第8話「届かない想い、静かな約束。」
金色のシャンデリアがきらめき、華やかなピアノの旋律が静かに流れる。
グランドオープンを目前に控えた「オーシャン・グラン・リゾート」のメインホールは、上質なシャンパンの泡のような軽やかさと、格式ある雰囲気が見事に調和していた。
リノは、濃い紫のドレスに身を包み、長い黒髪をゆるやかに巻いていた。
その清楚な美しさは、場の空気を一層引き立てるようだった。
「工藤さん、さすがですね。今回のキャッチコピー、ホテル側からも絶賛されていましたよ。」
グラスを片手に微笑むのは、クライアント企業の広報部長。
リノは作り笑顔を浮かべながら、軽く会釈する。
「ありがとうございます。素敵なホテルなので、その魅力を言葉で最大限引き出せたらと思いまして。」
そう答えるリノの周りには、彼女と話したいと望む男性たちが集まり始めていた。
「工藤さん、ワインはお好きですか?」
「この後、もう少し静かなラウンジでお話でも…?」
リノは、丁寧に微笑みながらも、心のどこかでうんざりしていた。
パーティーのこういう雰囲気が苦手だった。
表面上はうまく対応しているつもりだったが、知らないうちに息苦しさを感じ始めていた。
彼女のそんな様子を、一は少し離れた場所から見つめていた。
新卒ながら、抜群の仕事ぶりで名をあげてきていた彼は、次から次へとクライアントたちとの挨拶を終えたばかりだった。
手元のグラスにはほとんど口をつけていない。
彼の視線は、ずっとリノに向けられていた。
華やかな人々の輪の中にいる彼女は、まるで光を纏う女神のように見えた。
けれど、どこか無理をしているように感じた。
(…リノさん、少し疲れてる?)
仕事で何度も顔を合わせ、彼女の表情の変化を敏感に感じ取れるようになった一には、リノの心がここにはないことがわかる気がした。
ふと目を離した瞬間、彼女の姿が消えていた。
心臓が軽く跳ねる。
(どこ行った…?)
一はグラスをテーブルに置き、静かに会場を後にした。
会場の外に出ると、夜の風がほのかに潮の香りを運んできた。
美しく整えられたフラワーガーデンには、噴水の水音が響いている。
そして――。
ベンチに座る紫のドレスの女性の姿があった。
リノだった。
だが、一歩踏み出そうとした一は、足を止める。
彼女の表情が、泣きそうだったからだ。
普段、完璧な仮面を被っているリノが、今はひどく無防備に見えた。
声をかけるべきか、迷う。
だが、気づけば足が勝手に動いていた。
「……リノさん。」
彼女が驚いたように顔を上げる。
「あれ、佐伯くん?」
声がかすかに震えていた。
「どうしたんですか?」
「……ちょっと、息抜きしたくて。」
リノは笑おうとしたが、目がどこか虚ろだった。
一は彼女の隣にそっと腰を下ろした。
「パーティー、苦手なんですか?」
「……うん。」
リノは静かに答えた。
「……いつからかなあ、人と深く関わるのが苦手で。壁を作っちゃうんだよね、無意識に。」
一は、胸が締めつけられるのを感じた。
それは、まさに彼が感じていたことだった。
リノは、誰に対しても優しく、完璧で、だけどその奥に誰も入れないような冷たい壁がある。
彼女の過去に何があったのか、一は知らない。
でも――。
(俺は、その壁を壊したい。)
そう思った。
「……リノさん。」
彼女が驚いたようにこちらを向く。
「……そんな無理しなくていいですよ。」
リノの目が、一瞬揺れる。
「俺は……」
言いたい。
本当は、ずっと好きだったこと。
けれど、一はその言葉を呑み込んだ。
今の彼女には、そういう言葉は負担になる気がしたから。
リノは、少しの間沈黙した後、小さく笑った。
「ありがと。」
夜風が、二人の間を通り抜けていく。
もどかしい沈黙。
けれど、それでも。
彼は、彼女の隣にいることを選んだ。
(この距離が、いつか縮まることを願って――。)
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