第24話「スウィート・プディング」
夕方、五時。
オレンジの光が空を包んでいる。
揺れるレースカーテンの奥。
寮の自室では真雪と氷影がふたりだけでいる。
「それでは、本日も」
「はいっ」
氷影が来てから三週間。
それまでの態度を改めさせられたのは、なにもティアと奏だけではなかった。
灰銀家当主である真雪もまた、一から立ち居振る舞いを見直させられたのだった。
「背筋は伸ばして。けれど張り詰めないように。歩みは早すぎても遅すぎてもいけません。スカートの揺れさえ制御してこその『気品』です」
氷影は、容赦がない。
だが、ただただ厳しいだけかと言えばそういうわけでもない。
『必要なことだからおこなっている』という、どこか機械的な割り切りを感じさせるのだ。
事実、訓練の時間を過ぎれば氷影は三人を気遣い、労う。
手早くティーセットを用意し、休憩を促す。
その奉仕は献身的であり、どこか母性を感じさせるのだった。
「そういえば真雪様」
「うん?」
「屋敷の修繕ですが、灰銀家の手配で来月には完了するようです」
「えっ、本当に!? すごいなぁ」
真雪は素直に感心した。
未だに『灰銀』という名の凄み、そのすべてを把握してはいない。
それでもなお、真雪には背負う覚悟がある。
だからこその真雪であり、真雪だからこその揺るぎない意思がある。
「それじゃあ、今月いっぱいで寮生活はおしまいだね。ちょっと寂しくなるかも」
今は部活動の時間であるため、ルームメイトの如月は弓道部にいっている。
その不在時間に潜り込み、真雪を訓練するのが最近の氷影なのだ。
それ以外の時間はティアと奏に課題付きの猛特訓を強いている。
冷たくはない。
優しくもある。
けれど、けして甘やかさない。
それが氷影という異能人形の在り方であった。
「それについてはご了承ください。あの屋敷もまた灰銀の当主が守るべきもののひとつ。ご学友との生活を軽んじるわけではありませんが、どうか」
「うん。わかってる。おじーちゃんとの約束だしね」
紅茶を味わってカップを置く真雪。
その後ろに控える氷影は、頃合いを見て真雪の身だしなみを整える。
髪をゆっくりと梳かれると、真雪はなんだか照れくさい気持ちになる。
今まで『母』と呼べる存在がいなかったため、そのくすぐったい感情の正体がわからないのだ。
「できました。それでは私はこれで」
言うなり、氷影は姿を消す。
特殊能力ではなく、視点誘導と身のこなし。
それを極めたものが操る『失せ術』。
それを目の当たりにするたび、真雪は感嘆の吐息を漏らす。
「すごいなあ、本当」
いまだに正体を完全には明かしていない異能人形である氷影だが、真雪は直感的に信に値すると理解していた。
『敵意』──。
それを全く感じることがない。
真雪はナチュラルに、自分に向けられる善意悪意を無意識下で感じ取れる。
なんとなくいいな、なんとなくいやだな、というレベルではあるが、だからこそ真実に最も近い。
「うーん……」
ティーセットを片付け、真雪はなんとなく窓際に立って外を眺めた。
「あっ」
部活動帰りの如月を見つけて、ぱっと表情が笑顔になる。
数日前なら窓を開けて「おかえり!」と言っていた真雪だが、氷影の『しつけ』によって気品アル振る舞いができるようになっていた。
カーテンを半分ほど開け、小さく手を振る。
それをみつけた如月は、まるで宝物を見つけた子どものように表情を華やかにする。
歩調もやや急ぐようなものになり、早く真雪に逢いたいという思いが見て取れた。
すっかり仲良しになったふたりの少女。
それを引き裂く闇は、今のところなりを潜めている。
つかの間の平穏。たとえそうであろうと、少女たちの青春は止まらない。
◇
「え?」
部屋に戻り、一息ついた如月。
しかし、真雪からの思いもよらぬ言葉に固まってしまう。
「うん。だからね。お屋敷の修繕、めどが立ったから、今月いっぱいで寮を出るね」
それはつまり、ふたりの同居生活の終わりを意味していた。
「そ、それは、ええ、ええ……たしかにそうなのでしょうけれど、ですが、その……」
「ん? どうしたの、如月さん」
「わ、わたくしとの暮らしがイヤになったというわけでは……」
「ええっ? ないない! 如月さんとの生活、ほんっとうに楽しいもん! だからさ、夏休みになったら今度はうちのお屋敷に泊まりにきてよ! 絶対だからね♪」
「!!」
思いもよらぬお誘いに、如月はかるくめまいがしてしまう。
(主よ、感謝します……)
とりあえず天上の神に祈りを捧げ、豊満な胸の上で十字を切る。
「お屋敷に戻ったら、本格的に灰銀の仕事もしないとだし、今が最後のバカンスだね」
「あら。バカンスだなんて、ふふっ、真雪さんたら」
おたがいに笑い合い、楽しい時間を過ごすふたり。
着替えを終え、時間を見て、食堂へと向かう──と、そこには。
「み、ミルクプリン!!」
真雪の大の好物である、ミルクプリンがメニューに書かれていた。
「私、絶対Aセットにする! うん! うん!!」
「あら。ではわたくしも」
「あー、まねっこだ~」
「ふふ。ごめんあそばせ」
すっかり仲良しになったふたりのやりとりを、ほかの女生徒たちはうらやましそうに見つめている。
真雪は人なつっこく、誰にも壁を作らない。
しかし、だからこそ自分の暗部を見抜かれそうで、声をかけられないお嬢様は大勢いるのだ。
『嫌われてしまうかも』
そう思うと、一歩を踏み出せない少女たち。
真雪ならそんな疑心暗鬼さえ笑い飛ばすとは知らぬが故に。
「真雪、おはようございます」
「まゆ様! おはようございます!」
ティアと奏は、すでに四人掛けテーブルに陣取って、またしても豪華絢爛な朝食を持参していた。
「も~! ふたりとも! 私はみんなと同じ学食が食べたいんだってば!」
困り果てて、仕方なしに怒る真雪だが、そんな主にふたりは一歩も引かない。
「ですが真雪。成長期には適切な栄養バランスが必要です」
「そうです! それに、まゆ様の味の好みはアタシが一番知ってますし!」
胸を張るティアと奏。
その豊かな胸の膨らみと『成長期』という言葉。
その両方がグサリと真雪の慎ましい胸に刺さる。
「まあまあ、ティアさんに奏さん。今日は真雪さんがお目当てのミルクプリンがあることですし、ご容赦ください」
にっこりと笑みを浮かべ、Aセット朝食を真雪の席に置く如月。
「ありがとっ、如月さん! えへへ♪」
にぱっと屈託のない笑顔を見せられ、如月の頬はわずかに赤らむ。
「こ、こほん。それではわたくしもAセットを取ってきます──あら?」
最後のひとつを女生徒が手に取ってしまう。その女子は真雪たちのやりとりには気づかず、友達と談笑しながら奥のテーブルへと言ってしまった。
「なくなってしまいました……」
しょんぼり、といった様子で如月がつぶやく。
その姿があんまりにも悲しそうだったので、真雪は思いついたアイデアを口にした。
「そうだ! 一口食べさせてあげるよ。ほんっとに美味しいんだから!」
そう言って、プリンをスプーンですくい、如月の口元に差し出す。
いわゆるこれが「はい、あーん」というやつであった。
「あらら♪ これはもう、仕方ありませんわね」
ぱっと笑顔になる如月。
それまでのやりとりが演技だとは、純粋な真雪にはばれていない。
「じゃあ、はい。あーん」
「あーん」
お嬢様としてははしたない行為であろうとも、十代少女のたわむれとしては普通だ。
しかし、周囲の視線はふたりに釘付けである。
パクっ。
「んんん~、美味です♪」
頬に手を当て、歓喜の声を漏らす。
その如月の反応に気をよくした真雪は、一緒に笑顔になった。
「でしょでしょ! えへへ、嬉しいな」
ふたりだけの世界に入られて、おもしろくないのはティアと奏であった。
「ま、真雪! 私もミルクプリンが気になります!」
「まゆ様、まゆ様、アタシにもあーんして?」
そんなことを言いながら詰め寄ってくる。
まるで祈りのようにひざまずくふたりを前に、真雪は笑顔で「はい、あーん」をしてあげた。
「はぁ……たまりません……」
「最っっっ高……」
ふたりとも、ミルクプリンの味ではなく、真雪がしてくれたはいあーんの方にうっとりとしていた。
「そんなに美味しかった? 今日のは特別なのかな、じゃあ私も──」
と、真雪が自分も味わおうとしたところで、如月とティアと奏が偶然にも声をそろえて言った。
「「「いけません!」」」
突然の制止に、びくっと身をこわばらせる真雪。
「ど、どうしたの?」
真雪が戸惑っていると、三人の手が覆いかぶさってきた。
「わたくしがっ」
「たべさせてっ」
「さしあげますっ!」
如月、ティア、奏の順番に身を乗り出し、それぞれに顔を見合わせる。
「なんですか、あなたたちは」
「あなたこそ、なんですか」
「まゆ様のお世話はあたしの仕事なのッ」
たがいに一歩も譲らない、少女同士の意地の張り合い。
そこには切った張ったの仁も義もある。
恋も、愛も、まだ定かではない。
だからこそ、今この瞬間を退くわけにはいかないのだった。
「ま、まあまあ……」
三人をいさめようとした真雪だったが、すかさずスプーンを奪われてしまう。
そして、どこから取ってきたのか、合計三つとなったスプーンに迫られる真雪。
「さあさ、真雪さん」
「真雪、私からどうぞ」
「おいしいですよ、まゆ様♪」
ずずずいっと差し出される三つのスプーン。
そのどれかを選ぶわけにもいかず、真雪ははしたなくもすべて同時に頬ばった。
「う、うんっ。おいしいねっ♪」
ニコッと、やや引きつり笑顔になってしまう真雪だったが、その表情にも如月たちはときめいた。
食堂では、しばしぽわわんとした桃色空間が広がってしまい、なかなか閉じないのであった。
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