第31話 祭りの後 5

 次の朝、七星は早くに目を覚ました。


 七星と煉瓦は同じ屋根の下で同居をしていた。上京したての頃に狭いアパートで生活を共にした時の習慣が今でも続いており、柚組で働いて互いに住居を買えるようになったにもかかわらず、彼らは戸建てにたった二人で住んでいた。同じ家に住んでいるとは言いつつも二人の生活様式は全く異なり、時には七星が、時には煉瓦が、そして時には両者が家を空けておくことも珍しくなかった。


 七星はまだ眠っている弟を横目に支度を済ませ、そして早くに家を出た。就業時間まで余裕はあったものの、彼は柚組本部におもむくことにした。本部はいつの時間も必ず人がいた。例にもれず彼がオフィスに辿たどり着いた時にも見知った顔が数人おり、彼は会釈をするとそそくさとエレベーターに乗り込んだ。そして十四階のボタンを押すと彼は時間を確認した。この時点で時刻は六時を回っていた。普段ならほとんどの人間が就業や就学のために目を覚まし始める時間だが、例外は七星だけではなかった。


 十四階に辿り着き柚の部屋まで歩くと、七星はノックもしないままずかずかと部屋に押し入った。部屋には自身のデスクに肘を置いて両手を組み、目を閉じて瞑想をしている柚の姿があった。彼女は七星が部屋に入った後もじっとしていたが、しばらくするとゆっくりと目を開いて七星を見た。


「相変わらず早起きだね」


「年のせいかどうも眠りが浅くてな。暇だったんで遊びに来てやったぜ」


「二十五ってまだピチピチでしょ。それで年って言うんだったら私は中年のおばさんなんだけど」


 七星は応接用のソファに勢いよく腰を下ろすとそのまま背を預けた。


「お前こそ相変わらず信心深いな。こんな早くから出社して熱心に祈るなんてよ」


「ルーティーンみたいなもんだからね。ここまで宗教的なヤクザ、他にいないと思わない?」


「ルーティーン、ねぇ」


 柚は何かと宗教的・精神的なものを強く信じるところがあった。柚組の中で何かしらの宗派に属する人間は多くなく、それどころか柚の両親ですらも無神論者であった。にもかかわらず彼女が神にすがるようになったのは、彼女が精神的な能力を有しているからなのであろう。人間の魂に干渉できるがゆえ、人一倍生と死を実感してしまうために、彼女はその生を作り出した神という存在を信じていた。


「で? 今日は何に対して祈ってたんだ?」


「抗争で被害に遭った人、それと裏切り者たちにね」


「裏切り者なんかに祈ってるのかよ。あいつら今頃地獄に落ちてるだろうから、祈りなんか必要ねぇだろ」


「そうだけど、でも私はお人好しだから、私を裏切った悪人に対しても祈らずにはいられないの」


 七星は呆れたように宙を見た。そんな彼の心情を理解したかのように、柚は言った。


「わかってるよ、馬鹿らしいってことくらい。でもあいつらは愚かな指導者によって駒にされた愚かな被害者でもある。そんな生まれないほうがよかったみたいな存在、救いがなさすぎるじゃん。だから私は情けをかけてもらえるよう神様に祈るんだよ。私も彼らを許しますから、どうか彼らの罪をお許しくださいってね」


「お人好しっていうか、それはもう変人の域だぜ。自分を殺そうとしたやつを許すだなんて真似、俺には絶対できないね。それにお前は自己中心的すぎるぞ。神と話せる権力すら持ってないお前が祈ったところで、何か変わると思うのか?」


「思うよ。祈りに資格なんか必要ないし、それにあいつらに対して祈ることができるのは私くらいだから」


 七星は鼻を鳴らして口を閉ざした。


「祈りってのは、ある種の魔術のようなものだと私は思うんだ。神様にお願いをすることで実際に望みが叶うかもしれないし、そうでなくとも何かしらの効果を得ることができるかもしれない。この世から悪が消え去ることはないけど、それでも私は悪に祈るよ」


「それが、お前が町田の事件で学んだことか?」


「まぁね。敵対する悪に無慈悲になることも時には必要、だけど悪に対して祈ることも忘れてはならないんだって、私は思うんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る