第2話 素人絵師②

 又坐衛門は夜道を歩きながら、手にした提灯のあかりで、十郎兵衛の足元を照らしてやる。十郎兵衛は蔦屋を背負っているのに、軽やかな足取りで歩いていた。腰痛もちの自分には到底無理だが、今更、若さをうらやんでも仕方がない。


 そもそも、若者の才能を見出して世に出してやるのが、老いぼれの役割だろう。又坐衛門は当初の狙いに思いをはせる。本来なら蔦屋は屋敷に送り届けるのが筋だろうが、そうなっては、又座衛門の目論見が水の泡になってしまう。


 又座衛門たちの向かった先は、地蔵橋近くの彼の屋敷だった。ぜいらしてはいないが、一応、門は構えている。武家らしい屋敷なので、又座衛門は気に入っていた。


 ただ、灯が落ちていて真っ暗である。どうやら、家人が待ちくたびれて寝込んでしまったらしい。苦労をかけっぱなしなので、無理に起こしたくはない。


 又座衛門は苦笑を浮かべて、十郎兵衛の顔をうかがった。以心伝心。察した十郎兵衛は笑顔でうなずく。実は又座衛門の屋敷の四軒先に、十郎兵衛の屋敷があるのだ。


 それは又座衛門の屋敷に輪をかけて、質素な佇まいだった。十郎兵衛の人となりにぴったりだという言い方もできる。座敷に上がって一息をつくと、又座衛門は言った。


「蔦屋さんが寝込んでしまったので、当初の目論見は外れてしまったが、なぁに、少しばかり先延ばしになったと思えばいい。斎藤さん、私に任せてくれれば、あんたの悪いようにはしないよ」


 十郎兵衛は奥座敷に蔦屋を横たえると、風邪をひかぬように布団をかけてやる。

「加藤殿のお言葉はありがたいのですが、申し訳ない、実は思うところがありまして。そのお役目が私なぞに務まるかどうか……」


「斎藤さん、そう謙遜けんそんめさるな。蔦屋さんが絵師をさがしていると聞いた時、すぐ思い浮かんだのはあんたのことだよ。蔦屋さんと長い付き合いなんだ。その私が自信をもって保証する。あんたの絵は必ず、蔦屋さんの眼鏡にかなうはずさ」


 しかし、十郎兵衛は苦笑を浮かべている。それを又座衛門は怪訝に思いながら、


「世間をあっと言わせたい。蔦屋さんはそう言っていたよ。男なら誰でも、そんな野心を抱くものだろう。おとなしそうな顔をしているが、あんたもそうだと私は睨んでいる。もちろん、私も同じだよ。この老いぼれに夢を見させておくれ」


「しかし、手なぐさみに描いてきただけですから。歌麿や北斎とくらべれば、月とスッポンどころか、とてもとても……」


 そんな十郎兵衛に業を煮やして、又座衛門は苛立たし気に、

「ああ、じれったいね。なら、やめにするかい? 『蔦屋に絵を見せたいんだが』と私が言った時、あんたは乗り気だったと思うんだが、あれは私の見立て違いかね」


 十郎兵衛は慌てて、又座衛門をとりなすように、

「いえいえ、あの時は夢のような話だと思いましたよ。しかし、いざ、蔦屋殿の顔を見てしまうと、どうにもこうにも……」


「ええい、じれってぇな!」

 大声を上げたのは、熟睡していたはずの蔦屋だった。彼は布団をはねのけて、騒々しく二人の前にやってくる。

「蔦屋さん、あんた、起きていたのかい」と、又座衛門。


「隣で騒がれちゃ、のんびり寝てもいられねぇや」そう言って、十郎兵衛を値踏みするような視線を向ける。「おまえさん、絵が描くのが好きなんだろ? 描きたいから描く。だったら、それでいいじゃねぇか。それを他人と比べて、あーだこーだと言う奴はでぇっ嫌いなんだ。絵師を名乗る連中には、はなからロクなもんがいやしねぇ。とりわけ歌麿なんざ、江戸っ子の風上にもおけねぇぜ」


 そう言って、喜多川歌麿の悪口は次から次へと並べ立てた。要約すると、歌麿は蔦屋のおかげで有名になれたのにも関わらず、不遜ふそんにも蔦屋の要望をはねつけた、ということらしい。とりあえず、蔦屋と歌麿に強い軋轢あつれきが生じていることだけは、十郎兵衛にもわかった。


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