第5話

 ──味がしない。


 そう仮称『天華』は口にしたが、全くの無味ではなかった。口にしたそれからは、僅かばかりの温もりと、生臭い鉄の香り。独特の味と、ほんの少しの粘性を確かに感じていたのだ。

 それらの情報は、彼女の血液が正しく血液であるという事実の証左であった。しかし仮称『天華』はそれの他に求めていた味があったらしい。ほんの少しの間をはさみ──再び喉笛へと噛み付き、先ほどよりも強く血を吸った。


 仮称『天華』が感じたのは──先程と変わらぬ味と、香り。そしてほんの少しの温もりだけ。


 現実を前に────と、仮称『天華』は訝しみ「やっぱり味がしない」と口にした。それらの意味するところは不明。現状わかるのは、仮称『天華』の機嫌が悪い方向へと傾いている事だけだった。


无名むめい。貴女は外へ出たのよね? 世界を旅したのよね?」


 答えはない。彼女──无名むめいは虚ろな表情で浅い息を繰り返すばかりである。仮称『天華』が抱擁こうそくを解くと、彼女は力なく壁へ凭れ掛かりそのまま倒れてしまった。仮称『天華』は優しく抱き起こすと、そのまま語りかける。


「他の子達に会って、記憶を取り込んで────だから、此処へ来た。違うの?」


 仰向けになったことで気管に血が流入したのか、彼女は激しく噎せる。その度、二人の白装束に染みが増えた。しかし二人ともそれを気にする様子はない。仮称『天華』はアルカイックスマイルのまま、彼女を見をおろしていた。


「…………会った、けど。皆、死ん……で、た」

「生死は関係ないのよ无名むめい。彼女達に触れたかどうか──それが大事なの」


 仮称『天華』の問いに対し、彼女は首を横へ振った。その瞬間、仮称『天華』が「嘘をついても無駄よ」と鋭く言い放つ。


「貴女からは他の子達の匂いがするもの。少なくとも雪原の彼女──蓮華れんかには会ってる。そして彼女の記憶を継いで、欠片も取り込んだ筈よ」

 

 沈黙を肯定と捉えたのか、仮称『天華』は話を続ける。

 仮称『天華』曰く彼女──无名むめいは相手の記憶を読み取れるらしい。またその際に『天華アマナ』の欠片を回収する力があるのだという。

 欠片と表現しているが、石片のような形あるものではないとの事。理由は不明だが、无名むめい以外には取り出す事の叶わぬ代物なのだとか。

 

「──……雪原の蓮華れんか。埠頭の彌華みか。書館の華猗かい。廃村の華篶かえん。彼女達は『天華アマナ』の欠片をその身で育てていた。なのに彼女達はそれを封じ、彼女達として生きていくことを望んだわ」


 曰く──仮称『天華』や无名むめいを含む彼女達は皆『天華アマナ』の血縁である。その生まれや育ちはおろか、生きた時代すらもが異なる者達を此処に閉じ込めていた。中でも最も新しい者が彼女──无名むめいであった。そして无名むめいを含む全ての彼女達を引き揚げたのは仮称『天華』であると言う。

 ……ただ、それでは辻褄が合わない。仮称『天華』自身が語った言葉が真実であるのなら、彼女もまた誰かに引き揚げられた者である。仮称『天華』を引き揚げたものは一体誰なのだろうか?


「天華は、なにがしたい、の」

「何もかもを凍らせてしまいたいだけ」

「……それは、貴女の願い? それとも、彼女の願い?」


 彼女の言葉に、仮称『天華』の眉毛が動き──寸秒の間を挟んでから「どういう意味?」と苛立ちを滲ませた声で問う。これに彼女は、軽い喘鳴交じりの声で「そのままの意味」と答えた。


「そんなの、どっちでも良いじゃない」

「良く、ない……から、聞いた」


 相変わらず喘鳴交じりではあるが、彼女の声には少しばかり活力が戻っている。その代わりに、仮称『天華』の表情は陰りが差していた。

 暫しの間、視線を交わした後に──仮称『天華』は溜め息をつき言葉を続ける。


「────正直、わからない」

「そう」

「……どっちでも良くないって言っておきながらそれ? 少し酷くないかしら」

「わからない事を、無理に、話す……意味は、ない……もの」


 彼女は答えると、ふらつきながらも立ち上がり仮称『天華』へと向き直った。彼女の出血は止まった様子だが、未だ傷むのか片手で傷口を押さえている。満身創痍の様相には変わりなかったが、その目だけは活力に満ちていた。


「天華。貴女は──あの子を、見たの?」


 心当たりはないのか、仮称『天華』は怪訝な表情で彼女を睨む。これを彼女は「否定」と捉えたのか、ほんの少し悲しげな表情で仮称『天華』を見ていた。


蓮華れんかお姉ちゃんも、彌華みかお姉ちゃんも、華猗かいお姉ちゃんも、華篶かえんお姉ちゃんも、わかってた。わかっていたけど、向き合おうとせずに、拒絶した。あの子がどうして泣いていたのかを、知ろうと、しなかった」


 時折咳き込みながらも語る彼女を前に、仮称『天華』の表情は難しいものになっていく。身の内に抱く感情は、疑惑と苛立ちだろうか?


无名むめい、貴女は誰の記憶を見たの」

「確証はない。けど……きっとこれは、幼少期の、天華あまなだと思う」 

「……そんな記憶、私は知らないわ」

「貴女じゃ、ないよ。これは一番最初に産まれた子──ううん、天華あまなに初めて成った子の記憶」


 この発言を前に、仮称『天華』は初めて驚きの表情を見せた。しかしその表情はすぐに消え、強い疑念と怒りの混じった表情へと変わる。言葉もなく、じっと見つめたまま仮称『天華』は彼女との距離を潰した。


「なら聞かせて。天華あまなはどうして泣いていたの?」

「自分の帰る場所を、凍らせてしまったから」


 この答えを耳にした仮称『天華』は「信じられない」といった表情で彼女を見ていた。両者間──もとい血縁の娘達全員に『初代天華あまな』の記憶はある。だがその記憶を何処まで知覚出来るかについては、個人差が大きかった。

 最も古い個体である仮称『天華』は、初代とより深く繋がっている自覚があったのだろう。他の彼女達──蓮華れんか彌華みか華猗かい華篶かえん无名むめい──よりも初代の事を識っている自信があったらしい。


「…………私は、なにも憶えていなかった。ここの石棺に閉じ込められた理由も、経緯も何一つ知らなかった」


 険しい表情の仮称『天華』を余所に、彼女は話を続ける。


「外が真銀ましろになった理由も、閉じ込められていた理由も。お姉ちゃん達が誰から逃げようとしたのかを知りたかった。けどソレよりも──心の何処かで感じていた『悲しみ』の理由が知りたかったの。それを識るために蓮華れんかお姉ちゃん、彌華みかお姉ちゃん、華猗かいお姉ちゃん、華篶かえんお姉ちゃんに聞いたんだよ」

「……聞いた?」

「うん。私は記憶を見せてもらっただけ。お姉ちゃん達の記憶を手掛かりに、私の中に居るあの子を知ろうとした」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る