新約クトゥルフ神話TRPG

伊庭 常娯

第1章『始まりは可もなく祝福もなく』

第0話『2039年:12月8日:16時37分』

 人生の転機とは、いつだって日常のちょっとした変化の中にあった。

 あの日も、たしかそうだった。


「すみません、お見舞いに来ました」


「あらテル君、こんにちは。もうすぐで診断が終わるから、もう少しだけ待っててね」


 中学生の頃、姉の見舞いによく行っていた。

 姉は原因不明の難病に罹り、年明けまで生きているか定かじゃないと宣告されていた。

 そんな彼女と最期に話した日のことは、今でも昨日のように覚えていた。


「そういえば、テル君って何の部活に入っていたの?」


「え?」


 突然、受付の人に話しかけられた。


「あぁごめんなさい、つい気になっちゃったの。テル君って最近まで、毎週日曜日だけお見舞いに来てくれたでしょ?でもいつからかほぼ毎日来てくれるようになったのは、今まで部活で忙しかったからなのかなって……」


「いや、僕はその……何の部活にも所属していませんでした。でも突然ですね。そんな質問をするなんて……もしかして姉さんに頼まれました?」


「え、いやいや!私が個人的に気になっただけで──」


「あはは、別に怒らないですよ。確かにこのことは、姉には一切説明しなかったので……もう明かしても良い頃でしょう。でもその代わりに教えて下さい。あの人の病状は依然快復していないんですよね?」


「………」


「そうでしたか。……はぁ、どうして僕をそこまで気にかけてくれるんですかね」


「それは当然よ。テル君はヒカリちゃんにとって大切な弟だもの」


「まぁそういうことなんでしょうね。でも……もっと自分のことを大切にしてほしいですよ」


 僕は当時、姉のことをよく分からずにいた。

 彼女は誰よりも脆弱だった。本当は彼女を守るべきだったのに、そんな僕の生きる道を差す光になって、些細な憂いさえも照らしてくれた姉には、本当に頭が上がらない。

 だからこそ教えてほしかったのだ。─―自分の死が迫っているというのに、何故血の繋がりのない「弟」を大事にできるのか。


「姉さん、入るね」


 ノックを二回鳴らし、返事を待つ。

 だが数秒の間をおいても彼女からの呼び声がない──まさか、とは思った。


「姉さん?」


 扉を開けると、姉は眠っていた。

 今まで一度も、彼女が病室で寝ていたことなどなかった。

 無論起こす気にもなれず、それから彼女が起きるまで部屋を探索した。


(KP、ダイスロールを振りたい。この部屋に何かめぼしいものはあるかな?)


(かしこまりました……それでは[目星]を振って下さい)


 聖城 輝彦:

[目星(75)]<60:成功


(おめでとうございます。引き出しにメモ帳があります。随分と使い古されています)


(えっと……あれか)


 KPの言うとおり、僕は指定の場所からメモ帳を取り出してみた。

 姉の私物なのだろうが、こんなもの初めて見た。

 それを手に取ると、両面にそれぞれ未知の言語が刻まれていたが、


(何語か分かるかい?)


(ラテン語のようですね。成功確率は0%)


(特異技能は使えるかい?)


(かしこまりました。それでは[祝福]および[ラテン語]ロールをどうぞ)


 聖城 輝彦:

[祝福(95)]>37:成功

[ラテン語(0)]<97:成功


(流石です。表面には『アーキビストの叙事詩』、裏面には『セイジョウ ヒカリ』と書かれています)


(アーキビストの……叙事詩?)


 文字を解読できたものの、謎の題名に首を傾げる。

 アーキビストが何か分からないが、恐らくアーカイブと意味は似ているはず。ということは、何かの記録か?なら何を記録しているんだ?


 憶測が無邪気な子供のように駆け巡った末、ついに彼女の手帳を開いてしまった。


(小説?いやポエムか?あとこれは……日記だ)


(他にも彼女が創作したと思われるメルヘンや、聖書の一部を引用したと思われる文章が書かれています。要約できますがどうされますか?)


(いや、全部目を通すよ……時間はかかるだろうけど)


 そうして僕は一ページずつ丁寧に読んだ。

 静寂な病室でこだまするのは、彼女の寝息を掻き消す冬風と、数分おきに古紙をめくる音だった。

 まだ青かった空はいつしか濡羽色に染まり、彼女の綴った世界に触れている間は、もう帰る時間なのをすっかり忘れていた。


(………そうだったのか)


 文字が急に滲んだ。視界も覚束なくなる。

 どうして、こうも涙が止まらないのか。


「あれ?……テル?」


 やがて彼女が目を覚ました。

 その頃には手帳を元に戻し、夜の街を窓越しから眺めていた。


「ごめんなさい、私寝ていたのね……もうこんな時間、早く帰らないと叔父さんが心配しちゃうよ?」


「そうだね……もう帰るよ。でもその前にさ、伝えたいことがあって……」


「ん?」


「僕、国際探究学園に入学するよ」


 この発言が全世界を混乱に陥れる引き金とはつゆ知らず、僕は彼女の意志を継ぐことに決めたのだった。

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