種から花へ

みやび

楽器

 雨の音がする。空からは無数の粒が降り注ぎ、風とともに窓を叩く音で、春香は目を覚ました。

 枕元に置いてある携帯をいつものように確認すると、そこには九時二十分と表示されている。

 まだ寝れる。昼までに準備すればいいし。

 空は分厚い雲に覆われており、部屋へと入り込んでくる光は薄暗く、春香を起こすには足らない程度だった。

 春香がぼんやりとしながら、薄く開いた目を閉じようとした時、タイミングを見計らったかのように友達の絵里からメールが届いた。

「ごめん、今日は一日中雨っぽいし、遊ぶのはまた今度にしない?」

 窓を見てみると、たしかに雨が降っている。それも、台風のような強さだ。

 春香は一度携帯を置いて、小さくため息をついた。

 多分疲れてるのもあるんだろうな、と春香は思った。

 絵里は小学校から高校まで春香と同じ学校へ通っていた幼馴染だったが、大学は別々になってしまった。春香は四年制の大学へと進み、絵里は美容師になるために専門学校へと通うことになったのだ。高校まではあんなに話していたのに、気づくと二人で遊ぶことはなくなっており、いつしか疎遠になっていた。

 久々に絵里と会ったのは成人式の時だった。SNSを通して、絵里がどんな暮らしをしているのかは分かっていたつもりだったが、実際に会ってみると雰囲気が全く違っていたことに驚いた。部活で出来ていた日焼けの跡はすっかり消えていて、肌が透き通っていた。服装も髪型もオシャレになっていて、垢抜けた絵里が未だに頭から離れない。

 そんな絵里とは成人式を通して、また話すようになり、その後も何回か遊んでいた。しかし、絵里が専門学校を卒業し、社会人になると、またお互いのスケジュールが合わなくなった。春香が夏休みに入り、久々に会える日だったのにもかかわらず、無念の中止になってしまった。

「うん、そうだね! また今度晴れてる時に!」とメールを返し、春香は携帯を背に向け、目を瞑った。

 春香が目を覚ますと、時間は昼過ぎになっていた。夏休みに入ってからというもの、生活リズムが崩れていることを実感する。親も朝早くから仕事へ行っているので、誰も起こしてはくれない。母にこんな時間に起きていることがバレたら、また嫌味を言われるのだろう、と春香は思いながら、重い身体を起こした。

 お腹は空いていない。でも、歯はちゃんと磨こう。

 歯を磨き、部屋へと戻ってくると今日一日が何もなく、暇な日だと気付く。

 何も考えないで、十分前に寝ていたベッドへ戻ってくると、携帯を触り始める。動画配信アプリを流れるように開き、何気無く誰かが作った動画を眺めた。

 時間は雨のように、止まることなく流れ続けた。

 何もしない一日。社会人からすれば贅沢かもしれないが、これが何日も続いてしまうと酷く辛いものになってくる。バイトをして、何もない日は動画を見る。そして、たまに友達とご飯に行ったりする。

 携帯を見過ぎて、目が疲れてくると春香の電源を切った。

 はあ。

 無意識のうちにため息が出る。

 私の人生を映画にしたら、絶対につまらないだろうな、と春香は思った。

 映画には必ずと言っていいほど盛り上がるシーンがある。でも、私の今の生活にはそれがない。ただ朝起きて、ご飯を食べて、携帯を見て、寝るだけ。この映画を見て、誰が面白いと思うんだろう。

 そう思うと、絵里の顔がふと頭に浮かんだ。

 大学には行かずに、自分が将来なりたい自分になるために美容系の専門学校に行き、今では社会人としてしっかりと働いている。絵里はしっかりと思い描いていたイメージを現実に出来たんだ。

 絵里のことを考えたら、漠然と不安の波が押し寄せてきた。

 自分は将来、何をやりたいのだろうか。大学に入って何をしてきただろうか。就活は大丈夫なんだろうか

 もう午後四時。社会人の人にとっては一日の後半だ。それに対して、私は今日何をやっていたんだろう。ただ動画に時間を費やすだけで、本当にいいんだろうか。

 携帯の音がない部屋には未だに雨音が響き渡っている。

 雨音と自分の声が頭の中で繰り返していると、春香の目が部屋の隅に置かれたギターを捉えた。勉強机に立てかけられているギターの黒いカバーには少し埃が被っている。

 ベッドから立ち上がり、ギターを手にすると、指には白い埃が付着した。埃を手で払い、カバーを開けてみると、綺麗な木目が模様となっているギターが姿を現した。

 持ち上げてみると、ずっしりとした重さを感じる。その重みに引っ張り出されたかのように頭に閉じ込められていた記憶が思い出された。

 たしか、好きなアーティストに憧れて、誕生日にお願いして買ってもらったんだっけ。でも、Fコードが難しくて諦めたんだよな。

 弦を指で適当に弾くと、優しい音が胸に届いた。部屋には同じ音が反射して、何層にも聞こえる。ギターの音のおかげか、憂鬱だった雨の音も心地よく感じる。何も考えないで、ただ音を出しているだけなのに、自然とセッションをしているようだった。

 もしかしたら、Fコード出来ちゃうかも。

 春香は閉じていた携帯でFコードについて調べ、眉間にシワを寄せながら左手で弦を押さえた。そして、少し期待しながら右手の指で弦を弾いた。

「んー、やっぱ難しいな」と春香は呟いた。

 久々に弾いた指は赤くなった。弦から指を離しても、ジンジンと痛みが残っている。しかし、春香は五分も経たない間に、また弦を触り始めた。

 気付けば、時間は午後六時をまわっており、窓の外は暗くなっていた。

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