幸せの代名詞

side K 1



 目が離せない。離せばすぐに彼女は俺の視界から消えてしまうから。



 宙を舞うブーケはまるで行き着く先を知っているかのよつに、彼女の腕の中に吸い込まれた。直後、ふわりと揺れたワンピースの裾はまるで蝶のようで、倒れてしまう、未来を理解した俺は、咄嗟に彼女を抱きとめた。実在する彼女、結城の体温を感じて高揚した。高揚したことにためらう理由はわずかにあった。


「あ……あの、」


 いつかの写真が蘇る。俺の記憶がただしければ、彼女は結婚したはずだ。なのに、なんでブーケなんか受け取ってんの?それとも、まだ可能性はある?

 いい大人が都合の良い妄想に浮かれ、辟易する。


 何かを言いかけた彼女を離す。


「……だる」


 失恋してもなお淡い期待を寄せていた俺は自身の愚かさに恥じた。



 ──「……は?」


 あの日俺は、入眠前に虚をつかれ、おかげで眠る直前の脳は覚醒した。


 俺は今、好きな芸能人やアイドルの結婚報道を目の当たりにファンと同じ焦燥感に陥っている。もちろん結婚報道の速報が入っていなければ、俺が誰かに盲目だった覚えは無い。


 ただその日、ベッドに横たわり何となく眺めていたSNSで流れて来たのは幼なじみの投稿。


《私たち、もうすぐ結婚します》


 左手を掲げて寄り添うふたりの女性の写真。こうしてみると写真に映る女性二人が結婚するように見える。ウケ狙いの投稿だろうが、俺は全く笑えない。


 夏希が結婚するというのは知っていた。物好きな夏希とその恋人は、俺を証人に指名したからだ。しかし夏希の友人……“結城”が結婚するなんて、寝耳に水だ。


「…………まじかあー…………」


 事実をかみしめて腕を額に乗せた。こんなことになるくらいならたと夏希にウザがられようとももう少し引き下がるべきだった。

 

 数年前、夏希の投稿に彼女を見つけたのは偶然だった。


 春のやわらかさを凝縮したように微笑む、“結城”という彼女。惹かれることに理由はさほど必要ではなかった。


 夏希はその子の写真だけでなく動画もよく投稿していた。笑顔が可愛らしく、素であがった口角がその度に俺は彼女を追いかけた。そのうち抑制が効かなくなるのは早くて、何かと理由をつけて夏希に会うと、タイミングを伺って結城について訊ねた。


『結城はあんたにはもったいないくらい良い子だから、連絡先なんか絶対に教えない』


 けれども夏希は頼もしい友人よろしく、鉄壁だ。


『いいじゃねえかよ、減るもんじゃあない』

『減るわ。奏叶関連で何人友達が減ったと思ってんのよ。私の友達に手ぇ出しまくってさあ……』


 夏希の小言は耳に痛い。しかもほとんどに語弊がある。手を出したのは俺じゃないわ。今考えればかなり不可抗力な状況が多かったのだけど、詳らかに説明したとして、どれもが夏希を納得させる理由にはならない。


 しかし俺も引き下がれるか。


『この子には手を出さねえよ』

『そんなこと言われても、奏叶の信用ゼロだから』

『じゃあどう言えばいいわけ』

『そうだなあ……今海外勤務でしょ?日本に戻ってきたら考える』


 夏希は世話焼きだ。それは友人相手にも発揮されるらしく、むしろ、友人相手のほうがより頑丈になっている気がするけれど、俺の気のせいか。

 しかし、俺は夏希にとって自慢できるような幼なじみではなかった。あの時、俺のような男に連絡先を教えない夏希は、信用出来る友人なのだなと幼なじみが言うので間違いない。そして、夏希の判断は正しいと、自分でも思うので終わってる。


「失恋……なんだろうな」


 その投稿を眺めて脱力させる。この焦燥感と、行き場のない感情は一体なんだ。どこから流れてきて、どこに収まるかも分からない。恋というには浅はかで、まるでなにも始まっていない、独りよがりな感情。けれど、この焦燥感を表すには、失恋という言葉があまりにもただしい代名詞だった。




「ねえ、結城見た?」



 幼なじみの結婚式とはいえ、相も変わらず似たりよったりな内容で、祝福と言うよりは懐かしい旧友と会うために行くようなものだ。しかしそれにしても、その女性たちの会話は、目の前で自身の仕事の話を一方的に話す友人よりも、恋愛観ばかりを語る女性よりもずっと興味深い話題だった。


「見た。私だったら絶対参列できない〜!メンタル鬼じゃん」

「自分の結婚式で恋人を振ったんだっけ。出回ってた動画見たけど、あそこまでする必要ある?」

「彼氏、ちょっとお気の毒だよね」

「そんなに恨んでたなら、家で別れ話すれば良かったのに、案外イタイ感じなのかな」


 やば〜!と、楽しそうに喋るその女たち。俺の頭上には疑問符が乗るのは容易かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る