消えぬ炎

はぁ……はぁ……炎の中を、少女とその姉は必死に駆けていた。


燃え落ちる枝が雨のように降り、血の嫌な匂いが肌に貼りつく。


遠くで人の断末魔が上がり、その声を笑う魔族たちの声が鋭く耳を刺した。


「私はもういいから……姉さんだけでも逃げて……!」


少女の左肩には黒い矢が突き刺さり、滴る血が土を赤く染めていく。


「絶対に……姉さんが守るから! だから諦めないで!!」


必死に投げかける声を、低い怒鳴り声がかき消した。


「おい! こっちにエルフのガキと女がいるぞ!」


炎の揺らめく奥から豚の頭をした魔族、オーク10人ほどが少女とその姉を囲むように集まってくる。


「おー?よく見たらいい女だな!こいつ捕まえて売り飛ばせばいい金になるんじゃねーか!?」

「ブヒヒ……そうだな!ガキの方もこりゃもうちょっと成長したら中々に良さそうな女になりそうだな!」オークがゲスな笑みを浮かべニタニタと笑う。


「私の後ろに隠れてて……」

姉は少女を背に抱き寄せ、全身で庇うように立ち塞がった。


「おー? 弓なんか構えてよ……この人数に勝てるつもりか?」

オークたちが下卑た笑みを浮かべたまま、剣や斧を構えてじわじわと距離を詰めてくる。

 

「いい?私が奴らを引き止める。そのあいだに、あなたはこのまま真っ直ぐ逃げるの。

人族の国まで行けば、きっと騎士たちが助けてくれるから!」


「……そんなの無理だよ!姉さんを置いていけるわけないよ!!」


少女は震える手で姉の服の裾を掴み、必死に首を横に振った。


「なんだぁ? 妹だけでも逃がそうって魂胆か?泣ける姉ちゃんだなオイ」


モヒカン頭に眼帯をつけたオークが下卑た笑みを浮かべ、少女の姉に指を指さして嗤う。

「ブヒヒッ、感動したわ〜。ほらお前ら、見てみろよ」


他のオークもそれに釣られ、武器を下ろし下品な笑い声を上げる。


――その瞬間だった。

姉の指が弦を離す。

三本の矢が、風を裂いて一直線に放たれた。

  

「ブヒッ……!?」

三本の黒い矢は、躊躇なくオークの額に突き刺さり――生臭い音が辺りに響く。三体の巨躯がその場に崩れ落ち、土を蹴散らして転がった。


「早く!逃げなさい!姉さんは必ず追いかけるから!」

姉はそう言うと少女の背を強く押し、前へと送り出した。


「てめぇ……! よくも仲間を――!」

倒れた仲間を見やるとモヒカンのオークが怒号をあげる。すると残されたオークたちも顔が歪み、武器を掲げ迫り詰めてくる。だが、姉はためらわずに腰を引き絞り、次の矢を番えた。


「今よ!姉さんは大丈夫だから走りなさい!!」


少女は振り返らず、ただ姉の言葉を胸に刻んで全力で駆け出す。燃え立つ森の煙が背後で渦を巻き、彼女の小さな足跡は赤い夕焼けに消えていった


どれほど走ったのか、もうわからない。

喉が痛み、肺は息を吸うたびに悲鳴を上げる。


燃え落ちる木々から上がる煙を吸い込んでしまったせいで、呼吸がうまくできない。


視界が白く霞み、世界の輪郭が崩れていく。

耳の奥でキーンという音が鳴り、周囲の音がどんどん遠ざかっていく。


――それでも、少女の足は止まらなかった。


転びそうになるたび、姉の声が鼓膜の奥で蘇る。

走りなさい――

姉の言葉が、少女の体を前へと押し続けていた。


「ケホッ……」

ついに限界を迎えた少女が崩れ落ちる直前、前方から地を震わせる蹄音が近づいてきた。


「おい! ……大丈夫か!?」


 馬を止めた男が少女を抱き上げる。

 漆黒の甲冑を着た、髭面の男だった。


「助けて……姉さんが……」少女は霞んでいく意識の中で必死に男に助けを求め、意識を失った。


アルウェンたちが王の間へ足を踏み入れると――

 ひときわ目を引く男が、玉座の脇に立ち迎え入れていた。


 流れるように整えられた金の長髪は、差し込む陽光を浴び淡く輝き、中性的で端正な横顔は、まるで絵画から抜け出した肖像画の人物のようだ。


その額には、精緻な紋様を刻んだ金の王冠が静かに輝いていた。

 

声を張り上げるでもなく、ただ立っているだけで、王だとわかる様なオーラが漂っている。

 

圧でも威圧でもない。揺るがぬ核のような存在感を放っていた。


 年の頃は三十代半ばほどに見えるが、落ち着いた立ち振る舞いと、深い翠の瞳に宿る静謐さからは、

 長命種であるエルフ特有の悠久を生きる者の気配を帯びていた。

 

「おお、アルウェン殿――よくぞ参られた!

 私はこの国を治める、セラフィード・サタルディアです!」

 

「この王都エルダリオンに、あなたほどの英雄が足を運んでくださるとは――

これは国を挙げての吉兆。盛大に歓迎せねばなりませんな!」


その顔には柔らかな笑みが浮かび、まるで旧友を迎えるかのように両腕を広げていた。

 

アルウェンは一歩進み出ると、胸に手を当て深く一礼した。


「もったいないお言葉……。

 この度はサタルディア王国での滞在を許していただき、感謝いたします。セラフィード陛下。

 ですが俺はただ――剣を振るってきただけにすぎません」その声には謙遜が滲み出ていた。


セラフィード王は玉座から立ち上がり、堂々とした声で続けた。

「アルウェン殿、あなたの名は既に我が民の耳にも届いておりますぞ!

 特に三年前、“反乱の魔王”を討ち果たされたその戦い――我が兵の多くも参戦しており、今も彼らは『勇者アルウェンに救われた』と語り継いでいるのです!」


「……救えなかった者も、数え切れないほどいます。俺はただ……剣を振るっただけですから」


 その言葉に、リリシアは思わずアルウェンを見た。普段は決して揺らがない彼の横顔に、影が落ちているのを見逃さなかった。


「……あんた、またそうやって背負い込んで。ほんと、バカね」

声にはわずかな苛立ちが混じるが、その瞳はどこか優しかった。

 


 セラフィード王が、静かに頷く。

「……その悔いを抱く心こそ、英雄の証でしょう。しかし、どうか忘れぬように。あなたが剣を振るったからこそ救われた命も、民の笑顔もここにあるのです」


翠の瞳は揺るがず、だが温かさを湛えていた。

「私も王として、幾度も守れぬ命に苦しんできました。だからこそ――あなたの存在を、我が国は誇りとするのです」


その言葉に、広間に集まった近衛たちがざわめく。

尊敬と憧れが入り混じった視線が、一斉にアルウェンへ注がれる。


アルウェンは国王や周りにいる兵隊たちからほんのわずかに視線をずらし伏せた。


セラフィード王は微笑を浮かべ両手を広げて続けた。


「ちょうど明日は、このサタルディアで一年に一度の《シルヴァリア祭》があって、森の女神シルヴァリアへ感謝を捧げ、繁栄を祈る祭典があるのですがよければ是非アルウェン殿たちには、祭りを楽しんでいただきたい!」


アルウェンは一礼し、口元に柔らかな笑みを浮かべる。

「陛下のお心遣い、ありがたくお受けします。」


「そうだ……明日の《シルヴァリア祭》“シルヴァリア奉剣祭”を行うのですが!アルウェン殿、もしよろしければ一手、ご披露いただけぬか?」


王の言葉に近衛や兵士たちが「おおっ……勇者殿が出られるのか!?」とざわめき始める。


参加者は王国の近衛、各地の騎士、流浪の剣士など、観客は庶民から貴族、そして王族まで揃い、国中が沸き立つ一大行事らしい。


試合内容は簡単で


・一対一の模擬戦

 

・刃を潰した儀礼用の剣を使用(武器はこの地の鍛冶師が参戦者ごとにあつらえて仕立て上げるが、魔石などの取り付けは不可とする)

 

・「殺さず、技を競う」が原則


・先に相手の体勢を崩すか、王の裁定で勝敗を決めるものとする

 

優勝者には「シルヴァリアの剣」の称号が与えられ、国王から褒美や名誉が授与されるというものらしかった。

 

正直……称号には興味ないけど大会の内容自体は興味がある、それにしても……


ファリシアが何も言わず、ただ見つめてくる。

逃げ道を塞ぐような眼差し。

その視線だけで、彼女の心の中が充分すぎるほど伝わってくる。


「わかりました!明日のシルヴァリア奉剣祭ですが、是非参加させて貰います!」

兵士たちが、うぉー!!という歓声を上げると、うれしそうに飛び跳ねているファリシアの姿が見えた。

  

エルダリオンの王の間での謁見を終えた後、ファリシアが嬉しそうに王都の宿屋へと案内してくれた。


サタルディアの街並みに自然と溶け込むように建てられた宿屋は、人工的に削り出された木材ではなく、シルヴァリアの森で育った大樹を切り出し、自然の曲線をそのまま活かし加工した木材が組み合わされている。


壁面にはツタや苔が絡み、まるで呼吸をしているように瑞々しい緑が宿を覆う。

屋根は厚い枝を束ねて作られており、季節ごとに葉が芽吹き、風に揺れるたびに心地よいざわめきを奏でる。


窓枠は丸みを帯び、そこから漏れる灯火は森の中に浮かぶランタンのように柔らかく光っていた。


部屋の扉には「森の女神シルヴァリア」の紋様を刻んだ装飾が施されており、光が差し込むと、その紋様が影となって床に模様を描きだす。

 

部屋に荷物を置いたところで、アルウェンが窓辺に腰を下ろし、外の街並みを眺めながら口を開いた。


「ファリシアさん?」

「はい?勇者様、なんでしょう?」

ファリシアはごく自然な所作で椅子に腰掛け、まるでそれが当然であるかのように真っ直ぐアルウェンを見上げていた。


「……いや、その――なんでお前まで部屋に来てるんだ?」

 

「護衛です!」

ファリシアは胸を張って言い切る。その声色からは迷いなど一欠片も感じさせないものだった。

 

「護衛って……ここは宿屋だぞ!?しかも王都の中心だ。街の外じゃあるまいし!?」


「油断は禁物です!」 ファリシアは胸を張り、当然と言わんばかりに言い切った。 「剣を握る者は、どこであれ常に備えよ――父の教えです!」


(真顔で言うなよ……そのまま信じ切ってるのが一番タチが悪い)

 

「……父?」

アルウェンは思わず眉を上げる。ファリシアの父が誰かを、この時点で深くは知らない。


だが、その凛とした眼差しには確かな信念があった、そんなファリシアの顔を見ているとアルウェンはふと思った。


「なんかよく見るとファリシア……セラフィード国王に何処か似てる気がするんだが?」


ファリシアは瞬き一つせず、さらりと答える。

「はい!セラフィードは父ですから!」


「……………え?」

間を置いて、アルウェンの眉がピクリと動く。


「だから、セラフィードは私の父上ですよ!」

当たり前のように言い切るファリシア。


アルウェンは数秒固まり、やがて大きくため息をついた。

「おい待て……それってつまり――ファリシアは、王女様ってことだろ?」


「ええ、そうです」ファリシアは無表情で即答した。


「いやいやいやいや!なんでそんな大事なことを今さら言うんだよ!」

「え? 聞かれなかったので……」


アルウェンは頭を抱え、思わず窓辺に突っ伏した。

「……頼むから、そういうのは最初に言ってくれ……」


ファリシアは小首をかしげ、まるで悪びれもせずに返す。

「大切なのは誰の娘かではなく、誰として戦うかですから!」


「……マジかよ」アルテミシアも知ってて黙ってたやつだな…そういう事説明するの面倒くさがってしないだろうし。


ファリシアは椅子に座ったまま、目を輝かせ身を乗り出した。


「勇者様!そんな事より!三年前、“反乱の魔王”との戦いの時!あの突撃、一体どうやって突破口を開かれたのですか!?」

「えっ、あー……普通に、剣で斬っただけなんだけどな……」

「普通に!? あの規模の魔族軍の包囲を突破した時のあの連撃がですか……!?」

「いや、だから……」


畳みかけるように続く、ファリシアの質問は止まらなかった。


「それと!レッドドラゴンを討伐した時! 火炎をどうやって防いだんですか!? やっぱり剣の斬撃で!?それとも魔法で!?」

「……いや、ただの反射神経だ」


「反射神経!? やっぱり規格外ですね……! それと、立ち寄った村の犬を探してあげたって本当ですか!? 畑仕事も手伝ったって聞きましたが!」


「おい、なんでそこ混ぜるんだ……!? てか情報が妙に細かいな!?」

アルウェンが思わず突っ込みを入れると、ファリシアは目を輝かせたまま、きっぱりと答える。


「勇者様のことなら、調べ尽くしておりますので!!」瞳がキラーンっと光っている。

「……そ、それはどうも……あはは」いやいや、普通に怖いんだが……


「……でも、勇者様」ファリシアがまっすぐにアルウェンの瞳を見つめる。

声色はいつの間にか、先ほどまでの熱っぽい調子ではなく落ち着いたものに変わっていた。

「先ほど、父の前で言っていましたよね。――救えなかった者も、数え切れないほどいる、と」


アルウェンの表情がわずかに固まる。

ファリシアは続けた。


「私には、勇者様がそう思ってしまう気持ちは正直分かりません……。けれど……」

一呼吸おき、真剣な声で言い切る。


「三年前、反乱の魔王との戦いで勇者様が、仲間を守り抜いて戦う姿を見て……それが、私の目指す剣の在り方だと思ったんです」


アルウェンはわずかに目を見開き、言葉を失う。

ファリシアは小さく微笑み、だがその瞳は真剣だった。


「だから、救えなかった者のことばかり考えないでください。――救えた命も、救われた心も、確かにここにあります」


窓の外では森のざわめきが夜風に揺れ、淡い月光が部屋に差し込む。

アルウェンは少しの間、視線を窓の外に逸らした後、ゆっくりとファリシアの方へと戻した。


「……お前、結構ズルいこと言うな」

苦笑を浮かべるアルウェンの声には、先ほどまでの影がほんの少しだけ薄れていた。


「えへへ、そうですか!?――私にとって、勇者様は剣の理想そのものです!」


その言葉は、まるで誓いのように重くも清らかに響いた。


「剣で守られる命がある限り、勇者様の歩みは決して無駄じゃない。だから……どうか自分を責めないでください!私は勇者様の事を、世界で一番誇りに思っているのですから!」


アルウェンは言葉を失いかけながらも、わずかに頬をかき、照れ隠しのように笑う。

「……ありがとう、ファリシア。そんなふうに思ってくれる奴がいるってだけで、少し……救われる気がするよ」


ファリシアが、はにかむように、それでも誇らしげに笑う。

「私は本心を言っただけです!なんたって私!勇者様の大ファンなんですから!」


「そっか……そういえばファリシアは明日の剣技競技、参加するのか?」

まぁあんな視線送ってきてたし、出ないなんてことはないだろうけど……。


「もちろんですよ!勇者様と手合わせしたいですし!!」

即答するファリシア。


「ほほう。でもルールは勝ち抜き戦だろ? 上まで上がってこれるのか?」

アルウェンが少しからかうように言うとファリシアが自信気に答えてくる。


「大丈夫ですよ!勇者様!私こう見えても強いので!」


自信満々に胸を張るファリシア。その瞳は、まるで「決勝で待ってます」と言わんばかりにギラギラ輝いていた。


「じゃあ、明日のシルヴァリア奉剣祭、楽しみにしてるな!」


「もちろんです!勇者様!」アルウェンとファリシアが握手すると、

突如扉を叩く音が聞こえ、返事を待たずに、勢いよくリリシアが飛び込んでくる。


「アルウェン夕食の準備ができ――って……な、なによこの状況!?」


リリシアはファリシアがアルウェンと打ち解ける様子を見ると少しだけ唇を尖らせる。


「ふん……なんだか仲良しさんね。べつに気にしてないけど?」

その言葉とは裏腹に、視線はどこか落ち着かない様子だった。

  

ファリシアはリリシアの姿を見るやいなや、すかさず胸を張って言い切った。


「勇者様の護衛です!」


「宿屋で護衛!? そんなの普通ありえないでしょ!」


リリシアは思わずツッコミを入れる。

アルウェンは内心(……だよな、俺もさっき似たような事を言った……)と共感しながら額を押さえた。


しかしファリシアは涼しい顔で言葉を重ねる。

「父から教わったのです。剣を握る者は、常に備えなければならないと!」


「……父?」リリシアが首をかしげると、ファリシアはさらりと答えた。

「はい!セラフィードです!」


「…………えっ?」

リリシアの思考が一瞬で停止する。


「セラフィードって……こ、この国の……国王陛下!? ってことは……」

リリシアは目を見開き、信じられないという顔でファリシアを指差す。


「一応……私はサタルディア王国の王女なんですよね、まぁ王女らしさなんてないかも知れませんが……エヘヘ……」


「な、なななっ……なによそれぇぇぇぇぇ!!」

リリシアの叫びが部屋中に響いた。


「あんたね、そういう事ははじめに言いなさいよ!」


ファリシアは「えへへ、ごめんなさい」と舌をちょこっと出して、子供のように笑った。

「勇者様にも同じこと言われちゃいました……」


その様子を見たリリシアは、思わず手を腰に当ててため息をつく。

「……まったくとんでもないお嬢様ね」


呆れながらも、その目にはほんのわずかに柔らかい笑みが浮かんでいた。


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