09


 もっと厚着になってから外に出ればよかったと、後悔した時にはもう遅かった。


 覚悟はしていたはずなのに、想像以上の冷たさが頬の芯を撫でるような感覚に襲われる。彼の部屋の中で徐々に温くなっていく空間に身を浸していたせいかもしれない、いつにもまして凍える体に私は背筋を震わせた。


 それなのに、妙に熱く感じる頬の心地もある。照れているわけでも、何かしらに感情を覚えているというわけでもないのに、感情的な動きをする頬に、私は既に冷えてしまった指先を頬にあてた。それでマシになるか、と誰かに聞かれれば、少しくらい、と返答することはできたかもしれない。


 彼の家から出て、外を見上げれば曇天としかいいようのない灰色がそこには重なっている。だが、今日に関しては雪が降るということはなさそうだった。


 先週こそは過多とも言える積雪量によって、行き場をなくすように彼の家にこもっていたというのに、目の前にある白と灰の景色は少しずつアスファルトの色を取り戻しつつある。


 傍らに退けられている雪の残骸を見て、私は息を吐くだけ吐いてみる。それで何かが変わるわけでもないけれど、白む景色を目の前に移して、どこか自分が世界に上書きをしているような楽しさを感じることはできそうだった。


 ともかく、コンビニにさえ行けば何とかなる。


 寒さによって、今日出かける必要はないんじゃないか、という自分を助けるための衝動が心を蝕んだけれど、どうせ彼が遅く帰ってくる、というのであれば退屈をつぶすためにそうするしかない。私は諦めたような気持ちで雪に足跡をつけていく。


 コンビニは近場にはなかった。近場にあるのは生活に必要である食用品が並べられているスーパーマーケット、そしてそれを中心に囲うように配置されている雑貨のそれぞれ。その中に私が目的としているものはなく、とぼとぼと私は少し遠くにあるコンビニへと足を向けるしかない。……もし、売られていたとしても、知り合いがいそうな場所で買うことはこの先もないだろうけれど。


 まあ、ちょうどいいだろう。彼が帰ってくる時間はわからないけれど、無意味にゲームを起動するだけの時間よりかははるかにマシだと思う。


 きっと、距離で計算すればさほどのものではないことは確かだが、それでも雪が残っている道を歩くときはその分だけ足の進みが遅くなる。


 靴底に冷える雪の感触、まとわりつくようにしてくるそれはだんだんと足を重くさせていき、最初に踏み出した一歩よりも感覚は狭くなっていく。それが重さの所為なのか、それともとうに凍えてしまったゆえに動くことに億劫さを感じてしまったのかはわからない。わからないし、理解するつもりもない。こんなのはくだらない思考遊びでしかない。歩くときに考えるくだらない暇つぶし。それでも足は動くのだから、それならばその先へとむけて歩くことを選択し続ける。


 はあ、と何度目になったのかわからないため息を吐き出した。肺にこもった熱を空に還元して、より一層白くなる景色に、どこか憂いを覚える私は何かを間違えているのかもしれない。


 ……いや、考えても無駄だ。今さらの話でしかないのだから。


 そうして私は着実に足を前へと進み続けた。





 思ったよりも早くコンビニへとたどり着くことができたような気がする。


 入店する際に歓迎を報せる電子音を耳に聞き入れながら、コンビニ後方の上部へと視線を移せば、先ほど見た時間から十数分ほどの時間しか経っていないアナログの時計が視界に入る。


 それほどまでに早足でここへと向かっていたわけでもない。無心であったわけでもない。歩くたびにちらつく雪の山を見て、子どものころのように遊んでみたい、という誘惑があったり、それを思うたびにもうそんな歳でもないと自分を説得したり、相応の時間を過ごしていたはずだけれど、それでも早くにコンビニへとたどり着いてしまった。


 もしかしたら、私がそうこうしている間に彼は家に帰ってきているかもしれない。こういう時の入れ違いのようなものは、どこかでよく発生するものだから、きっとそうだ、という気持ちが私の中に生まれてくる。


 予感めいたものでしかないのに、それを真に受ける自分はどうかしている。俗に言う女の勘、というやつなのかもしれないが、それを考えるのもどうかしている。どこか気持ちが逸っているとしか言いようがないかもしれない。


 ……兎にも角にも、まずは目的のものを買わなければいけない。そうでなければここに歩いてきた意味なんてないし、またここに来る、という二度手間を明日以降に重ねてしまう。それは流石に面倒だし、一階で手間が省けるのであれば、そっちの方がいい。


 私は慣れたように知っている場所へと歩いていき、その下段の方へと隠すように置かれているそれを探してみる。


「……」


 ……なかった。私が目的としていたものについてはなかった。


 一応、ほかの種類のものはあるにはあるけれど、厚さに対して不安を抱いてしまうから、それを買うことはしたくはない。もしかしたら心地のようなものは変わるのかもしれないけれど、その心地に飢えているほど彼との情事で満たされていないわけでもない。


「……はあ」


 白くならない溜息を吐いた。


 こうなったら、違うコンビニまで行くしかない。いや、どうせなら一度帰ってから、彼と一緒に買いに行くでもいいし、もしくは後日に後回しにするのも悪くはない。


 なんというか、甲斐がないな、と思ってしまう。ため息は静かに重なっていき、憂いが更に心へと重くなる感覚。


 私は、何をしているんだろう。


 考えてはいけない、とわかっているはずなのに、いつまでもそんなことを考えてしまう自分がいた。



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