妖刀益荒男

地辻夜行

骨皮躯血

「どこに目をつけておるか、このうつけ者が!」

 興奮する武士を前に、行商と思しき男は内心舌打ちをしながら頭を下げる。

「どうかお許しを。荷を背負っておりますので、突然道を塞がれては躱しようもございません」

 顔を赤く染め上げた武士は、整った顔立ちをした若き行商の胸ぐらを掴む。

「拙者に非があると申すか!」

 頷きたいところだったが、刺激すれば事態が悪化するのは火を見るよりも明らか。

 山と海に挟まれし山陽道を東へと急ぎ、だいぶ日が傾いたところで舞い込んだ災厄。

 すれ違うだけであったはずの武士が、急に行商の道を塞ぐようにぶつかってきたのだ。

 この備前を治める浦上家中の者であろうが、面倒なことこの上ない。片側は海ゆえ見晴らしは良いが、周囲に人の姿は見えなかった。これでは助けも期待できまい。 

 銭か荷が目的か、たんなる憂さ晴らしか、どちらにしろこれ以上頭をさげるのは馬鹿らしかった。

 どうするかと悩む彼の顔の横を、たけき風が通り抜ける。

 瞬間、絡んでいた武士が宙に鼻血をまき散らしながらふき飛ぶ。

 先程まで武士の顔があった場所には、行商の顔の横から生えた腕より伸びた大きな拳があった。

 奇妙なことにその拳からはだらりと銀色の帯が垂れている。

 布とは思えない光沢を放ち、ふたりに玉のような汗を流させる日光を、こともなげ跳ね返していた。

「こうるさい。銭が欲しいなら欲しいと言えばよかろうが」

 野太い声が頭上から降り注ぎ、行商は慌てて横に鋭く跳び、身がまえる。

 背後から近づく者の気配などしなかったのに、いつの間にか体格の良い三十路くらいの男が、もう一方の手でぼさぼさ頭をがしがしと掻いていた。行商も決して背が低いわけではないが、それでも彼より頭二つ分は背が高い。

「きさま、このような真似をしてただで済むと思うのか!」

 武士がひん曲がった鼻を押さえつつ、倒れたまま男に向かって吠える。

「何を言っておる。わしはお主を助けたのだ。こやつは行商だぞ。通行するのに領主の許可を得ておるに決まっとる。上が許可した者に下が手を出したとあっては、それこそただでは済むまいて。それでも納得がいかぬなら、遠慮なくかかってくるといい。元の顔がわからなくなるまで付きあってやろう。そうすればワシの身も安全だしな」

 男がそう言って一歩踏み出すと、武士は勢いよく立ち上がり、男と行商を避けるように大きく迂回し、青ざめた顔を歪めて走り去る。瞬時に敵わぬと悟ったらしい。

「お助け下さりありがとうございます」

 武士の姿が遠ざかると、行商は深く頭を下げ男を観察する。

 体格は立派だが身なりはみすぼらしい。服はぼろ布、草履も履いておらず裸足。まだ秋口。浜風に混ざって届く匂いもきつい。

 間違いなく浪人であろう。ただその精悍な顔つきは、人と言うよりも獣を思わせる。

彼奴きゃつのためだ。主君の役にも立てず、こんなところで死んでは浮かばれまい」

 男が顎をさすり、楽しそうに声をあげた。

 行商は目を細めたが、今の言葉には触れず背より荷箱を下ろし、中から草履を取り出すと、彼に差し出す。

夢助ゆめすけと申します。よろしければこちらをお使いください」

 男は草履には手を伸ばさず、腹を押さえて顔をしかめた。

「わしは骨皮ほねかわ 躯血くけつじゃ。夢助、心遣いは嬉しいがのう。できれば干し飯かなにかを持ってはおらんか?」

「ああ、これは気がつきませんで」

 夢助はうなずき、腰からさげた竹皮の包みを取り、草履と重ねて差しだす。

「おお、これは助かる」

 躯血は満面の笑みで包みだけを受け取り、中の干し飯を美味そうに頬張る。

 夢助は草履をさげ、替わりに水の入った竹筒を躯血に押しつけた。

「お守りいただいたお陰で銭を失わずに済みました。堺への道中、新たに手に入れる当てもございます。どうぞお納めください」

 頬に飯を詰め込んだ彼は、遠慮なく竹筒を受け取る。

 夢助は微笑し再度頭をさげた。

「骨皮様、申し訳ありませんが、次の宿場町までまだあります。私はこれで」

 踵を返し道のりを急ごうとするが、なぜか躯血が隣を歩き始める。

「お主、堺に行くと言ったか。わしは京じゃ。京の様子はわかるか? きな臭い話はよう聞くが」

 問われた夢助は歩調を緩めずに答えた。

「京へ? 確かに今は治安が悪いですな。野盗だけでなく魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこしているという噂を聞き及びます。骨皮様は何故、京に? 士官でございますか?」

 躯血は水を喉に流し込みながら首を横に振る。

「わしは人に仕えるのに向いておらん。用件はこれよ」

 突き出された彼の左手に夢助は注目する。先程から気にはなっていた。

 武士を殴り飛ばした拳は握られたまま今も開かれていない。そこには柄が握り込まれ、親指と人差し指の付け根には鍔もある。だが本来その先にあるべき刃がない。代わりにそこから伸びるのは銀色の帯。それが先ほどからかわらず、怪しい光沢を放ちながらだらりと垂れさがっている。

「これに相応しい鞘を探しておってな」

「帯に……鞘でございますか?」

「帯か。そう見えるか。たしかにそう見えるのう。まあこれにはちと事情が――」

 苦笑していた彼の目が、急に鋭くなる。

 夢助の背中を冷たい汗が流れた。その目には心臓を鷲掴みにするような迫力がある。

「夢助、面倒そうだ。わしの陰に隠れよ」

 躯血が視線を海岸に向け、夢助の緊張が解かれた。

 海岸から迫る光景に、彼は納得し素直にうなずく。

「お言葉に甘えさせていただきます」

 夢助が躯血の背後に隠れると、海岸側から街道へ五人の男が駆け足でやってくる。がらの悪そうな男たち。野盗であろうか、男の一人が脱力した女を担いでいた。男たちは躯血を一瞥するが絡んでくることなく、街道を横切り山側へと駆けていく。

 躯血の視線が集団の最後尾をいく男の腰にそそがれる。なかなかに見事なこしらえの刀が差されていた。

 躯血は柄が握られた拳を男に向ける。

「あれならどうじゃ?」

 すると垂れ下がっていた帯が、風に吹かれたようにふわりと舞ったかと思うと、地面に対し水平に伸びた。

「おお!」

 躯血が感嘆の声をもらし、自身の股間を見やる。

 布が彼の一物に押し上げられ、小山を作りだしていた。

「夢助、馳走になった。わしは野暮用が出来たでな。これで失礼する」

 振り返った躯血が、不敵な笑みを浮かべる。

「娘を助けに行くのでございますか?」

 酔狂だと言いたげに夢助が問う。

「娘? ああ、あれのことか。いや違う」    

 彼は再び垂れさがった帯を肩にかける。

「気にするでない。お主には関係のないことだからな。縁があればまた会おう」

 軽く二三度手をふると、男たちを追い山へとわけいっていく。

 夢助は街道を外れた彼を呼び止める事なく、黙ってその背に一礼し、再び東へと歩き出す。

 だが、すぐにその歩みをとめる。

「……京か。もしかしたら、使えるかもしれんな」

 そう呟いたかと思うと、夢助の姿が煙のように街道から消えた。

 一方、躯血はゆったりとした足取りで、男たちのあとを追い、獣道と思われる細き道を進む。野盗どもは木々の間を縫うように移動しているが、躯血の目はその姿を捉えて放さない。

 彼らはやがて開かれた場所にぽつんと建っていた廃寺へといたる。野盗の住みかだろうか。彼らは揃って本堂へと入り扉を閉める。

 遅れて到着した躯血は、焦るでもなく警戒するでもなく、堂々とした足取りで本堂の扉の前に立つ。

 辺りは既に暗くなったが、中からは光が漏れていた。

 灯りを用意しているという事は、定期的にここを利用しているのであろう。

 躯血は躊躇う事なく扉を開け放つ。

「なんだ、てめえは!」

 気を失ったままの女の服を剥いでいた男が、眉間に皺を寄せ怒鳴る。木製の仏像の前でひょうたんに口をつけていた男を除く四人が立ちあがると、短刀を抜き放ち、刃を躯血へと向けた。

 彼は「まあ待て」と右手を広げる。

「お前たちがその娘に何をしようとかまわん。わしはお主の腰の物を譲りうけたいだけじゃ」

 悠然と仏像の前で腰を下ろす男を指さす。

 首領らしきその男は、躯血を睨みつけひょうたんを投げ捨て立ちあがる。

「なんだ、てめえは? 落人おちうどか?」

「そんなことはどうでもよい。誤解してくれるなよ。刀をくれと言っておるわけではない。鞘の方を此奴が気に入ってのう。邪魔をせん替わりに譲ってもらえんか?」

 彼は銀の帯を男たちに向けながらぞんざいに頼む。

 首領は忌々しそうに唾を吐き捨てた。

「馬鹿なことを言ってんじゃねえ。なんで俺が浪人に恵んでやらなきゃなんねえんだ。むしろ、その銀の帯を置いていきな。そうすりゃ命だけは見逃してやらんこともない」

 彼の言葉に躯血は声をあげて笑う。

「無理じゃな。此奴がわしの手から離れてくれるのは、気に入った鞘に収まった時か、わしが死んだとき。お主らではわしは殺せんよ」

 首領が眉間に皺を寄せる。馬鹿にされたと思ったのだ。片腕を振り上げ前方に勢いよく振り下ろす。

「やっちまえ!」

 首領の声を合図に四人の男たちが雄叫びをあげ、床を踏み鳴らし躯血へ襲いかかる。

 彼は慌てることなく、一番に迫る男の顔面に左拳を叩きこみ、二番目の男の手首を右手で捻り上げ、床に転がしつつ短刀を奪い取ると、続く三番目の男に投げつけた。短刀が足に深々と刺さり悲鳴をあげて転がる。

 瞬く間に仲間を失った四番目は慌ててその場に踏みとどまった。その男の腹に躯血の前蹴りが突き刺さり、あえなく崩れ落ちる。

 二番目の男が体勢を立て直そうとするが、躯血は振り返る勢いで回し蹴りを首筋に叩き込む。くたびれた床板が、声もだせぬ彼らの代わりに悲鳴をあげる。

 仲間たちを苦もなく倒された首領は、舌打ちして刀を抜くと正眼に構えた。

「ごろつきの割にはなかなか様になっておるではないか。どこぞの武家のはみ出し者か?」

「うるせえ!」

 四人をあしらっても息ひとつ乱さずほざく躯血に、彼は罵倒しながらも慎重に間合いを詰める。

「おい、どうやら切り伏せねば惚れた女子は手に入らぬようじゃぞ。たぎるであろう?」

 のん気に帯へと語りかけ、右手も柄に添えると上段に構えた。

 するとなんたることか、躯血の闘志に応えるように、銀の帯が天を貫かんばかりに持ちあがる。

 ばきばきと音を立てその身を固める姿は、既に帯ではない。

 血が通い始めたかのように光沢を放つ、一本の雄々しき刃。

 首領の目が驚愕に見開かれる。

「なんだ、それは!」

妖刀 益荒男ようとう ますらお

 股間に富士を作りだした躯血は、犬歯を剥き出し獰猛に笑った。

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