第38話 長崎の殺人鬼 2

「長かった」わかばは呟いた。「この七十年、どれだけ人を殺めても手に入らなかったものが、ついに私の前にある。これでやっと、私はこの日本を救うことができるのだ」


 わかばはアタリに向き直り、険しい目つきで彼を睨むと指差しながら言った。


「小僧、貴様の犠牲は私の計画に必要不可欠だ。頼むから、日本のために死んでくれ」


 先と比べて、わかばからはアタリに対する殺意が明らかに放たれていた。何がなんでも──たとえ人がどれだけ死のうとも──アタリを殺す。わかばからはそのような意思を感じられた。


「何言ってんのかわかんねぇけど、俺の能力が欲しいってことか? 残念ながら、俺は五秒しか時を戻せねぇぞ」


「残念ながら、私は能力を活性化させる能力をも持っている。貴様の死は既に確定しているのだ」


 わかばは地面を蹴り飛ばしてアタリに跳びかかり、そんな彼に対してアタリはバットを振った。わかばはアタリの攻撃を避けると脇腹を狙って殴りかかり、アタリはかろうじて手で受け止めると再び彼に向かってバットを振りかざした。


 やはりだ、わかばは思った。この小僧、闇雲に攻撃を防いでいるのではなく、致命傷になるかならないかを判断している。おそらく未来で一度攻撃を受け、その負傷具合でどうすべきかを見極めているのだろう。


 わかばはバットを弾き返すと両手を握り、そしてアタリに襲いかかった。彼がどう出るのかを瞬時に理解したアタリは両手でバットを構え、彼の繰り出す拳一つ一つを受け流した。連続した打撃の直後にわかばはバットめがけて蹴りを入れ、その衝撃によってアタリの体は吹き飛び、再び地面と強く衝突した。体中がボロボロになりながらもアタリは立ち上がり、バットを手にしながら忌々いまいましげにわかばを睨んだ。


 わかばは厳かな雰囲気をかもし出しながら近づき、アタリから目を離さずにその場にしゃがみ込んだ。こちらに跳ぼうとしているのを察したアタリはバットを構えて攻撃に備えた。しかし、突然彼らの目の前にとあるものが落ちたのを見て、二人は思わず面食らって動作を止めてしまった。


 そこにあったのは柚の魂であった。彼女は上空にいる峰に投げ飛ばされたようであり、峰は倒れている柚に足を向けると急降下し、それを察知した柚は透明化をして姿を隠した。峰は勢いよく地面と衝突するとアタリに視線を移し、直後に彼のほうへと駆け始めた。


「峰っ!」わかばは怒鳴った。「私の断りもなく小僧を殺してみろ! そのときは貴様を地獄に送ってやるからな!」


「心配するなよ! ちょっと遊ぶだけだって!」


 峰はアタリの胸ぐらを掴み、彼をわかばのほうへと投げつけた。わかばは我先にとアタリに近づいて拳を突き出し、それを止めたアタリは再び衝撃によって飛ばされ、背中を擦りながら地面を転がった。


 峰はその光景を満足げに眺めていたが、突然背後から気配を感じ取ると即座に振り向いた。見ると、そこには手刀を彼に突き出した柚が立っており、峰はそれを受け止めると柚の首を掴み、そして彼女を連れて宙へと飛んでいった。


「いいところなんだから邪魔するなよ!」


 アタリは再びわかばと一対一になった。


 先に出たのはやはりわかばであった。彼は足元を叩いてアスファルトを粉砕させるとその瓦礫を手にしてアタリに投げつけた。アタリは飛んでくる瓦礫を弾くといつのまにか目の前まで近づいていたわかばに視線を移し、彼の繰り出す連続の殴打を受け止めた。


 もはや何十回、何百回時を戻したのかアタリにはわからなかった。拳が命中しそうになればその直前にさかのぼってバットで防ぎ、それを繰り返す。その間の時間は永遠のように感じられ、アタリの精神は完全に疲弊ひへいしていた。


 その疲弊が仇となり、わかばが次に繰り出してきた拳にアタリは反応しきれなかった。彼の拳はバットをかすめると勢いを落とすことなく進み続け、ついにアタリの胸に命中してしまった。全身に電撃が走ったかと思えば次には猛烈な痛みが胸を襲い、アタリは一瞬で彼方へと吹き飛んでしまった。


 あの打撃を受けてまともでいられる人間は存在しない、おそらくこれで終わりにできるだろう。わかばはそんなことを考えながらアタリのほうへ近づいていったが、突如背後から轟音が響いたのを耳にして彼はとっさに振り返った。見ると、遠くのほうで瓦礫や車両、そして二つの人影が空中を移動しているという異様な光景が広がっていた。


 障害物とともに移動している人影の正体は七星と音であった。戦闘が激化したのか秋葉原にいたはずの二人はいつの間にか新宿に辿たどり着いており、彼らは近くに飛んでいる瓦礫を相手に投げつけ合い、周囲の建物に甚大な被害を与えていた。一般人はおろか並の能力者ですら介入できないであろうその光景は、まさに人外同士の戦闘であった。


 機関銃のように空中を行き交う瓦礫のうち、ある一つが七星の胸に命中した。その傷害によって彼の胴体の右半分が吹き飛び、音はここぞとばかりに彼の首を掴んで瓦礫とともに姿を消してしまった。


 勝敗はついた、わかばは思った。脅威となりうる士師はほとんど戦闘不能となっている。あの柚という女も峰の対処で精一杯となっていることだろう。もとより柚組とやらに興味は無い、ここは小僧を殺して立ち去るとしよう。


 ふと自身から離れていく足音が耳に入り、わかばとっさにアタリのほうを振り返った。見るとアタリはわかばに背を向けて弱々しく走っており、それを目にするなりわかばは苛立ちを覚え、彼に向かって走り出すと大声で言った。


「この期に及んでまだ自分の命が惜しいか⁉ 何度言えばわかる、貴様は私に殺されるべき存在なのだ! 貴様の犠牲さえあれば広島も長崎も、戦争の犠牲者すらも救える! それどころか平和的解決も可能なのだぞ! たった一人の死で多くの人間が幸福を得られるというのに、貴様はなんて利己的なのだ!」


 二人の距離はたちまち縮まり、わかばはアタリの背に手を伸ばした。そのまま彼を掴めると思いきやアタリは突然振り返り、わかばの手に向かってバットを振った。それを止められるとアタリはすかさずナイフを取り出し、わかばの腹めがけて勢いよく突き立てた。


 これがアタリにとって初の攻撃であった。突然の反撃にわかばは一瞬驚いたものの、彼はすぐさま平常心を取り戻してアタリに向き直った。いくら反撃といえども所詮しょせんはナイフの刺し傷であり、わかばにとっては痛くもかゆくもなかった。


 わかばが拳を握って攻撃を繰り出そうとした瞬間、アタリは唐突にわかばに顔を近づけ、そして彼と接吻せっぷんした。突然の奇怪な行動にわかばは呆気に取られたが、アタリが顔を離して口に何かを含んでいたのを見ると途端に背筋を凍らせた。


 アタリの口には煙があった。煙はわかばの口と繋がっており、それに気づくなりわかばはアタリを蹴り飛ばした。この小僧、まさか私と同じ能力を? わかばは動揺したが、間もなく彼は自身があざむかれたことに気づいた。煙は生命エネルギーなどではなく、ただのタバコの煙だったのだ。アタリは空中を飛びながら紫煙を吐き出し、わかばを見つめてほくそ笑んだ。


 やられた、わかばは思い、とっさに自身の腹を見下ろした。そこには傷口の中に埋め込まれた異物、わかばの手があった。初めに柚によって切り落とされた手を、わかばが目を離した隙にアタリが回収していたのだ。


 手は人差し指を曲げられており、既に起爆準備を迎えていた。

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