第21話 純粋無垢のバイオレンス3

 じり、ざり、度合いを測り、少しづつ距離を詰めていくジーナ。盾を前に、拳を後ろに引き絞ったその姿は、槍を構える騎士を彷彿とさせる。猪兜の、鎧騎士を。

 抑え込めない殺意が、荒い吐息となって漏れる。今か。今か。まだだ、まだだ。じり、ざりり。


「ギィ、ギィィ」

「『は……は……』」


 ざりり。


 一瞬の、静止。


「ギィッ」

「『がぁぁッ!』」


 先手を取ったのは怨霊鼠。脚力のみによって低く跳び、盾への突進。腰を落として受け止めた瞬間に振りかぶられた鉄杭を、鋼鉄の針で受け止めた。拮抗する鍔迫りの摩擦音がぎぎとうめく。


「『軽い……ですッ』」

「グギィッ!?」


 ジェットパックを一瞬、全力で前へ吹かす。サリアがやっていたのとは違う、重く鈍い動きだが、それでも推進力は推進力だ。前方へと進もうとする動きは、重量そのままに繰り出される盾撃シールドバッシュと化す。

 こうなれば分が悪いのは体重に劣る怨霊鼠だ。スピードと瞬発力にたけた肉の体は、しかし全身金属製の装甲機アーマード・フレームに、重量という面ではまるで及ばない。


 吹き飛ばないまでも、二、三歩たたらを踏む鼠、追いすがるように踏み込む鉄の猪。振り上げた針を、刺すでもなく振り回し、一撃、二撃、三撃。


 軽やかに身をよじって針をかわす怨霊鼠、しかしどうにも苦し気に鳴く。元々、スラスターの反動で全身は傷塗れなのだ。どこを動かしても傷を痛めつけることになり、苦痛ばかりが増し、血は更に勢いを増して流れる。

 ジーナ一人では、致命打を与える事が出来ない。必殺の一撃を当てられないし、手数が足りないから、回避先を追いかけて攻撃を叩き込むこともできない。

 肩部に武装を搭載する選択をしていれば、もう勝っていたかもしれない。だが、この刹那、そんな後悔ことはジーナの頭には存在しない。

 あるのはただ一つ、殺すという言葉だけ。


「『逃が、さない……!』」


 逃げようと後方へ跳躍を繰り返す怨霊鼠を、ジーナが追いかける。断続的なジェットパックの噴射、想定外の使用に耐えかね、デジタルな警告音が機構の過熱を訴えてくる。知ったことではなかった。今このとき持つならそれでいい。


「ギィィィィ!」


 甲高い叫び声。逃げ切れないと悟るやいなや、怨霊鼠は自傷も厭わずに、スラスターを吹かして上へと逃走を図った。

 空へ逃げられれば、鈍重な《猪頭ボアヘッド》には追いつけない。ライフルも投棄している現状、一方的に空からの攻撃を受けることなったであろう。

 だが。


 ――"当てる"んじゃない、"狙いの所に来てもらう"んだ。


「『こういうこと、ですよね……っ!』」


 跳躍のために伸び切った鼠の足首を、鉄の手がつかんでいる。事前に動きがわかっていれば、やってやれないことはない。


「『見え見えです!』」

「ギィガッ!?」

「『落ちろォォッッ!』」


 全力でスラスターを吹かす鼠を、力任せに引きずり落として、地面へと叩きつける。再び持ち上げ、今度は鉄塔へぶつける。振り回し、叩きつけ、振り回す。何度でも。


 ――余力などもはやない。逃げられれば追いつけない。ここで殺す。必ず!


 繰り返される叩きつけに対し、鼠がとった行動は単純だった。スラスターの短い噴射で《《猪頭》》の腕の勢いを逸らし、かすかな自由を得ると、遮二無二、前へ。鈍い音をたて、ぶつかり合う肉と鉄の額。カメラ越しに目を合わせた、一対の殺意。

 再び怨霊鼠が先手を取る。右前脚で鉄杭を大きく振りかぶり、叩きつける。受けた盾が貫かれる。肩へと到達し突き刺さる。ジーナはそれを無視した。問題ない、関係ない。まだ――どちらも――死んでいないのだから。

 左前脚の爪が襲い来るのを、あえて装甲で受け止める。《陽炎ヒートヘイズ》よりも硬い装甲は、その生得の武装に傷つきながらも、確かに耐えた。


「『これで――終われぇぇーーッッ!!』」


 雄たけび。振りかぶる、右腕。


 突き出した針から伝わる衝撃。姿勢固定杭スタビライズアンカーは肉にも骨にも負けることなく、確かに鼠の腹へと突き刺さった。


「ギィィガァ―――ッッ!!」

「『死、んで! もう、ねむ、れ!』」


 押し込む。押し込む。毛皮を貫き、皮膚を引き裂き、内蔵へと到達する。押し込めば押し込むほど赤黒い血があふれ出し、鼠は甲高い声で絶叫しながら鉄の杭をジーナへ突き立てんと足掻く。

 必死の力が籠められ、少しずつ、少しずつ、杭が《猪頭ボアヘッド》へと突き刺さり、ギギギと鋼の軋む音が少女の耳に近づいてくる。


 ――刺す場所を間違った。もっと上の、心臓の辺りに刺すべきだった。間に合わない――。


 ハンドルを深く押し込みながら、迫りくる死に、ジーナは強く目をつぶった。


 そして。


 空気を揺るがす、轟音。


「『馬鹿者……諦める奴が……あるか……ッ!』」


 狙撃砲スナイパーカノンの銃口から、もうもうと煙が上がる。いつの間にか上体を起こしていた《陽炎ヒートヘイズ》の、温存していた最後の武装。当たらないと切り捨てていたそれを、サリアは最後に行使した。

 目を覚ましてからも、そうと気づかれないよう沈黙して。感づかれない様に慎重に、狙うべきタイミングを見計らったのだ。


 力を籠める余りに、避ける間もなく放たれた大口径の弾丸が、装甲機のそれよりも細い怨霊鼠の腕、鉄杭を押し込んでいた腕を引きちぎる。

 死と圧力から解き放たれ、安心と驚愕がごちゃ混ぜになった感情のまま、ジーナはハンドルを手前へ引き戻し――そして、再び奥へと押し込む。今度の狙いを、過たず額へ向けながら。


「『うああぁッッ!!』」

「――ガ、ギギ、ァ、ガ」


 薄い皮と肉とを貫き、補強された骨を砕き、針が奥へ奥へと突き刺さる。頑丈な頭蓋骨に覆われた脳を、針がかき乱し、その攻撃を致命へと至らせていく。


 怨霊鼠は死を前にして、それでも爪を伸ばす。だが、その手は《猪頭ボアヘッド》の肩に触れ、何物も引き裂く事なく、こつんと軽い音をたてて止まる。

 血走った目の黒が、ゆっくりと広がった。脚は立ち続ける力を失って崩れ落ち、しがみついていたジーナの機体へもたれかかるように倒れ込んで、死んだ。最後に何を思ったのか、知る由はない。

 だが、もう苦しみにのたうち、悲鳴を上げることはなかった。


「『……おやすみなさい』」


 針を引き抜き、押しのけるようにして、鼠を地面へと倒す。物言わぬ肉塊は鉄の平野へ沈み、がしゃりと音を立てた。

 それを見た《陽炎ヒートヘイズ》が、ふらつきながら立ち上がっていく。機体断面から嫌な臭いの煙が上がり、今だ火花の散る部分もあったが、それでもまだ生きていた。


「『終わったか……』」

「『っあ、サリアさん! 無事ですか!?』」

「『全身痛いが、まぁ、なんとかな』」


 一歩動く度、機体に跳ね上がるような衝撃がある。おそらく、姿勢を安定させる装置がこわれたか、脚部の出力制御部分に異常が出たのだろう。中のサリアにも、外のジーナにも、もう戦える状況でない事は分かり切っていた。


「『よか……った。はぁぁ……』」

「『気を抜くのは早いぞ、馬鹿者。仕事はまだ終わっていない』」

「『あ、えと……母体を倒さないと……ですよね』」

「『ああ。コンテナの中の熱源反応がそれだろう――が、母体には戦闘能力がないし、母体を失えば鉄鼠は極端にその能力を失う。戦う意思すらもな。もうまともな戦闘の心配はないだろうよ』」


 そう言いながら、サリアはレンタルしている輸送艇を呼び寄せた。未だ気絶の影響で頭がぐらぐらする感覚はあったが、だからこそ帰りの手配をしておかねばならなかった。

 生き残ったなら、帰って金を受け取り、飯を食わなければならない。そしてまた、次の仕事に備えるのだ。


 立ち尽くすジーナに、女は出来るだけ優しい声で、告げる。たとえどんな内心であったとしても、区切りは付けなければならなかった。


「『ミッションは達成だ。……帰ろう』」


 ――少女はそれに対し、小さな頷きだけを返した。その目は、広がりゆく血だまりに向き続けていた。

 自らを焼く炎に、苦しみもがき、怨恨のために死ぬまで戦う。そういう死に方の生き物に、自分の行く末を見たような気がしたのだ。

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