第三十弐話 誰?
夕食を終え、少しの談笑ののち、それぞれの部屋に戻った。
古びた和室に一人きりになり、俺は布団に潜る。
明かりを落とすと、部屋の輪郭はすぐに闇に溶けていった。
眠ろうと思った。が、眠れない。
天井の模様が浮かんでは消える。心臓の音がうるさい。
わかっているのはただ一つ。
“アレ”は、きっと今夜も現れる。
その予感は確信に近かった。
もう、何度も同じ気配を感じている。
——なら、このまま寝るべきじゃないな。
俺は対策を取ることにした。
それが“アレ”に通用するかは分からないが。
部屋の明かりを消し、窓に布団を立て掛けて光を遮断し、押入れの中に身を潜めた。少しでも気配を殺し、見つからないようにするために。
1時間以上経っただろうか? いや、実際はもっと短い時間何かもしれない。
何も訪れない、ただの静寂が部屋の中を支配している。
静寂?
自分考えたことの違和感に気が付いた。
いつもは、風の音や秋の虫の声が聞こえているはずだ、何故無音なんだ?
そう思った瞬間。
押し入れの中が少しだけひんやりとした。
——来た。
真っ暗な部屋の中で、何かが動いている。
暗闇を見つめているだけなのに、やはり目が合うような錯覚がして思わず目を閉じる。
そうしてしまうともう目を開けられなかった。
次に開いたときは目の前に“アレ”がいるかもしれない。
早く居なくなってくれ。
そう願って膝を抱える手に力が入る。
「……ア゛ァアア゛……」
声にならない音を“アレ”が発した。
諦めたか?
しかし、俺のその希望も次の瞬間には潰えることになる。
——カタッ
(……何の音だ)
恐る恐る薄目を開けると、押し入れの隙間を覗き見る。
そこには、開いた箪笥が見えた。
——バサッ
次は、窓に掛けられた布団が捲られた。
“アレ”が俺を探している。
そう理解してしまった瞬間、体の震えが止まらなかった。
必死に目を瞑る。
やがて、俺の隠れている隣の押し入れが開く音がした。
異様な寒気の主が、今俺の押し入れの前にいる。
脳裏に、ゆっくりと押し入れに手を掛けるイメージが浮かぶ。
(……やめろ……やめてくれ)
願いも空しく。
——スッ
開く音が聞こえた。
だが、次に瞬間予想もしなかった声が聞こえた。
「惟遠くん……いる?」
思わず目を開ける。
押し入れの扉は開いていなかった。
隙間から覗き見ると、部屋の襖が開き美燈がキョロキョロと部屋の中を見渡している。
気が付けば、さっきまでの空気がすっと和らいだ。
音も、気配も、すべてが霧のように消えていく。
思わず大きく深呼吸をする。
良く分からないが助かった。
「……ここだよ」
戸を開けると、彼女がこちらを見る。
表情は穏やかで、微笑んでさえいる。
「なんだか、ちょっと……眠れなくて」
そう言う彼女を見て、安心感から思わず泣きそうになった。
しかし、最後の意地で必死にこらえる。
「とりあえず……助かった」
「……どういうこと?」
そういう彼女は、開きっぱなしになった箪笥や、投げ捨てられた布団を指さす。
傍から見たら確かに変な状況だ。
どこから説明すべきか。
俺が悩んでいると美燈がこっちに寄ってくる。
近い。
近すぎる。
何だかいいにおいもする気がする。
動揺する俺を他所に、美燈が俺の手を掴む。
その手はまるで氷のように冷たくて、握られた瞬間に皮膚の感覚が麻痺するようだった。
「……そうだ、寝れないなら本の話でもしよ」
「……美燈?」
ようやく気が付いた。
——何かが変だ。
変わらず彼女は、ほほ笑んでいる。
しかし、その顔は美燈ではないそんな気がした。
「……誰だ?」
思わず、手を振り払おうとする。
しかし、力強く握られているのか全く振り払えない。
痛い。
そして彼女はそのまま俺を抱き寄せると、耳元でこう呟いた。
「……また沢山お話ししましょう? 先生?」
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