3話
「社長、見てくださいこれ! 鷹野さんですよ!」加古井はノートパソコンを指差しながら言った。
「知ってるよ」大和田はため息交じりに言った。「なんで今になってこんな……」
「知ってたなら言ってくださいよ」加古井がむくれた。
「昔のことを掘り返されるだけでしょ。下らない記事を書いてくれたもんだよ」
加古井は画面に表示された記事を斜め読みする。鷹野蒼司がYURIのマネージャーで婚約者だったこと。彼女の自殺に大きく関与しているのではないかということ。そして、鷹野と才賀友理のツーショット写真が載せられているだけの、薄ぺっらい内容だった。
「これ、やばくないですか?」
「やばくないから大丈夫。ゴシップでしかないよ。悪意は感じるけどね」大和田が、呆れたとでも言いたげな表情で続けた。「無視無視。SNSでも騒がれてるみたいだけど、どうせみんなすぐ飽きるだろうから」
加古井はSNSもチェックする。大和田の言った通り、騒がれていた。思った以上に大騒ぎのようだった。人気アイドルの自殺というだけセンセーショナルなのに、マネージャーと婚約していた。というのはどうやら物議を醸すのに十分な話題のようだ。
「くわ~……」加古井が唸った。「すごいな……罵詈雑言が」
「あんまり調べない方がいいよ。知らない芸能人への批判でも疲弊するのに、鷹野君のことだからね」
「なんで今になって流出騒ぎになったんですかね」
「さあね」大和田が興味なさげに言った。「よくあることだよ。関係者がぽろっと漏らしちゃって、それが広まっちゃったとか。あとは、お金に困ってタレコミをする奴だって、ごろごろいるし」
「黒江さんの件といい、アリアの件といい、鷹野さんの件といい、大和田事務所、世間を騒がせすぎじゃあないですか?」
「一応、芸能事務所だからねえ。そんなもんだと思った方がいいよ。やってるのがバーチャルストリーマーだからマシだけど、リアルのアイドルとかを抱えているところはウチよりずっとお尋ね者だから」
「お尋ね者ですかぁ」加古井が呟くように言った。「鷹野さん、大丈夫かなぁ」
「ポジティブな考え方をすると、写真が流出したことで、目撃情報が出てくるかもね」
「あ、確かに……有川さんに連絡して置いた方がいいですかね」
「いやあ、放っておいたらいいよ。釈迦に説法でしょ」
「ん~……」加古井はSNS画面をスクロールし続けいている。
「ほら、もうやめておきなさい」大和田がたしなめるような口調で言った。「わざわざ嫌味な言葉を見に行く必要はないよ」
「え……」加古井が立ち上がった。「え⁉」
「何、今度は何か見つけた?」
「これ、鷹野さんのアカウント……?」加古井が座り直しながらつぶやいた。
「ん? 鷹野君?」大和田が立ち上がって、加古井のPCを覗き込んだ。
画面には、鷹野蒼司という名前のSNSアカウントが表示されていた。そのアカウントはつい先日に作成されたもののようだった。
「絶対にせもの」大和田が言った。「鷹野君、SNSとかやらないから」
「いやこの投稿……」
加古井が投稿のひとつをクリックする。
『才賀友理の件について、お話いたします』というテキストと、配信サイトのURLが載せられていた。投稿はこれひとつのみで、どうやらバズっているようだった。加古井がそのURLをクリックすると、見慣れた配信サイトに飛び、チャンネル主が4分後に配信予定であることを示すアナウンステキストが表示されていた。既に千人以上のやじ馬たちが待機している。
「麻衣ちゃん、これ多分、釣りだよ?」大和田が言った。
「だったらだったで別にいいじゃないですか」
「まあ、そうね……」諦めた大和田が席へと戻っていった。
加古井は抹茶ラテを飲んで、配信開始を待った。十中八九、釣りだろうとは思っているものの、本当に鷹野が現れるのではないかという期待を抱かずにはいられなかった。これまでずっと、失踪した鷹野の動向についての進展がなかったので、何でもいいからとにかく情報が欲しかった気持ちが前に出ているかもしれない。
『はじめまして、鷹野蒼司です』
鷹野の声が聞こえた。
大和田の椅子が大きな音を立てる。
「しゃ、社長……」
駆け寄ってきた大和田は机に手をついて、画面を覗き込んだ。
画面には何もない殺風景な部屋が映っていて、その中央に鷹野が立っていた。彼は黒いスーツ姿で、失踪する前の鷹野と何ら変わらない風貌だった。
『僕は、才賀友理のマネージャーであり、彼女の婚約者でもありました』
「鷹野君、何をしてるんだ……」大和田は目を見開いていた。
『才賀友理は、殺されました。僕は愛する人を、奪われたのです』
「まずいな」大和田が額に手を当ててうつむいた。「変なモードに入ってるかもしれない」
鷹野の声色はいつも聞いていたそれとは違う、演技がかった感じがした。表情は変わらないのに、口調には幾分か感情が見える。それが加古井には不気味に思えた。鷹野はこんなに、抑揚豊かに喋るタイプではない。
チャット欄を見ると、思った通り、目を覆いたくなるような言葉が並んでいた。
≪何が婚約してただよ、きめぇよ死ねや≫
≪殺したのはお前だろ≫
≪今更出てくんの、自己顕示欲モンスターじゃん≫
≪一般男性と交際してたって、マネージャーだったん? やばくね?≫
≪これマジ? 炎上商法じゃないの?≫
≪この不細工とYURIが結婚予定だったって、絶対こいつが自殺の原因やん≫
≪DVでもしてたんだろ、この人殺しが。YURIちゃん返せよ≫
≪彼氏騒動があってすぐに死んだよね? じゃあまじでこいつやってんじゃね?≫
『今、チャット欄にいる悪魔のような人間たちに、殺されたんです』
『友理の元には毎日のように、数多くの誹謗中傷のメッセージが届いていました。目を覆いたくなるような酷い言葉を大量に浴びればどういうことになるか、僕らはもう知っているはずです』
大和田の携帯に電話がかかってきたようだった。
「はい、見てます」大和田がスマホを耳に当てながら言った。「いえ、わかりません。俺も驚いてて……はい、ええ、お願いします」
「有川さんですか?」
「うん。捜索してくれるみたい」
『あなた方は、あと何人殺せば気付くのでしょうか』
≪なにこれ、釣り?≫
≪お前が訴えても説得力ねえよ。アイドルと付き合ったらどうなるかぐらい、想像つくだろタコ。しかもマネージャーだったとか、まじで終わってるわ≫
≪死ね。早く死ね≫
『昨年も一人、誹謗中傷によって俳優の方が亡くなりましたね』
『おととしにも一人、人気ストリーマーが自殺しました』
『もう一度聞きます。何人殺せば、気が付きますか?』
≪こいつアイドルとセックスしてたのが嬉しくて、自慢したくなっちゃったんじゃないの?≫
≪顔出ししたのは悪手じゃね? 外出たら殺されるだろこいつ≫
加古井は黙って配信を見ていた。画面の向こうで訴え続ける鷹野の姿が、なんとも奇妙で夢を見ているような感覚になっていた。
「鷹野君、なんだって急にこんなことを……」大和田が言った。
「ずっと、抱えてたんだと思います」と加古井。「黒江さんが死んでしまって、ヘンな方向に爆発したのかも」
「自棄になってるんだ」大和田が切り返す。「くそ、俺がそばにいれば……」
『僕が今日ここで話をしている理由は』鷹野の声は涙交じりになっていた。『もう一度、友理のことを思い出して欲しいからです』
「鷹野さん、泣いてる……?」加古井が呟いた。
『あの時、友理の自殺は全国で取り上げられました。SNSでは、数多の芸能人やファンの人たちが、この悲痛な事件を二度と起こさないようにと謳っていたはずです』
『友理の不幸をネタに、負の感情を食い物にしていたメディアたちもいましたね』
『しかし1か月もすれば、みな、非業の死を遂げたトップアイドルのことなど忘れ、新たなサンドバックになれる人間を見つけるための日常に戻っていく』
『そろそろ、学ぶ時です』鷹野が目を赤くしていた。『あなたの言葉は人を殺せます』
≪じゃあ死んでくれ、俺の言葉でお前を殺すわ≫
≪香ばしいな、こいつ≫
≪言ってることは正しいけどさ、YURIが死んだ責任はお前にあるだろ≫
≪死ねよ普通に≫
≪キモいなあ……これで一発当てたいだけやん。YURIを食い物にしてんのはお前や≫
≪こんな男でもYURIと付き合えるん? なんか元気でたわ≫
『僕は、戦い続けます』鷹野は鼻をすすりながら言った。『YURIのためにも、今のネットの在り方は一度見直されなければなりません』
鷹野がカメラに近づいてきて、配信が切れた。
「終わった……」大和田が呆然とした表情でつぶやいた。
「あれ……鷹野さんですよね?」加古井が言った。「もはや、別人でしたけど」
「ああ……ちょっとおかしくなってるかもしれないね」大和田はソファに腰をかけて言った。「でも、良かった。なんとか生きててくれたみたいだ」
「まあ、それは確かに喜ばしいですけど、あんなに配信で流暢に喋れるんなら、連絡ぐらい寄越して欲しいもんですよ。電話もメールも返さないなんて、ちょっと酷くないですか」
「うん、おっしゃる通りではあるね」
「鷹野さん、もう戻ってこないんだろうな……」加古井がため息交じりに言った。
「いや、俺が連れ戻す」大和田が強い口調で言った。
「連絡を返さないってことは、もう僕に関わるな、ってことじゃないですか?」
「今はそういう時期なだけだよ、多分」
「思春期の息子みたいですね」加古井が肩を竦めた。
「俺にとっては息子みたいなもんだから、合ってるよ」
「はあ……誹謗中傷と戦う系インフルエンサーを目指し始めるのは、まあ、百歩譲っていいかもしれませんけど、ちょっとやり方が怖いですね。すっごい叩かれてましたし」
「それは同感。YURIの件を引き合いに出したら、そりゃああなるよ。鷹野君ならそれぐらい分かってたと思うんだけどな」
「もう、狙ってやってるように見えましたね」
「う~ん、それも同感」大和田がソファに横になって言った。「何か企んでそうな感じするよね」
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