事件と焦燥

 ――うう、背中が痛い。なんで?


「あ、ロウト。気分はどうです?」



 目を開けば、上から覗き込むようにしてアダインの夕日のような瞳と視線が重なった。あれ、俺はなんで今ベッドで寝てるんだ?

 アダインに痛む背中を支えて貰いながら上半身だけ起こしてみると、宿屋の寝室のひとつのベッドで横になっていたらしく、中央の部屋ではマーレイが何やら深刻そうな表情でテーブルの前の椅子に座っていた。


 俺が身体を起こしたのに反応し、すぐさまテーブルからこっちまで大股で歩いてきたマーレイが俺の今の状態について説明してくれた。


「母君の話をしてから急に貴方様が意識を失って倒れられたので、ベッドへ運ばせて頂きました。倒れた際に背中を強打されてましたが、頭は無事だと思います。背中の他にどこか痛む場所や気になる所は御座ございますか?」


「いや、多分……平気。迷惑かけてごめんなさい、ありがとう」


 迷惑だなんてとんでもない、と恐縮されつつも先程の問いかけを再びされる。


「その、母君の件が何か貴方様に影響されたでしょうか?」


「あー、えぇっと。実は、俺もあんまり良く知らないんだよね母さんの事。俺が十歳の時にはもう亡くなっちゃったし」


「そうですか……」


 俺の言葉にやや疑うような視線を送りつつ、これ以上の追及は諦めたのか、マーレイは取り敢えず俺の背中の怪我の具合を見てくれた。

 本当は思い出した事がある。だけど、誰にも話したくないし、母さんとも約束をした。少なくとも今は話す時ではない気がする。


「ひぇ、冷たっ!」


「少しだけ我慢してください」


 氷の精霊と契約しているマーレイは、俺の背中の内出血と同じくらいのサイズの氷を手の平に作り出すと、適当な布でくるんで俺の剥き出しの背中に押し付けてきた。氷特有の痛いほどの冷たさを怪我の痛みも相まって強烈に感じる。

 一通り冷やし終わると、背中にいい香りのする薬草をつぶしたものを塗ってから、アダインが用意してきた包帯をぐるぐると手慣れた手付きで巻いてくれた。



「妖魔のお陰で怪我なんてしょっちゅうですからね。朝飯前です」


「そうなんだね……ありがとうアダイン」



 日々妖魔との戦いが行われているらしく、思ってたより事態の深刻さを感じて溜め息が出た。俺はまだ少し甘く考えてなかったか。結界さえ上手く貼れれば何とかなると。

 妖魔の王を攻撃して弱体化させる事は出来るけど、時間が経つと共に徐々に妖魔の力が戻ってきて強くなっていくと言っていた。


 だからきっとそうなると結界の力だけでは防ぎきれなくて、彼らが必死になって戦い続けることによって今までこの世界を守ってきたんだろう。



 妖魔の王を弱体化させるだけではなく、滅することは不可能なんだろうか?



「――不可能、とは言われていますが。もしかしたら……ロウト様ならば、可能かもしれません」


「え、俺!? 確かに、魔力自体はあるかもしれないけど、魔法のひとつも使えないよ?」


「それは――いえ、私もまだ貴方様の力の確証が得られてませんので明言は控えます。下手に周囲へ広まってしまっては、貴方様を危険にさらし兼ねませんので」



 俺が危険な目に遭うって……一体どんだけの重要案件なんだよ。マーレイはアダインにも俺についての事は誰にも話すなと念を押すと、話を打ち切った。


「問題はシフ・ワラドールですね。あの力の変化を見られておりましたし、確実に貴方様に目を付けられていると思われます」


 マーレイの予想では水晶の色はそのままに、結界の力だけ増す想定だったらしく、それだけならば特にシフにも違和感を持たせることなく終われるハズだった。

 でも、水晶の色が白く変化するのが大問題だったようで、それを真正面から見ていたシフが俺の事をどう判断してどんな行動に出てくるのかが全く未知数だという。



「とにかく、貴方様の正体について探ってくる様子でしたら『魔王』だという主張を貫いてくださいね、どんなに疑われても」


「う、うん。分かった」



 もうすぐ妖魔が活発になる夜になるので、今日はこのままこの宿で休ませて貰う事になった。

 二人は隣の部屋で一緒に休むとのことで退室し、一人きりになった室内は急に静かすぎて少し心細く感じた。



「母さん……ごめんなさい。俺のせいで」



 十年前、母さんは交通事故で亡くなった。何故かその日の記憶だけが全くなくて、父さんや当時は上留さんと呼んでいたウェルターもそう話していたから、単純にそう信じていた。

 確かに母さんは交通事故に遭っていた。でも、その事故には更に関わっている人間がいた。



「……ん、なんだ? 外か」



 うつらうつらとした意識の中で、騒がしいほどの多くの声が聞こえてくる。

 時間は深夜だろうか。外はまだ真っ暗闇なのに、窓の外は怒号が飛び交っていた。


「まだ私の旦那が帰ってきてないんです!」


「家の旦那もだよ、どうなってるんだい!?」



 さすがにこの状態じゃ眠れない。ベッドから起きて横の棚に置いてあった真っ黒なローブに着替えてから部屋を飛び出した。隣の部屋をノックして開けてみたけど二人の姿はなかった。恐らくこの喧騒を治める為に出てるんだろう。

 宿屋の玄関口までやってくると、宿の主人と話し込むウーロンさんとリヤースさんがいた。



「あ、ロウト……ロー様!」


 どうやらマーレイに俺の正体について話を聞いたらしく、うっかり正直に俺の名前を口にしそうになったウーロンさんは慌てて言い直していた。


「この喧騒は何ですか? それに、マーレイ達も見当たらなくて」


「マーレイ様達は、門扉に向かって行かれました。もし貴方様が起きて来られたらここで待っているように伝えてくれと言われました。外で何が起きてるのかは実は俺達も詳しくは分かってないんです」



 もしかして、俺が貼った結界が上手く起動してないせいで妖魔が侵入してしまっているんだろうか? だとしたら、俺の責任でもある。

 無言で足を進め、玄関口に辿り着いた俺の右腕が後ろから力強い何かに掴まれ引っ張られる。



「離してくださいリヤースさん」


「ロー様、今のウーロンの話をお聞きになられましたよね? でしたら――」


「聞いたよ。でもそれを聞いたからって、俺がそれに従うかはまた別だよね? ウーロンさんたちからはちゃんと伝言を聞いたって説明しておくし、迷惑は掛けないよ」


「いや、迷惑とかそういう問題じゃなくて! あぁ……もう、どどどうしようウーロン」



 このままだと腕が引きちぎれてでも俺が外へ出たがると判断したウーロンさん達は仕方なく、自分達も付いていくとの条件付きで一緒に門扉まで向かってくれる事になった。







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