第5話 与えられた名前

 ここでの生活にも慣れてきて、あの日から数日が経った。

 不自由していることは何ひとつなくて、そう思えるのも、変な気遣いをすることもなく、色々と世話を焼いてくれるシーナの存在が大きいのだろうと思う。

 彼女は普段、淡々としていて何を考えているのか分からないけれど、時折見せる包み込むような眼差しに、私は絶対的な安心感を覚えていた。

 ただ、肝心な記憶は戻らないままであることに、私は内心焦っていた。

 司令官は、私に記憶が戻って、自分が成すべきことを選択できる日が来るまでは、気にせずここに居れば良いのだと言ってくれたけど。


 この人達から向けられる優しさが、私のちっぽけな良心に染みて、その焦りを増長させていく……。



「やっほー!諸君、ただいま戻ったよー!元気だったかーい?僕はねぇ、だーい好きなアスピス部隊の皆んなのために、やる事が山積みで疲れ果てていたんだけど、君達の顔を見た今は、すっこぶる元気だよー!」


「恩着せがましさと、気色の悪さが交差しています。お疲れ様です司令官」



 あの日から司令官の姿を見かけなかったのは、お役目の任務でここを留守にしていたからのようだ。ちなみに『アスピス部隊』というのは、司令官がつくった特別な部隊なのだという。


 この部屋と、シーナ付きの湯殿と……、あとはニライカの生態を調べ出したマリーナ様に呼ばれて会いに行くというぐらいで、この三点の行き来しかしていない私は、他の誰かに会うこともなく、この機関の事はよく知らないでいた。


 シーナやマリーナ様に色々と聞いても良かったのだろうけど、なんとなく二人を困らせる気がして、特別なにかを聞くようなことはなかった。



「お待ちしておりました司令官」


「シーナ君、お待たせしてしまってすまなかったね。ちょっと上官たちがぐちぐち、ねちねちうるさくて、話が平行線で治まりが悪かったんだよねぇ……」



 柄にもなく神妙な面持ちで話す司令官は、どこか怒っている(?)ようにも見えた。 


 私はきっと人の心情に疎い。それでも、世話をしてくれるこの人達が、何を考えて、何を感じているのかを知ろうと、足りない頭でよく考えていた。



「そうでしたか。でしたらあの件は……」


「あぁ!それならばっちり話はつけてきたよぉ。こちらの願いが全て叶ったわけではなかったんだけどねぇ、、まぁそれでも、僕らの勝ちと言っていいだろう。」



 上機嫌に戻った司令官は、ごそごそとローブの中から紙を取り出し、机に広げた。


 そこに書かれていたのは『アイオ』という三文字だった。


「これは…?」シーナがそう問うと、くるっと私のほうを向き、腰に手を当て自慢げにこう続けた。



「今日から君の名前は『アイオ』でどうかな?名前がないままだと、君も僕たちも呼び合う時に困っちゃうだろ?だから、この数日ずーっと考えていたんだよね。ちなみにこの言葉には、それはそれは、とても深い意味が込められているんだ。僕からの親心だと思って、この名前を受け取ってほしいと思う。 ……あっ、そうだ、いっそ僕のことは、『お父様』って呼んでも良いんだからねぇ……!」


「司令官、『お父様』の提案は、年頃の方には罪と言えます。そういう癖でしょうか。穢らわしい。どうぞこれ以上、アイオと私に近づかないでください」

 


 誤解なんだと必死になっている司令官を無視して、シーナがこちらを向いた。


「アイオという名前はどうですか?私はすでに馴染んでいますが、当分は付き合っていかねばならない名前になると思いますので、あなたが嫌でしたら、はっきりとこの変態司令官にお伝えして問題ありませんよ。」


「あ……、いえ。嫌ということはないので、今日からアイオでお願いします」



 そういえば、私は名前まで忘れてしまったことを、今気づかされたのだった。


 司令官は目を輝かせ、両腕をばたばたさせてこちらを見ている。

 その姿は……、正直、ちょっとだけ、気持ち悪い。 



「よし!めでたくアイオ君となったところで、じゃんじゃん話を進めていこうか!」


 司令官はこの数日、私の今後が少しでも自由で安全に過ごせるようにと、上官達と審議を交わしていたらしい。


 あの塔の出来事でもあったように、今後も、ニライカの血が兵器となり得る可能性があるということで、なかなか答えが出せなかったそうだ。

 結局、私の身柄はこの『イスキレオ機関』という場所の監視下に置かれることとなった。

 イスキレオ機関は、表向きには五つの近隣国の情勢を保つため、国々に公平な判断を下すところなのだそう。そしてときには、国々よりも権限があるそうだ。

 機関には戦闘部隊、救護班、上層部と、役割は大きく三つに分けられていて、戦闘部隊が多くの割合を占めている。

 魔獣襲撃から人間同士のいざこざまで……、多岐に渡って目を光らせている上層部からの指示によって、戦闘部隊が動き、その被害の縮小のため救護班が動く……、といった仕組みだ。

 そして、表立って解決ができないようなことがあった場合の処理を任されているのが、司令官が率いるアスピス部隊となる。

 この部隊はシーナを含め、八名という少数で構成されているらしい。


 より能力を買われた人間のみが選ばれるであろうこの部隊に、私は明日、テストに受かって入隊しないといけない……。


 今後の自由と安全は、入隊し、日々のお役目を果たすことで得られるということだ。元より、生きていく上で『自由と安全』の優先順位が高いわけではない。

 けど、頼んだわけでもいないのに、無条件で守ろうとしてくれるこの人達に、何か返せたらと思っていた私は、無理してまで繋いでくれたこの道を、踏み外すわけにはいかなかった——。






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