15

 そんな私を見据えたまま、奏叶さんは続けた。


「あやみのことだよ、好きな子っての。夏希の投稿の中にあやみをみつけたその日からずっと好きだった」


 心臓が耳の後ろに移動したみたいに煩い。

 こんなことがあってもいいのか。

 手が震えて、唇が震えて、気がついたら泣いていた。


「……うそ……え、本当に……?」


 混乱して、今の状況が理解できない私に「本当」と、奏叶さんは眉を下げて笑った。その表情には後悔とか落胆とか、そんなものはひとつもなくて、優しさだけがあるように思えた。


「あやみはどう捉えたか知らないけれど、俺はあやみと再会したのが運命だと思った。結婚したと思った子が、結婚してなくて。夏希の結婚式の日、あやみを引き留めることだけ考えてた。次の日あやみが居なくて絶望した。夏希に連絡先教えて貰って連絡したら、もう連絡するなって、ここまでに俺三回失恋してんの」


 そんな私に事実を教えるように、奏叶さんは教える。


「……私……のこと……?」

「きみのこと」


 優しい声が触れる。私のことを、運命だと言ってくれる人が、この先出あう人の中にいったい何人居るだろう。そしてその人が、信用するに十分すぎる信頼を与えてくれる人とは限らない。


 雨はいつか止むもので、夜はそのうち明けるもの。

 恋には終わりがつきものかもしれない。永遠なんてないのかもしれない。だからこそ人はその時の恋を愛おしく思うのだろう。


 地球最後の日になにを食べたい?

 好きな映画は?好きなおにぎりの具は?趣味はなに?


 当然、人には大小それぞれの好きなことがある。子供の頃は胸を張って『大好きだ』と憚らずそう言えたけれど、大人になるにつれて臆病で頑固な私に成長し、口にするのも恥ずかしくなっていた。



 奏叶さんは目を細めて笑うと、私の頬にその手が触れた。顔が近付いて小首を傾げて覗き込まれると、彼の髪が小さく揺れて、私の額に触れる。


「なあ、あやみの気持ち、ちゃんと聞かせて」


 優しい声が問いかける。

 目を細めるとまた涙が溢れてきて、感情が零れる。


「奏叶さんのことが好き。大好きです……!」


 子どもみたいに泣きじゃくると、奏叶さんは照れくさそうに微笑みを浮かべて、抱きしめてくれた。



「俺はあやみのことが好きだし、あやみも俺のこと好きなんだよな」

「そうだね」


 所在なさげに置いていた手を取られて大きな手に包まれる。


「結婚、しよっか」

「……………え?」


 今、何て言った?

 予想外の言葉が投下されて意味を咀嚼できず目を回す。


 え、けっこん?


「それか、結婚確約として付き合う。どっちがいい?」


 結婚は確定なんだ……!?


「ちょっと待って、飛躍しすぎでは」

「俺はもう二度とあやみに失恋したくないし、逃げられたくない。だから、しよ」


 この年上の男性は突然何を言い出すのか。

 理不尽にも突然プロポーズされてその場で応えろと迫られているのだ。


「だって……私、少し前に結婚破棄したんだよ?」

「別に他人からどう思われても、俺とあやみがいいなら、それでいいんじゃない」


「(そうかも?)」


 ああ、そうか。

 わたしにとって奏叶さんは理由だ。自信なんてこれっぽちもない私に自信をくれて、背中を押してくれる唯一の人だ。


「じゃあ……する。します。交際0日婚、上手くいくって、奏叶さんと検証したいです」

「絶対成功させようか」


 奏叶さんは私が居なくても経験と処世術から上手に生きていけるんだろうけど、私は、この人がいなければ動けないことがいくつもあった。立ちあがる勇気にもなってくれた。


「とりあえず今からお父さんに挨拶する」

「え……?父になんて言うんですか?」

「あやみのことを捕まえていたいので、結婚します」


涼しい顔をして、今から爆弾発言を投下しようとしているのか。え……本当に?


戸惑う私を他所に、奏叶さんは、ネクタイをぎゅっと締め直しスーツの襟元を正している。これは、本気だ。


「行こう」 


 微笑む彼を見て、私は大きくうなずいた。迷う暇がもったいない。


 この人は、弱くなったり怖がることは無いのだろうかと考える。

 自信を無くしたり、がっかりして落ち込むことはないんだろうかと。


 その時はすかさず私が抱きしめて、怖くないよと教えてあげるし弱くなってもいいんだよと温めてあげたいと思う。落ち込んでも私が慰めてあげる、彼が強くなる、理由になりたい。だってそれは私が強くなる理由でもあるから。



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