第2話 「攻略サイト」

 あなたは、ゲームをしますか。スマホでも、パソコンでも、または、コンシューマーゲーム機でも。僕は、ガチ勢ほどではないが、嗜む程度にやっている。傍から見たらのめり込み過ぎているかもしれないが。

 確かに一時は、のめり込み過ぎて、一日を棒に振った記憶もざらにある。ただ、別にゲームが人よりもうまいわけではない。ここでも僕は、「特別」な存在ではなかったようだ。

 けれども、ゲームが上手かろうが、下手であろうが、多くの人にとって関係ないだろう。人生や職業が決まるわけではないのだから。確かに、プロゲーマーという言葉もあり、eスポーツも普及し始めている現代でゲームが上手いというのは1つのステータスになりつつあるのかもしれない。ただ、そこに僕は「価値」を見出すこともなかった。だから、ゲームが下手であろうが、そこでは卑屈にはならなかった。

 ゲームが上手くとも友達の中でもてはやされるだけ。小さな世界で評価されるだけ。別にそこの中では「特別」になれて自分の欲望が満たされるのだから、今思うと、もっとのめり込めば良かったのにと思うのだが。当時に僕はそうではなかったし、今現在もそうだ。

 「特別」になりたいという欲求があるというのに、今現在そうでないというのに、ゲームをうまくなろうと決断しなかったのは不思議なものだ。どこかゲームをやるということを低俗なことだと心の底で思っていたからかもしれない。なんとも自分勝手な人間だと思う。


 前書きが長くなってしまったが、あなたはゲームをするとき「攻略サイト」を見ますか。僕は、中々前に進めなくなってしまったり、見つけたいものが見つからなかったり、効率的に攻略したかったりしたときによく使う。少し罪悪感を感じながら使い始める。でも、一度使いだすと何も思わなくなる。苦労していたところを、自分で克服せず、他の人の知識を用いて前に進むことであっても。ただただ、ストレスを感じないことに一種の快感のようなものを感じる。

 別に「攻略サイト」を使うことが悪だということ言いたいわけではない。自分だって使っているのだから。また、人のゲームのやり方にとやかく文句を言いたいわけではない。自分はそこまで崇高な人間ではないし、ましてやゲームのやり方ごときに口を突っ込んで面倒なことにはなりたくないだけである。ただ、ここでもゲームを何か自分の中で下に見ているようだ。自然と。ここでは、それには一旦触れないでおこう。

 僕自身「攻略サイト」を使うとき罪悪感を感じると前述したはずだ。なぜなら、ゲームを作成した側がゲームをする側のために用意した様々な仕掛けを、無視して他人が見つけた道筋に乗って淡々とクリアに向かっているからだ。別に僕はゲームを作ったことがない。だから、作成者が「攻略サイト」を使う人々のことをどう思っているか知らないのに、勝手に嫌悪してしまっている。不思議だろう。

 また、ゲームというのは娯楽のはずだ。少なくとも僕の中では。他の人の中では競争かもしれない。勝つことが全てかもしれない。まあ、それはやっているゲームの違いもあるだろうし、考え方の違いであるからどうこう思わない。

 ただ、娯楽だと思っている僕自身がゲームをやる際に、「攻略サイト」を使って十分にそのゲームを楽しめていないというのはいかがなものかと思うわけだ。楽しめばいいのに。その分からない謎を。乗り越えられそうにないアクションを。どれが効果的なのか不明な選択肢を。誰がどのように強くなっていくか分からない育成を。

 楽しめない。


 何故かはわからない。そもそも楽しみたいのかもわからない。

 ただ、思うのは止まっていることに焦りを感じるのだろう。だから、「攻略サイト」を見て前に進もうとするのだろう。自分にその力が十分に備わっていなかったとしても。

 

 ただ、その傾向がゲーム以外にも向いてき始めていると感じている。ゲームとは違い筋書きはない。ゴールも設定されていない。後戻りはできない。最初からスタートすることもできない。人生において。自分は止まっていると感じているのだろう。焦っているのだろう。人との差に。能力の成長のしなさに。努力をするのが面倒くささに。結果の出なさに。人生の「攻略サイト」を探し始めた。

 どうすれば成功できるのか。幸せになれるのか。汗水たらさず楽にして生きていくことはできないのか。

 そんな己の欲望を満たすため。「攻略サイト」を探す。


 けれども、人生とゲームは違うのだろう。そんなのことは当たり前のことではあるが。

 

 人生はある一定のレールは敷かれているが、選択肢は無限大で、選択後の結果も不確定。ゲームは筋書きがあり、選択肢は有限で、結果は確率もあるのだろうがある程度確定されている、もしくは予想可能であろう。

 人は異なる価値を持ち、異なるゴールを目指し、異なる成功と失敗の経験を積む。それによって得られる経験値も人それぞれ。ゲームはやる側の考えは異なるだろうが、メインとなる目指すものは同じで、操作する人によって経験するものは異なるが、キャラクターに入る経験値は同じであろう。

 頭の悪い僕でも、人生とゲームが異なるというのは深く考えなくてもわかっているはずだ。しかしながら、ゲームの時と同じ感覚で人生の「攻略サイト」を探そうとする。

 見つけた「攻略サイト」を見れば、それに従えば、すべてうまくいく。そんなことを心の底から思うわけではないが、そういう気分になってしまう。なんなら、気を付けなければ既にそうなっているのかもしれない。


 そうやって顔と実績だけしか知らない人が書いた「攻略サイト」に沿って行動し、すぐには結果に出ずに疑心暗鬼になり、また別の「攻略サイト」を手に取る。人の言うとおりにしたって、自分で考えて生きていたって、すぐに結果に出ることなどないということは分かり切っているのに。

 ただ、「攻略サイト」を出すのは世間一般でいう成功者だ。そんな人たちの物を見るものだから、自分との差に焦り、我慢ができない。

 そうやって、碌に自分自身で考えることもなく、世間がおだてあげる成功者の「攻略サイト」を手に僕は今日も生きていく。

 そりゃあ、自分が何者なのか分からなくなってくるだろう。

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