第25話 ゆっくり、でも確実に

子ども縁日もとい白蓮高校との合同ボランティアを翌日に控えた、金曜日の昼休み。花壇の手入れに奮闘した日から約1週間が経っていた。



4時間目の化学を終え、教室内が解放感とお弁当のいい匂いに包まれる。



「あけびちゃん、お弁当食べようよ」



真澄君が小さなオレンジ色のお弁当箱を手に、花が咲いたような笑みを浮かべて私を見下ろした。毎度のごとく、有無を言わせない迫力がある。



薫君と2人きりで(終始無言で)お弁当を食べていたのは最初の2日くらいで、最近は真澄君と稀に登校してくる保君も一緒だ。


ちなみに、稜汰君はいつも違う女の子にお弁当を作ってもらったり一緒に食堂へ行ったり、真澄君曰く【生ゴミ】みたいな昼食時間を過ごしていた。



2人が加わって私たちの食事風景が賑やかになったというわけではない。


むしろ若干険悪になって周囲の温度が下がってる気がする。上がったものといえば、顔面偏差値と私の心拍数か血圧くらいである。


いつ保君と真澄君のケンカが勃発するかハラハラしていると、化学の教科書をカバンに入れた稜汰君が片目を瞑った。



「Ciao、真澄!今日も麗しいな」

「ありがと。じゃ、さっさとどっか行ってよ稜汰。座りたいんだけど」



いつも真澄君の昼休みの指定席となっている筈の私の右隣の席。真澄君は、珍しく今だに座り続けている稜汰君をタチの悪い酔っ払いを見るような目で睨みつけた。ものともしない稜汰君は黒いお弁当箱を取り出して、たれ気味の目を細める。



「ごめん、今日は一緒に食べたいな。決戦前日だろ?みんなで弁当食べて結束力強めようぜ」



ちゃんと保もいることだし、と彼は我関せず状態でメロンパンをかじる保君を一瞥する。


怒るわけでもなく、ただ心底嫌そうな表情を浮かべる真澄君に「1番傷つくリアクションを知ってるなぁ」と稜汰君は苦笑いしながらも感心したように肩をすくめた。



「真澄ちゃん。あたし食堂行くから座っていーよ」

「えっ、いいの?ありがとー」



私の前に座っていた鉢引さんが席を立って、「どうぞ」と椅子を引いた。



仁王立ちという、絶世の美少女ならたぶんしないであろう姿勢の真澄君。そんな彼に嬉しそうに微笑みかけられて頬を赤らめた鉢引さんは、「あ、う、うん。じゃーね」と少しばかり動揺して教室を出ていった。真澄君は満足そうに鉢引さんの席に腰かける。



「まぁ、たまには向かい合って食べるのもいっか。ね、あけびちゃん」

「えっ」

「は?何、不満なの?」

「こ、光栄です」



にこにこ笑顔から急に真顔になった真澄君に、慌てて首をブンブン左右に振る。彼は鼻で笑いながら箸の用意を始めた。怖すぎる。



……あれ、そういえば薫君は?



いつもならイスを持ってきて黙ってお弁当を食べている筈の薫君の姿が見えず、教室内を見渡す。



もちろん必ずしも薫君がこちらに来るというわけでもなくて、私から彼のもとへ行くこともある。でもお昼のお誘いに行こうにも本人が教室にいないと意味が無い。この時間に薫君がいないのは珍しい。


トイレかな、と扉の方へ目を向ければ、ちょうど薫君が缶コーヒーを持って入ってきたところだった。なんだ、飲み物買ってきたんだ。



彼のイスを用意しようと立ち上がると、ちょうど自身のカバンからパンを取り出した薫君と目が合う。けれど彼は私から目を逸らすと、お昼ご飯を持って教室を出ていってしまった。



え。なんで?



足を踏み出そうとした私は、顔をこわばらせたそのままの状態で出口を見つめる。



「あけびちゃん、何それ趣味の悪い彫刻ごっことか?」



怪訝そうに私を見上げる真澄君に私は「……ちょっと行ってくるね」と掠れた声で答えると急いで教室を飛び出す。その際、色々な人の机に激突して平謝りした。



遠ざかっていく彼の背中に少しばかり大きな声をかけることができれば、簡単に呼び止められたとは思う。でも私はそんな大声を出したこともないし、ましてや絶対に注目を浴びるであろう行動を自らとるなんて勇気は皆無。



「かっ、薫君、」



だから全力で走って息を切らしながら、追いついた薫君のブレザーの裾を掴んだ。彼は感情の読めない顔で、引っ張られている裾を見つめた。



しまった。これはこれで注目を浴びる。



周りからの視線を感じて弾かれるように薫君のブレザーの裾を解放し、なんとも行き場の無い手を後ろで組んで「……ごめん」と俯いた。



「どうした」

「えーと、その、どこか行くの?」



彼が持つ焼きそばパンと缶コーヒーを見つめながら尋ねると、「メシ」という答えが降ってきた。



……え。



すぐには言葉が出なかった。



……どうして?



別に毎日一緒にお昼ご飯を食べる約束なんてしてないけど……でも、見捨てられたような気分。



彼を見上げてはみたものの、何も言えずに黙り込む。



目だけで語り合えたら楽なんだろうけど、流石に長い付き合いの薫君が相手といえども読心術もテレパシーも使えない。



私何かした?



なんてセリフも、彼が怒っているようには見えないため何となく言えない。



「あの、えーと、薫君、用事とかあるの?」



結局出てきた言葉がこれだった。

口にして即座に後悔する。


用事なんかないけど、なんて言われたら立ち直れないかもしれない。



「別に」



ぐさっ。



大ダメージだ。マジか。胸が痛い。思っていたより厳しめだった。


薫君は目を伏せて口を開いた。



「稜汰も今日は一緒だろ。早く戻れ」

「いや、でも、薫君は?用事無いなら食べようよ」

「あけび、食うの遅いだろ。昼休み終わるぞ」

「うん、そうなんだけどね。だから薫君も、」



あれ、会話が成り立たない。話を聞いてよ薫君。



「……俺は賑やかなのが嫌いだって知ってるだろ」



どことなく自分自身に言い聞かせるように落ちた言葉に、思わず「えっ」と間抜けな声を上げてしまった。



……確かに彼は昔から騒々しい集団の中にいることを苦手としていたけど。



でもこの1週間、騒がしくケンカする真澄君と保君と一緒にご飯食べてたよね?それなのに、どうして今日は駄目なの?


別に稜汰君を嫌ってる節は無いし、理由が分からない。



「稜汰君も真澄君も……保君だって、薫君が教室から出ていく時、不思議そうな顔してたよ」

「なんで」



眉をひそめた彼に「なんでって、」と口ごもる。


そんなのどう考えても。



「いつも一緒だからだよ」

「……俺とあけびが?」

「違うよ。いつも4人でお弁当食べるし5人で部活に行くでしょ」



正直なところ女の子の友達が欲しいっていうのはある。ずっとずっと憧れてるし。


でも、小中学校で友達と呼べる人が2人くらいしかいなかった私にとっては、男の子だろうと女の子だろうと一緒に過ごす人がいることがとてつもなく幸せなんだけど、薫君は違うのかな。



私の答えになぜか薫君はほんの少しだけ目をみはってから、思案するように手元のパンを見つめる。



「……あけびには、友達ができたな」

「えっ……うん、そうだね。でも薫君にもできたよね」



唐突すぎる彼の言葉に戸惑いながらも頷く。



どうしたの薫君。



「あけび」



薫君はパンから私へ目を移し、いつもの無表情ながらもどこか複雑そうな雰囲気をまとって小首を傾げた。



「あけびには、まだ俺が必要か?」



口をポカンと開け、人様にはあまり見せられない顔をしていると自覚しながら、私は更に「はい?」と上ずった返事をする。



何、その質問。



薫君が必要なくなる日なんて、永久に来ないと思うんだけど。


それに、もし【必要ない】なんて言ったらいなくなってしまいそうなその言い方は何なの?



言われたことを頭の中で繰り返し、傾けたくなった首を何度も縦に振った。首振り人形状態の私を止めるように、薫君は眉一つ動かさずに私の頭に手を置く。



「そうか。なら、もう少し一緒だな」



ますます分からないよ、薫君。


眉尻を下げる私の頭から手を離した薫君は、そのまま背中を向けると歩き始めた。



「教室戻るか。腹空いた」



え、ちょ、嘘でしょ。一緒にお弁当食べてくれるの?って、そうじゃなくて。



「薫君、もう少しって何」



小走りで横に並んで彼を見上げると、薫君は私に合わせて歩幅を狭くしてペースを落としてくれる。



「……言葉のあやみたいなもんだ」



そんなあや、やめてほしい。



「あのね、本当に申し訳ないんだけどね。薫君が私を嫌だと思うまでは、あ、それか薫君に好きな人ができるまでは隣にいてほしいの」



少しだけ声を落としてぼそぼそ話すと、薫君は前を見つめたまま溜め息混じりに口を開いた。



「……ずるい奴」

「えっ、ずるい!?ごめん!わがままで図々しくてカスみたいなお願いだってことは分かってるんだけど」



薫君の優しさにつけ込んだ、本当に最低なお願い。薫君離れはできそうもない。



「カス?お前最近真澄に影響されてきてないか。口が悪い」



げっ。


教室の前まで来て不意に薫君が立ち止まったので、私も扉にかけていた手を下ろした。



入らないの、と見上げると薫君はわずかに笑っていた。



「あけびのそのカスみたいな願い、俺でよければ聞く。だが、もう一つ条件をつけなかったこと、後悔するなよ」




わがままで本当に申し訳ないとか、素直に嬉しいとか、思ったことは色々あるけどどれも口からは出ない。



久々の薫君の笑顔だ、と頭の片隅で考えながらも私は「……なんの条件?」と尋ねることしかできなかった。



質問に対する答えは返ってこなかったけど、代わりに「俺も今のセリフはなんで言ったのかよく分からない」というなかなかとんちんかんな回答をいただいた。



「え、えー……」



唖然とする私を振り返ることさえなく教室に入っていく彼の背中を焦って追う。



【俺はお前の後ろを歩いてきた。これからもそれは変わらない】



ふと入学式の日の薫君の言葉を思い出した。



やっぱり私の後ろなんて歩いてないよね。

むしろいつも私がついていってるよ。

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