結していない俺と柚乃の関係を、口に出すことはしたくはなかった。曖昧だからこそ、はっきりと言葉にしてしまえば、自分で距離をつかめないことを理解してしまって、なおさら苦しくなる。


 こうして遠出でもない遠回りを繰り返している自分の行動にさえ苦笑がついて回る。もしくは嘲りかもしれない。自嘲としか言えない笑いだけが、自分の心を苦しめていく。だからこそ、あまり考えたくない事柄でしかない。


「……」


 俺は、結局具体的な言葉に表すことはなく、沈黙を解答として返してしまった。


 付き合っている、付き合っていない。そんな枠内で答えられる代物ではない。その関係性から逃げるようにして、体だけのつながりを意識している自分のやり方は、どうしたって言葉にするべきものではない。それに巻き込んでしまっている柚乃を思えば、よりそれは強く過ちとして自分の感情の中に罪悪感として強く残る。


 だから、答えられない。沈黙は肯定だ、と馬鹿らしい言葉があるが、この場合の沈黙は無回答でしかない。示す答えが目の前にないことを、俺は彼女に提示しているつもりだった。


「私ね」


 そんな俺の沈黙を理解したのか、それとも無視をしたのかはわからない。それでも彼女は口を開いていた。


「ずっと前から健くんのこと、気になってたんだよね」


 歩く足先が街灯へと近づいていく。暗闇の中に泡を弾けさせたような、スポットライトにも似ている光の中に、彼女の体は包まれようとしている。まるで、世界にそう演出を迫っているように。


 俺は彼女の言葉を飲み込みながら、そのうえで彼女の振る舞いに目を向けていた。言葉に意識を引っ張られていたのかもしれない。彼女の言葉は、唐突で、意外としか思えなかったから。


「周りの男子よりも、なんか大人っぽくて。……正直、別に格好いいところとかあるわけじゃないし、運動が得意でもなさそうだし、きっと普通なんだろうけれど、でも、なんかほかの人よりも大人に見えてた健君が、ずっと気になってた」


 彼女の言葉を耳に入れて、そのうえで俺は、違う、と返答をしたかった。


 大人っぽく見えていた、というのであれば、それは大人っぽく振舞っていただけにすぎない子供だったこと。きっと、大人になろうとする子供ほど子供でしかないこと。そして、それでももし俺が大人のように見えていたのであれば、柚乃に対して犯した罪が、犯し続けている罪がそう見せていたこと。


 だが、それを口に出すことはできない。口に出すことは許されない。今さらだとも思う。きっと、彼女は気づいているのかもしれない。わからない、柚乃が伝えている可能性だってある。いや、それはないだろう、違う、俺は言葉を吐きだすことを選択したくないだけなのだ。


「健くんとは違う高校に通うことになっちゃったけど、そこの男子と比較しても、やっぱり健くんだけはなんか違う。……今日も、偶然会って、それで確信した」


 違う、違う違う。俺は、そんなやつじゃない。


 そう返したかった。そう吐き出すことができればよかった。だが、それをする勇気は俺に持ち合わせてはおらず、言葉にする勇気を未だに見つけることができていないからこそ、俺はここにいる。


 柚乃にだって、言葉を吐きだすことができていないのに。


「私、好きなんだ。健くんのこと。……好き、きっと好きなんだよ」


 街灯に照らされている彼女の表情が、紅潮しているのが視界に入る。雪の冷たさに閉ざされているだけが、赤くなっている理由ではない。照れくさいように、視線を逸らしながらこちらに向けて吐く言葉は、どう見たって好意に染まっていた。


 そして、彼女は改めて言葉を吐く。


「健くんは、まだ柚乃ちゃんと付き合ってるの?」


 答えを明かせ。


 世界がそう言うように、彼女は心臓に針を刺すような言葉を、重い声で吐き出した。


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