第22話 戦場の浴場
私達は無事ルターニヤへと到着し、ティラ達を預け所に連れて行く。
イレーナはまたひとつ新しい世界が自身の中で広がることに、感慨深そうに周辺を眺めまわしている。
他郷からやっとの思いで辿り着いたのであろう親子は……心なしか感涙しているようにも見えた。
それぞれの思いが快調に落ち着きをみせるなか……
街に着いてからの私の足取りは、鉛のように重かった。
*
ここはロゴン程の規模ではないものの、商店が等間隔で立ち並び、程よく人の往来も見受けられる。
ここで暮らすには不便しない、丁度良い街の造りになっていた。
蒼天さも相俟って、街中を吹き抜けていく風が、晴れ晴れとした気分にさせる。
旅の疲れを癒すにはうってつけの場所でもありそうだ。
「お二人共、当店の近くに浴場がございます。一度そちらへ行かれてはどうでしょう? 汚れたお召し物を娘に預けていただければ、きちんと仕上げておきますし、お着替えもこちらでご用意いたしますので」
——……とうとうこの時を迎えてしまった。
清々しい街の印象に、おぼろげになっていたこの時が……。
男の言葉は私の思考を有耶無耶にさせ
考えるほど私の身体は萎縮する……。
「アイオ……どうかしましたか?」
心情が分かりやすく表情に投影されていたのか、イレーナは心配気に私を覗き込む。
「別に。……何でもない」
そっけなく返事を返す私に、イレーナは推し量ってか、それ以上の言葉は並べない。
私達と娘は着替えを拝借する為に店へと寄って、その足で男に言われた浴場へと歩みを進めた——。
*
浴場入り口から真正面に、気立の良さそうな女主人が座っていて、泥まみれの私達を手慣れた笑顔で迎えてくれた。
民家とも感じる内装は、所々に店主の気遣いが感じられる……。
土足厳禁の板張りになった一区画が用意されていて、横になって休めるようだ。
用途によって使い分けれるように薄布や厚手の布までしっかり用意されている。
「なんだいあんたら泥んこじゃないか! 若いと活発で良いねぇ……! 女湯は奥だよ、ゆっくりしていきな」
……正直私は元気ではないけれど、ここで佇むわけにもいかず
おずおずと女湯へと向かった……。
この時間帯だからか、脱衣場には全くと言っていいほど人の姿がない。
私にとってはかなり都合が良い……。
……私の身体には、ある事をきっかけに突如として浮かび上がった、鱗のような紋様があった。
それは右肩からその手首まで続いていて、イスキレオ機関屈指の見識を持つマリーナ様から、極力露出は避けるよう留意されていた。
無知な私ですら、この紋様が只事ではないことを理解している。
……紋様が私を喰い尽くそうと、本能が危機迫るものを感じるからだ。
内から蠢いてくる感覚が、今でもある……。
紋様が表れた日から、私の首、両手首、両足首には、マリーナ様によって刻印が彫り刻まれた真鍮の輪が嵌められた。
真鍮とはいえ、あらゆる所に輪が嵌められていては、囚人のようで気分も滅入る。
……それらを合わせた私の身姿は、もちろん大衆向けではない。
つまり、今の浴場は、私にとっては渡りに船だった。
*
娘が、こちらの姿が見えない良い塩梅の所で待機している。
私達が浴場へ入ったら、汚れた衣類を父親の元へと届けてくれることになっていた。
脱衣場からでも分かる湯煙が、湿りを感じさせて身の毛がよだつ……。
けれども待たせることには気が引けて、湯煙に惑わされないよう急いで衣類を脱いでいった——。
頭からローブを剥ぎ取り準備された藁籠へと、ばさっと放り込んだ。
着慣れて、私の身体に馴染んだ白い制服も、躊躇なく脱ぎ捨てる……。
瞬く間に私の身体だけは、入浴準備が整った。いや、整ってしまった。
イレーナの様子はというと……
恥じらうようにこちらにそっぽを向けたまま、衣類に敬意でも表しているかの如く慎重に脱衣していた。
まだ肌着さえ身に付けたままでいる……。
ひとりで脱げない仕様になっているのか、私は一助になればとイレーナの肩に手を置いた。
「——わぁっ!」
……不意に置かれた手か、振り向きざまに見えた私の紋様か……。
何に驚いたかは定かじゃないけれど、イレーナは動揺を隠しきれないでいる。
もしかするとイレーナにも事情があって、本来浴場に来る事に抵抗があったのかもしれない。
だとしたら、お互いそれを免れる術が無いだなんて……。
はぁ……。
私の小さな溜息が、イレーナに気まずさを負わせてしまったようで……
「遅くなってすみません……。私もすぐに入りますので、準備ができていれば先に入っていただけませんか?」
イレーナを急かしているつもりは微塵もなかったのだけれど。
身体だけ準備を終えた私は、意を決して、湯船が陣取る洗い場へと入っていった。
そして……
洗い場の、入り口付近に置かれた手持ちの桶をとり、及び腰にお湯をすくい取った。
桶の取手に無駄な力が入ってしまう……。
…………——。
手始めに、握りこぶし分ほどの湯量を頭に落とた。
……もちろん泥は流しきれず、このままじゃ埒が明かない。
お湯で満杯になった桶を凝視し、吐き捨てるように短い深呼吸を繰り返した——。
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