猫と毛布

@ant0105

第1話

窓の外は、しとしとと雨が降っている。


部屋の中は、少しひんやりとしていて、僕は古びたソファに深く腰掛け、膝の上に厚手の毛布をかけていた。傍らには、愛猫のミケが丸くなって眠っている。その規則正しい寝息が、静かな部屋に小さく響いていた。


僕は、淹れたてのコーヒーが入ったマグカップを両手で包み込むように持ち、その温かさを感じながら、ゆっくりと一口、口に含む。ほんのりと苦く、そして優しい香りが、僕の心をじんわりと温めてくれる。


特に何をするでもなく、ただこうして、ミケの寝息を聞きながら、コーヒーを飲んでいる。窓の外の雨音は、まるで子守唄のように優しく、僕の心を穏やかに包み込んでくれる。


ふと、ミケが小さく身じろぎをした。そして、目を細めながら、僕の方を見上げる。その瞬間、僕の心に小さな幸せが満ちていくのを感じた。


「おはよう、ミケ」


僕は、小さな声でミケに話しかける。ミケは、喉をゴロゴロと鳴らしながら、僕の手に頭をすり寄せてきた。その柔らかな感触が、僕の心をさらに温かくしてくれる。


今日は、特に予定もない。ただこうして、ミケと一緒に、ゆっくりと時間を過ごそう。


外の雨は、まだしばらく止みそうにない。でも、この部屋の中は、暖かくて、穏やかで、そして、小さな幸せに満ちている。


僕は、再びコーヒーを一口、口に含む。そして、ミケの頭を優しく撫でながら、窓の外の雨景色を眺めた。


この瞬間が、永遠に続けばいいのに。


そんなことを、ぼんやりと考えながら、僕は、今日もまた、小さな幸せを噛みしめていた。


しばらく、ミケと二人きりの静かな時間を楽しんでいた。時折、ミケが小さく鳴く声と、雨が窓ガラスを叩く音だけが、この部屋のBGMだった。


ふと、昔のことを思い出した。


まだ、ミケと出会う前のこと。あの頃の僕は、毎日、仕事に追われ、時間に追われ、心に余裕なんて全くなかった。休日は、疲れ果てて、家でただぼーっとしているだけ。そんな日々が、当たり前だと思っていた。


でもある日、偶然立ち寄ったペットショップで、小さな子猫と目が合った。それが、ミケだった。


ケージの中で、寂しそうに鳴いていたミケ。その姿を見た瞬間、僕の心は、なぜか締め付けられるような感覚に襲われた。そして、気づいた時には、ミケを家に連れて帰っていた。


それからの日々は、まさに一変した。ミケの世話をするために、早起きするようになった。ミケと遊ぶために、仕事も効率的にこなすようになった。そして何より、ミケがいるだけで、僕の心はいつも温かく、穏やかになった。


ミケは、僕に「小さな幸せ」を教えてくれた。時間に追われることだけが、人生じゃない。こうして、ゆっくりと流れる時間の中にこそ、本当の幸せがあるんだって。


「ありがとう、ミケ」


僕は、ミケの頭を優しく撫でながら、小さな声で呟いた。ミケは、気持ちよさそうに目を細め、喉をゴロゴロと鳴らしている。


その時、インターホンが鳴った。


こんな雨の日に、誰だろう?


僕は、少し不思議に思いながら、玄関へと向かった。ドアを開けると、そこには、隣に住むおばあさんが、ずぶ濡れになって立っていた。


「ごめんなさいね、こんな時間に…」


おばあさんは、申し訳なさそうに言った。


「どうされたんですか?」


僕は、驚きながら尋ねた。


「あのね、飼っていたインコが、窓から逃げちゃって…」


おばあさんは、今にも泣き出しそうな顔で言った。


「それで、一緒に探して貰えないかと思って…」


雨の中、一人でインコを探すのは大変だろう。僕は、二つ返事で承諾した。


「わかりました。一緒に行きましょう」


僕は、急いでレインコートを着て、傘を持って、おばあさんと一緒に外に出た。


雨は、さっきよりも強くなっている。僕は、おばあさんが濡れないように、傘を差し出しながら、一緒にインコを探し始めた。


「ピーちゃん、ピーちゃん!」


おばあさんは、雨の中、悲痛な声を上げながら、インコのピーちゃんを探していた。その姿は、まるで迷子の子供を探す母親のようで、僕の胸は締め付けられるような思いだった。


「おばあさん、一緒に探しましょう。きっと見つかりますよ」


僕は、おばあさんを励ましながら、一緒に辺りを見回した。しかし、雨足はどんどん強くなり、視界も悪くなっていく。


「ピーちゃんは、どんなインコなんですか?」


僕は、少しでも手がかりを得ようと、おばあさんに尋ねた。


「黄色い体に、頭のてっぺんだけ少し緑色なの。とっても人懐っこくて、おしゃべりな子でね…」


おばあさんは、ピーちゃんの特徴を話しながら、ポロポロと涙をこぼした。その姿を見て、僕は何としてもピーちゃんを見つけたいと強く思った。


それから、どれくらい時間が経っただろうか。僕たちは、近所の公園や、木々の間、建物の軒下など、あらゆる場所を探し回った。しかし、ピーちゃんの姿はおろか、鳴き声すら聞こえてこない。


「おばあさん、一度、家に戻って、暖かいものでも飲みませんか?このままでは、風邪を引いてしまいます」


僕は、ずぶ濡れで震えているおばあさんを心配して、そう提案した。しかし、おばあさんは、首を横に振る。


「いいの。ピーちゃんを見つけるまでは…」


その時だった。


「ピィ…」


どこからか、か細い鳴き声が聞こえてきた。


「今の声、もしかして…!」


僕とおばあさんは、顔を見合わせ、声のする方へ駆け寄った。声は、近くの大きな木の下から聞こえてくる。


木の根元に目をやると、そこには、黄色い小さな塊がうずくまっていた。


「ピーちゃん!」


おばあさんは、叫びながら、その小さな塊に駆け寄った。それは、紛れもなく、おばあさんのインコ、ピーちゃんだった。


ピーちゃんは、雨に濡れて、すっかり弱っていた。おばあさんは、ピーちゃんを優しく抱き上げ、自分の胸に抱きしめた。


「ピーちゃん、良かった…本当に良かった…」


おばあさんは、涙を流しながら、何度もピーちゃんに語りかけていた。ピーちゃんも、おばあさんの温もりを感じて、安心したように目を細めている。


その光景を見て、僕の心は、温かいもので満たされていった。


その後、僕たちは、おばあさんの家で、暖かいココアを一緒に飲んだ。ピーちゃんも、すっかり元気を取り戻し、おばあさんの肩の上で、楽しそうにおしゃべりをしている。


「本当に、ありがとう。あなたのおかげで、ピーちゃんを見つけることができました」


おばあさんは、何度も僕にお礼を言った。


「いいえ、無事に見つかって、本当に良かったです」


僕は、そう答えながら、おばあさんとピーちゃんの姿を、微笑ましく見つめていた。


雨は、いつの間にか止んでいた。窓の外には、雨上がりの柔らかな光が差し込んでいる。


僕は、おばあさんの家を後にし、自分の家へと戻った。玄関を開けると、ミケがニャーと鳴きながら、僕を出迎えてくれた。


僕は、ミケを抱き上げ、その温もりを感じながら、今日の出来事を振り返った。


雨の中のインコ探しは大変だったけれど、おばあさんとピーちゃんの再会に立ち会うことができて、本当に良かった。


小さな命を救うことができた喜び。そして、人と人との繋がりの温かさ。


今日の出来事は、僕にとって、また一つ、かけがえのない「小さな幸せ」となった。


僕は、ミケをソファに下ろし、自分もその隣に腰掛けた。そして、ミケの頭を優しく撫でながら、窓の外の景色を眺めた。


そこには、雨上がりの澄んだ空と、優しく輝く夕日が広がっていた。


この美しい景色のように、僕の心もまた、穏やかで、温かいもので満たされていた。

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