君が綴るハッピーエンド
高鍋渡
第1話 月曜日のヒロイン
人生とは何のためにあるのだろう。
目の覚めるような衝撃的な出来事とか、人生を変えるような出会いとか、情熱を注ぎ込める何かを見つけることとか、そういったものは全くないまま高校二年生になった。
二年生になると校内にある噂が流れ始めた。すべて新入生に関することだ。
「千年に一人レベルの美少女がいるらしい」
「超人気作家の
「演劇部にまるで登場人物本人のようなとんでもない演技をする子が入ったらしい」
そんな子たちとお近づきになれたらさぞ華やかな高校生活になるのだろうなと思いつつも、高校生になって一年ですっかり灰色に染まり切ってしまった僕は、本当は興味津々なくせに自分には無理だと諦めて興味がないふりをした。青春というものに対して怖気づいていたのだ。
その後も、芸能事務所のオーディションを受ける子がいるとか、もう十人の告白を断っている子がいるとか、自殺未遂をした子がいるとか色々な噂が校内にはあふれていたが、色々諦めていた僕はもう関心を持つことはなかった。
他人のことはもちろん、自分がしたいことも分からず、夏休みになる前に宿題として渡された進路希望用紙には、何も書くことがない。
僕を主人公にして、僕の人生を辿る小説を書いたら、ひどくつまらないと思う。
八月初旬の月曜日。そこそこの進学校らしく行われている夏期講習を午前中で終えると、友人の
二人揃って部活が休みのときは部活をやっていない僕とともに遊びに行くことが多い。特にやることのない僕がその誘いを断ることは基本的にないのだが今日だけは駄目だった。
「ごめん、今日はこの後に予定があるんだ」
「なにぃ? 女か?」
「部活やってないからって女遊びに勤しむとはずるいぞ、
木島と長谷が問い詰めてくる。野球部は女子マネージャーがいないし、eスポーツ部も男子しかいないので二人とも女子に飢えているらしい。女に会いに行く、というのは間違いではないので「まあ、そんなところ」と言って二人と別れて学校を出た。「成果は報告しろよ!」という長谷の声が背中の方で響いた。
気温三十五度という猛暑の中、制服のワイシャツが汗でべたつくのを我慢しながら三十分ほど自転車を漕ぎ続けてたどり着いたのは隣町の大学病院。今朝散歩中に転んで足を骨折してしまった僕のおばあちゃんが入院している。朝学校に向かう前に連絡を受けたが、命に別状はないということで夏期講習が終わってからお見舞いに行くことになっていた。
足以外は有り余るほど元気なおばあちゃんに安心し、熱中症にならないようにと塩レモン味の飴をもらって病室を出た。塩分はありがたいが熱中症対策には水分も必要ということで病室が並ぶフロアの一角にある自販機コーナーに立ち寄った。
椅子やテーブル、テレビも置いてあって僕のようなお見舞いの人間や比較的体調の良い患者さんの憩いの場となっているようで今も数人が椅子に座ってテレビを見ている。
小学校高学年の頃から使っている年季の入った財布から小銭を出して自販機に入れ、ペットボトルのスポーツドリンクのボタンを押したが反応がない。
「やば、足りない」
僕が入れた百五十円に対しスポーツドリンクは百六十円。誰も見ていないとはいえ恥ずかしさを感じながら財布を広げて中を探ったが、出てくる小銭は一円玉だけ。諦めて百二十円の水にするかそれとも千円札を使うか悩んだ末に返却レバーに手を伸ばしたときだった。
「はい、どうぞ」
優しくて、よく通って、つい聞き惚れてしまう声とともに、僕の視界に透き通るように白く、細く、綺麗な手が入り込んできた。その手には十円玉が握られている。
僕はいつの間にか隣にいたその声や手の主の顔に目が引き寄せられる。
ぱっちりとした大きな目はキラキラと輝いていて、長いまつげがその目を際立たせる。綺麗なラインを描く鼻。艶のある唇。白くて瑞々しい肌。肩甲骨辺りまで伸ばし、細めのひと房だけ編み込んだ部分がある髪は今まで見たどの女性の髪よりも美しく、まさしく千年に一人と言う表現がふさわしい同い年くらいの女の子が、呆然とする僕の顔を不思議そうに見つめている。
「十円足りないのかと思ったけど、違う?」
しばらく彼女と見つめ合った後、彼女の言葉でハッとする。
「あ、ああ。うん。そうです、小銭がなくて。でも……」
千円札ならあるから……と言うのはやめた。せっかくこんなに可愛い子が話しかけてくれたのだから、ありがたく十円を借りてお近づきになるきっかけとしたい。
「でも?」
「いや、諦めて水にしようかなって思ってたんですけど、この後自転車で帰るからスポーツドリンクの方が良くて、貸してもらえたら嬉しいです」
僕がそう言うと彼女はにこりと微笑みながら小銭の投入口に十円玉を入れてくれた。僕がお礼を言いながらスポーツドリンクのボタンを押すと、彼女はさらに小銭を投入して自分の分の飲み物を購入する。
「生クリーム入りキャラメルラテ」
甘そうなドリンクを手に入れて嬉しそうな笑顔を見せる彼女はとても元気そうだし、白く涼し気なハーフパンツにパステルブルーの半そでシャツ、その上に薄めの白のカーディガンを羽織っていて、入院患者の人が着ているような服装でもない。僕と同じくお見舞いの人だろうか。
「今帰るところ? もし時間があったら少しだけお話ししない?」
「え? う、うん。もう用事は済んだし大丈夫」
彼女の顔がパッと明るくなる。
まさかいきなりお誘いを受けるなんて思いもしなかった。木島と長谷にはきちんと報告という名の自慢をしてやろう。
「よかったぁ。私ここに入院していて、最近お父さんと看護師さん以外誰とも話してなかったから退屈だったんだ」
「え? 入院してるの?」
「うん……交通事故で。もうほとんど直っているんだけどね」
少し照れくさそうに説明しながら彼女は空いている椅子に座り、テーブルをはさんで正面に僕も座った。こんなに可愛い女の子と正面から向き合ったのは初めてなので緊張するが、僕の方から自己紹介するべきだろうと思い、意を決して言葉を発した。熱中症でもないのに顔が熱い。
「えっと、
「文也君か。私は
「二年生です」
こんな綺麗な人学校にいただろうか。もしや四月に噂になっていた千年に一人レベルの美少女一年生か? と思ったが曜子さんは三年生らしい。こんな美人がいたら去年から話題になっていそうなものなのに、いかに自分が周りを気にしていなかったか痛み入る。
「では後輩の文也君。君はどうしてこの病院に来たのかな?」
僕が後輩だと分かると曜子さんは少しだけ偉そうに尋ねてきた。キャラメルラテが入ったペットボトルをマイク代わりに僕に向けて、インタビュアーのつもりのようだ。
「おばあちゃんが足を骨折して入院することになったので、そのお見舞いです」
「なるほど。午前中は学校で夏期講習を受けてきたの?」
「そうです。終わった後急いで自転車で来ました」
「おばあちゃんが心配だったんだ?」
「そうですね。僕、三つ下の妹がいるんですけど、その子が生まれる時にいっぱいお世話になったので」
「なるほど。おばあちゃんのこと好きなんだ」
「ま、まあそうですね」
「それに家族のことを話す表情を見てると君が家族思いだってことが分かるよ。いいことだね」
曜子さんは勝手に納得してうんうんと頷いている。家族のことが好きなのは間違ってはいないし、曜子さんに褒められるのも悪い気どころかいい気しかしない。
「じゃあ次はね――」
次の質問をしようとしたとき、曜子さんはふと動きを止めて周りを見回し始める。僕もつられて見回すとこの場に人が増えてきていることに気がついた。目的はこのスペースに置いてあるテレビのようだ。試合開始を知らせる独特のサイレンが鳴り響く。
「甲子園、今日からだったね」
「ええ、この時間は地元の高校の試合でしたね」
「文也君は野球はお好き?」
「そうですね。中学までは野球部だったので」
「そうなんだ。この試合見たい?」
「いえ、知り合いもいないですし」
興味はあるけれど、それより曜子さんとの会話を続けたい。
「じゃあ、人も増えてきたし私の部屋に行かない?」
小首をかしげてキラキラした目で僕を見つめる曜子さん。瞬きをするたびに小さな星が出ているような幻覚さえ見えるような気がする。こんな誘いを断ることができる男子高校生はいない。
鼻歌を歌いながら軽快な足取りで病院の廊下を歩く曜子さんについて行くと突き当りの個室に案内された。まるで自分の家かのように曜子さんは僕を招き入れる。
「はい、どうぞ」
「お邪魔します」
そこは確かに病室ではあるのだけれど、衣服の詰まった衣類ケースや教科書や参考書、美容系の雑誌や文庫本、辞書なども並べられた本棚、プラスチックのバットとゴムボール、漫画雑誌やゲーム機、ノートパソコンまであって、まるで趣味の違う兄弟が一緒に暮らしている部屋のような様相を呈していた。病室らしい大きなベッドの方がこの空間に似つかわしくない。
入院生活が長くなりそうだから色々持ち込ませてもらっていると言う曜子さんはベッドの脇の棚からノートのような物を取ると、部屋の奥の方にある椅子に座った。テーブルをはさんで反対側の椅子に僕も座る。テーブルがさっきよりも小さいので距離が近くて緊張する。
「さて、色々聞かせてもらおうかな」
曜子さんは先ほど取ったノートを広げてペンを持つ。僕の話をメモするつもりのようだ。
「話を整理すると君は八雲文也君、南沢高校二年生で、誕生日は?」
「九月八日です」
「お、あと一ヶ月くらいだね。じゃあ今は十六歳か。家族は詳しく聞いてもいい?」
「はい、母と父と妹との四人家族で隣町に住んでいて、おばあちゃんはこの町に住んでいます」
「なるほど。あとは家族思いの元野球部ってところか」
曜子さんは先ほどまで話していた内容を確認してノートに書き込んでいる。目的はよく分からないけれど、僕のことを知ろうとしてくれるのは嬉しい。
「趣味は?」
「んーこれだって言うものはあまり……強いて言うなら友達と遊ぶことですかね。カラオケとかボウリングとかバッティングセンターとかゲームとか。お小遣いでやりくりしてるので友達の家でゲームが一番多いかもしれません」
「将来の夢とかあるの?」
「今はまだ決まってないですね。人のためになったり、人を喜ばせたりする仕事に就きたいと漠然とは考えていますけど」
まずい。せっかく会話を広げるチャンスとなりそうな話題なのに微妙な回答しかできていない。
「色々模索中なんだね。高校生らしくていいと思う」
そう言ってにこりと笑みをくれる曜子さんはきっと天使の生まれ変わりか何かなのだろう。夏休み前の三者面談も担任の先生じゃなくて曜子さんにやってもらえたらもっとやる気が出たと思う。
「好きな食べ物とか嫌いな食べ物はある?」
「嫌いな物は特にないですね。好きなのは……」
「どうしたの? 言いづらい食べ物? シュールストレミングとかピータンとか?」
「い、いや、そういうのではなく……妹が小学三年生か四年生になった頃から休日によくホットケーキを焼いてくれるようになったんですけど、それがすごく美味しくて好きなんです」
曜子さんは嬉しそうにニコニコしたまま何も言わずにノートにメモを取った。
その後も学校の成績だったり交友関係だったり事細かに僕の情報を聞かれ、僕のプロフィールは事細かに記録された。僕を主人公とした小説を書くなら曜子さんのノートを参考にするといいだろう。
全てを書き記した曜子さんは満足そうにノートを閉じ、キャラメルラテに口をつけた。
「甘―い」
「すごく甘そうだけど、美味しいですか?」
「飲んでみる?」
そう言って先ほどまで自分が口をつけていたペットボトルの飲み口を、僕の目を見つめながら僕の口に近づけてくるのは心臓に悪いのでやめて欲しい。美味しいものを共有するためなら間接キスも厭わないとか、僕のことが好きなのかと勘違いしてしまう。
動揺して固まっているとついにその飲み口が僕の唇に触れた。曜子さんがペットボトルを傾けるとほんの少しだけ苦さの混じった激甘な液体が口の中に入ってくる。
間接キスしちゃった。初めてなのに。
「どう? 美味しい?」
ペットボトルを僕の口から離した曜子さんが笑顔で尋ねる。
「あ、あわわ」
曜子さんは何と言うか距離が近い。だからそのキラキラと謎に輝く綺麗な目とか、唇にわずかについているキャラメルラテの雫とか、白くてつるつるして瑞々しいほっぺとかから目を離せなくなる。そういうものは彼女のいない男子高校生にとっては毒でしかない。
目の覚めるような衝撃的な出来事とか、人生を変えるような出会いとか、情熱を注ぎ込める何かとか、そんなものがない灰色の人生は終わりを告げた。視界が華やいだ気がした。
僕はこの時、曜子さんに情熱を注ぎ込むことに決めた。一目惚れ、というやつだ。
「よ、曜子さん。次は曜子さんのことも教えて欲しいです」
情熱を注ぎ込む決めた以上は曜子さんのことを色々と知らないといけない。そもそも彼氏がいるとかだったら始まりすらしないのだから。
「いいよ。じゃあ改めて名前は七海曜子。誕生日は九月一日で高校……三年生」
溜めてから指を三本立てて見せつける謎ムーブですら可愛らしい。
「趣味は読書かな。奥空文子の本が好きなの」
奥空文子――一般文芸から児童文学やライトノベル、ゲームのシナリオまで様々な物語を作りそのどれもがヒットしている超人気作家――確か娘が南沢高校にいるとか。今年の七月初旬くらいに病気で亡くなったことをニュースで知った。
「身長百五十九センチ体重四十九キロ。五十キロじゃないよ」
「あ、はい」
体重を知ったから何かするということはないのだけれど、女性にとって体重はかなり重要な個人情報なのではないかと思う。妹も小さい頃は体重が増えると成長していることが嬉しいのか僕に報告しに来ていたのに、小学校中学年くらいになってからは体重の話を一切しなくなった。その頃からおやつのホットケーキを一人で食べきらずに僕に分けてくれるようになって、僕が美味しいって褒めたら頻繁に作ってくれるようになった。
そんなデリケートな情報まで教えてくれるということは僕のことが好きなのかと勘違いしてしまうから気をつけて欲しい。
その後も曜子さんは嫌いな食べ物とか得意な教科とか毎日の睡眠時間とか彼氏がいないこととかを教えてくれた。
曜子さんと楽しいひと時を過ごすこと数時間。夏真っ盛りでまだ外は明るいが時刻は午後五時となっていた。
「あ、そろそろお父さんが来る時間だ。会ってく?」
「え? それはさすがに、またの機会にします。今日は帰ります」
「そっか。ねえ文也君、また会いに来てくれる?」
「もちろん。お金も返さないといけないのですぐに来ます。暇だから」
「十円くらい気にしなくていいよ。でも嬉しい。午前中は検査とかで忙しいから午後に来てくれる?」
「はい。絶対来ます、毎日でも」
「それは嬉しいけど、来週でいいよ、しばらく入院してるし。月曜日がいい」
「……じゃあ月曜日に」
「うん、約束。またね」
微笑みながら小さく手を振ってくれる曜子さんに手を振り返しながら病室を出る。
僕は顔がにやけるのを隠しながら、怪我をしたおばあちゃんに感謝したことを心の中で謝りながら帰路についた。夕方になっても外はまだ暑い。でも僕の心に顔に体に灯った熱はこの暑さのせいだけではない。
翌日、木島と長谷に昨日の成果はどうだったのかと訊かれたので、曜子さんという超絶美人で人懐っこくて距離が近い女の子と知り合ったと自慢してやった。うちの学校の生徒だということはなんとなく黙っておいた。
「で、その曜子さんの写真とか連絡先は?」
そう長谷に訊かれると何も持っていなかったことに気づき、二人に怪しまれてしまった。
夏期講習を終えて大急ぎで病院に向かい、おばあちゃんのお見舞いもした。昨日借りた十円はもちろんのことお見舞いの品として自販機で生クリーム入りキャラメルラテも買って曜子さんの病室の扉をノックする。
中からは確かに曜子さんの声だが昨日の弾むような可愛らしい感じとは違って、どこか怒っているようにも思える少し低めだが声量十分な返事が聞こえた。機嫌が悪いのかとも思ったが一応部屋に入ることは許可されたようなので恐る恐る扉を開くと曜子さんと目が合った。
今日はジャージ姿でベッドの上であぐらをかいて座っており、今まで読んでいたのか漫画雑誌がベッドの上に散乱している。僕を見つめるその目の形や大きさ、まつ毛の感じは確かに曜子さんのものではあるが、どこか鋭くて別人のようだ。
「お前が八雲文也か。何しに来た?」
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