第28話 グランディール公爵

「あなた!」


 混乱しつつもとにかく客室へと案内すると、オリヴィア様ははじかれたようにジョンさんに抱きついていった。


「おお、オリヴィア。心配をかけてしまったな」


 ジョンさんはオリヴィア様をしっかりと抱きしめて、ブロンズブロンドの髪を優しく撫でる。


 この時点でさすがの私にも、ジョンさんの本当の名前は見当がついていた。


 ジョナサン・アッシュフォード。


 三つもの爵位を有する大貴族、アッシュフォード家の当主だ。


「ジョジョジョジョナさん! いえ、ジョナサン様!」


 私は噛み噛みに噛みながら、ジョンさん改めジョナサン様に詰め寄った。


「グランディール公爵様でいらしたのですか!? なぜ教えてくださらなかったのですか!?」


「いやぁ、すまない。ベリー家は居心地がよくてなぁ」


 ジョナサン様は苦笑しつつ、白いものの混じり始めた頭をくしゃっと掻いた。


「この家の皆さんの態度が変わってしまったらと思うと、言い出せなかったのだよ」


 ジョナサン様はオリヴィア様に再会した瞬間に、はっきりと名前を呼んでいた。つまり、事故の衝撃で記憶を失ったというのは嘘だったのだ。


「ここここんなみすぼらしいベッドに、公爵閣下を……!?」


「ああああんな粗末な草の手当てを、公爵閣下に……!?」


 私の背後でうちのお父様とお母様が、二人そろってがくがく震えている。


 両親の気持ちはよくわかる。貴族の家では鳥の羽や動物の毛を詰めたふかふかのベッドが使われることが多いのだが、我が家のベッドは藁や綿を詰めた素朴な作りだ。


 私たちにとっては綿を使えるだけ上等なのだが、知らなかったとはいえ王国有数の大貴族様を藁のベッドに寝かせてしまった事実に、冷や汗がだらだらと流れて止まらない。


 私たち親子が肝を冷やしていると、頭上から涼やかな声が降った。


「ノース男爵、男爵夫人、そして男爵令嬢。父の命を助けてくださったこと、心から感謝します」


 ローレンス様がきらめく美貌を惜しげもなく輝かせて、礼を言ったのだ。


 すらりと伸びた長身には、旅装用の外套がよく似合っている。希有な緑柱石のような眼に映るだけで、まるで見えない矢を射かけられたみたいに動けなくなる。


「ロ、ロ、ロ、ロ……!」


 またも私が噛み噛みに噛んでいると、ジョナサン様が「おや?」と首をかしげた。


「ローレンス、サラさんと知り合いなのか?」


「めめめ滅相もありません!」


 私は必死に否定して、ローレンス様から距離を取った。


──また迫られたらどうしよう、と一瞬警戒したが、それは私の自意識過剰だった。


 ローレンス様は颯爽と私の前を通り過ぎると、ベッドサイドに片膝をつき、まっすぐにジョナサン様を見つめた。


「父上、顔色がよくて安心しました」


「ああ。実に真心のこもった看病を受けているよ」


 ジョナサン様は目元のしわを深めて、にっこりと笑った。


「ノース男爵ご夫妻はあたたかく、サラさんは働き者で気立てがよく、ケイくんとメイちゃんは本当に愛らしい子どもたちだ」


 恐れ多いお褒めの言葉に、両親と私は恐縮して小さくなり、ケイとメイはえっへんと胸を張る。


泥炭ピートの熱でじっくりと煮込んだスープや、煙で作った燻製は絶品でなぁ。怪我人にもやさしい味わいで最高だった。みんなで一緒に食事を囲むひとときは、何とも言えない心あたたまる時間だったよ」


「まぁ、私もぜひご相伴にあずかりたいわ」


 オリヴィア様は楽しそうに相槌を打って、感謝のこもったまなざしで私たち家族を見つめた。


「本当にありがたいこと。ベリー家の方々にはなんとお礼を言ったらいいかわからないわ……」


 オルブライト公爵家でのお茶会の時も思ったが、オリヴィア様は貴婦人らしく優雅なのに、偉ぶったところのない上品な方だ。


 ちょっと人の悪……おちゃめなジョナサン様と、気品にあふれながらも気取りのないオリヴィア様に囲まれて、ローレンス様は今まで見たことがないほど穏やかな表情を浮かべていた。


 ──あ……。


 その刹那。私は思い出した。


 かつてローレンス様がお父様を失って、深く悲しんでおられたことを。


『父が亡くなってから……夢など見ていないな……』


 時が巻き戻る前。ローレンス様はグランディール公爵の座に就いていた。先代公爵だったジョナサン様が馬車の事故で急死したからだった。


 ローレンス様は突然の別れに引き裂かれ、二度とお父様と会うことも話すこともできなくなってしまったのだ。


『……父がこんなに早くに逝ってしまうなど、思いもしなかった……』


 若くして複数の爵位を継ぎ、夢を見る暇もないほど多忙を極めていたローレンス様は、無念そうにそうしのんでいた。


 多くは語らなかったからこそ、ローレンス様の深い悲しみが痛いほど伝わってきて、胸がぎゅっと締めつけられたことを覚えている。


──今回はローレンス様は……敬愛するお父様を失わずに済んだのね……。


 ジョナサン様が助かってよかった。オリヴィア様が未亡人にならなくてよかった。


 穏やかにお互いを見つめ合う公爵家の家族三人が、悲劇の運命を免れて本当によかったと、私は心から思ったのだった。

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