9話


 加古井は立ち並ぶ高層ビルの隙間から、東京の夜空を見上げていた。今は働く人間の存在を示す光で明るいこの駅前も、あと数時間もすれば眠りにつくだろう。その時間なら、この場所でも、もう少し綺麗に星が見えるだろうか。

「なんか、思ってた感じと違いましたね……」加古井が言った。「望月さん、悪い人じゃなさそうだなって、思っちゃいました」

「そうね……でも、望月さんと黒ちゃんの関係、そしてアリア復活の謎を突き止めるまでは、油断できません」初上も夜空を見上げていた。

「やっぱり、望月さんが今のアリアを復活させたんですかね?」

「十中八九、そうでしょうね」

「なんだってまた、そんな勝手なことを……」

「まあまあ、今は待ちましょう。答えはすぐに分かります」

 約束の時間通り、望月はビルから颯爽と出てきた。

 近くの静か目のレストランを初上が予約していてくれたので、すぐそこへ移動することになった。店の辿り着くまでの間は、「先日はありがとうございました」というような挨拶をした程度で、黒江や鷹野についての話はしなかった。

 店に到着し、店員からコース料理の説明を受けたあと、ドリンクを注文した。酒は控えた方が良いだろうと思っていた矢先に望月がシャンパンを注文したので、加古井と初上もそれぞれアルコールを頼むことにした。初上はシャンパン、加古井は赤ワインを選んだ。

 加古井は、グラスに注がれた赤ワインを眺めながら、どう話を振るか考えていた。

「望月さんは、黒ちゃんが自殺するの、知ってたんですよね?」初上が切り出した。

 沈黙。

 加古井が考えていたどの言葉よりも、切れ味の鋭いセリフだった

 初上と望月の顔を交互に見る。二人とも無表情で、見つめ合っていた。

「いいえ、知りませんでした」望月が言った。

「黒ちゃんがライブに来れないことを伝えた時、望月さんは冷静でしたね。ほかのスタッフさんたちは、少なからず驚いていました。あれはなぜですか」

 再度、沈黙。

 加古井はとたんに居心地が悪く感じた。

 アリアの配信についての話をしにきたはずだが、どうやら初上の本命はこちらだったようだ。加古井は場を和ます何か言葉を発しようとしたが、適切なセリフを思いつくことができないでいた。

「想定内ではありました」望月は短く息を吐いてから、そう言った。「確信があったわけではありません」

「黒ちゃんに、何か自殺の予兆のようなものを感じていた、と?」

「予兆……まあ、そんなところです」

「教えてくれればよかったのに……」加古井が思わずに口に出す。

 望月の首がゆっくりと回り、彼女の瞳が加古井を捉える。まるでアンドロイドのようだ、と加古井は思った。

「そばにいたあなたたちが気づくべきことでした」

 おっしゃる通り、ぐうの音も出ない、と加古井は思った。よく分かっていることだし、反省もたくさんしたことだが、実際に口に出されるとかなり辛い。

 できることならタイムマシンに乗って過去へ行き、黒江の自殺を止めたい。加古井は俯いて、そんなことを考えていた。言い返す言葉がないので、また沈黙が始まってしまうな、とも思ったが、そうはならなかった。

「その通りですね」初上が切り返す。「でも、黒ちゃんが、何らかの目的のために望んで死を選んだなら、私たちに止める余地は無かったのだと思っています」

「それは、言い訳です」

「望月さん、知っていることを教えていただけませんか?」と初上。

「急に話題を変えるのですね」望月が鼻を鳴らした。

「いえ、変わっていません」初上が微笑む。「黒ちゃんの死の真相について、知っていることがあるのではないですか?」

「なぜ、そう思うのですか?」

「勘です」

「私は何も、あなた方に伝えられるようなことはありません」

「では質問を変えます」初上が人差し指を天井に向けて回した。「黒ちゃん亡き今、アリアがなぜか復活を果たしました、これについて、何か知っていることはありますか?」

 望月は真顔だった。鷹野も表情がほとんどないタイプだが、この人には勝てないだろう。一昔前の不気味なアンドロイドのように、表情を作る筋肉自体がないのかもしれない。

「……知りません」

「本当に?」

「言い換えます、私から言えることはありません」望月はきっぱりと言った。

 初上がため息をつく。

 ここで、前菜が運ばれてきたので、店員が去っていくのを黙って待った。

 加古井は、望月が『言い換えた』ところに引っかかりを感じていた。初めは『知らない』と言ったのに、『私から言えることはない』に言い換えたのはなぜか、そこに何かが隠れている気がしてならなかった。

「あの、望月さん」店員が遠ざかったのを見て、加古井が勇気を出して声を出した。「黒江さんとの関係を聞いてもいいですか? その、ウチのライブの仕事を引き受けてくれたのは、黒江さんとの伝手があったからでしたよね?」

「ただのビジネスパートナーです」望月のぴしゃりとした回答だった。

「ビジネスパートナー……事務所を通してのビジネスじゃないですよね? つまり、黒江さんとは個人的な仕事を引き受ける関係だった、と」加古井が追い打ちをかける。「具体的にはどんな仕事を?」

「守秘義務があります」

「故人との守秘義務ですか」と、初上。

「故人……」望月は小さな声で、初上の言葉を繰り返した。

 加古井は次に出てくる言葉を待っていたのだが、望月はナイフとフォークを手に取り、料理に手を付け始めた。初上に視線を送ると、彼女は加古井に微笑み返してからナプキンを付けて、料理を楽しみ始めた。「とりあえず、いただきましょう」と言っているように聞こえたので、加古井も前菜を食べてしまうことにした。

 食べながら、先ほどの会話を思い出す。

 望月を問い質すような会になってしまい、料理を楽しむような雰囲気ではなくなってしまったのが、少し残念だった。

 しかし、ご飯がまずくなってしまったことと引き換えに得たものがある。やはり、望月と黒江がなんらかの取引をしていたということだ。望月は守秘義務という言葉を使っていた。配信関係の相談か、外注的な相談だったのか、どういったビジネスが二人の間で行われていたのかが気になるところだった。

「望月さん、すみません、これなんですけど……」加古井は前菜を食べ終えたタイミングで、当初の目的だった質問を投げてみることにした。

 スマホで、昨日のアリアの配信を再生する。望月は見下ろすようして画面を見ていた。30秒ほどだろうか、アリアがRPGをプレイしている配信の音声を、3人は黙って聞いていた。

「素敵ですね」望月がスマホに目を落としながら言った。

「え?」予想だにしなかった言葉に、目を丸くする加古井。

「いえ」望月がスマホから目を離す。「これが、合成音声かどうかというのが聞きたいことですか?」

「そうです。アリアの……黒江さんの声に聞こえるのですが、彼女は亡くなっていますし、もしかしたら合成された音声なんじゃないかって」

「合成かもしれませんね」望月が吐き捨てるように言った。

「かもしれない……ですか」加古井は分かりやすく肩を落として見せた。「望月さんの耳でも分からないものなんですかね」

「判別する必要がありますか?」

「へ?」加古井は口を小さく開いた。「そうですね……合成かどうかが分かれば、犯人捜しの一歩になるかな、と」

「犯人といいますが、表面だけを見れば、誰かがアリアの配信を模倣して配信をしているだけですよね。害がないのなら、放っておけばよいのではないですか?」

「いや……」加古井は言葉を詰まらせた。

 望月の反応は、加古井にとって意外だった。アカウントの乗っ取り、勝手にチャンネルを使って配信をされては、こちらとしては困る。そんな当たり前のことを説明した方がよいのだろうか。

「これは、アリアなんですか?」初上が問い掛けた。

「大多数のリスナーは、本物のアリアだと認識しているようですね。それなら、アリアなのではありませんか?」

 加古井は瞼を閉じて、眉間を指で押さえた。うすうす感じていたことだが、初上と望月の問答に付いていけてなかった。禅問答的な、無意味さを感じる。これはアリアなのか、という質問の意図も分からないし、リスナーがアリアだと思い込んでいるならアリアなのでは、という答えもよくわからない。

「はい、質問です!」加古井が右手を上げた。「望月さんに」

 望月が緩慢な動作で加古井に視線を合わせた。

「例えばなんですけど、技術的に、合成でこのアリアちゃんの声を作ることは可能なんですか?」

「可能です」望月は即答した。「白日アリアが生まれて今まで、彼女は莫大な配信時間を重ねてきました。サンプル数が多ければ多いほど、実物に近いものを作ることができます。白日アリアは合成音声を生成するに、十分なサンプル音声の量の持っていると言えるでしょう」

「つまり、いわゆる『中の人』がいなくても、このアリアを作ることは可能である、ということですね?」加古井が言った。

「はい。その通りです」

「えっと、じゃあ、自動で配信をさせるみたいなことも可能だということですか?」

「テーマに沿って雑談をするだけ、などといった難しいことを行わない配信であれば可能です」

「すごい……そこまで来てるんだ」

「ですが、ゲームをしながら適切なリアクションをしたり、リスナーの質問に違和感なく答えたりといった複雑なものになると、完全に自動化するのは、現在のところ難しいと言わざる得ません」

「ああ、ですよねぇ」加古井はため息をついた。「じゃあ結局、このアリアは誰かの手によって操作されてるってことか……」

 加古井が初上の方に視線を移すと、彼女はシャンパンのグラスを凝視して、何かを考え込んでいるように見えた。望月に会うことでビンゴカードの穴が一つ空く、と言っていたが、ここまでで何か得るものはあっただろうか。

 そんなことをかんがえているうちにメインの料理が運ばれてきたので、加古井はそれを口に運んだ。思った通り、赤ワインによく合う味だった。しばらくの間、皿とカトラリーがぶつかる音だけになった。

「甘姫は、どうなんですか?」食べ終えた望月が言った。

「はい?」初上が目を丸くして、望月を見る。

「アリアほどではないにしろ、アンチが沸くことも多いでしょう。そのせいで辛い瞬間も多いのでは、と。ライブのお手伝いをして、そう思いました」

「あら」初上がにやりと笑った。「心配してくれているんですね」

「はい、そうです」望月は無表情のまま言った。

「素直ですね」初上がウインクする。「でも、大丈夫です。私はあまり気にならないタイプなので」

「そうですか、それなら結構です」望月が頷いた。「もし辛くなったら、声をかけてください。先ほども説明した通り、簡単なものであれば弊社で自動配信のスクリプトを組むことが可能です。お休みしている時のコンテンツに丁度よいでしょう」

「おぉ」加古井が身を乗り出す。「ありですね、それ」

「はい。そういう方法もあるので、あまり無理をさせないように」望月は加古井を見て言った。「今日はそれを言いたかったのです」

「わかりました。覚えておきます」加古井が頭を下げる。

「そんなに私、悩んでいるように見えますか?」初上は肩をすくめて言った。

 望月は初上を一瞥して、グラスに入っていたシャンパンを飲み干した。店員がすぐに寄ってきて、シャンパンのおかわりを注いだ。

「私もかつて、バーチャルストリーマーでした」店員が去っていくと、望月が話し出した。

「え⁉ うそ!」加古井が声を上げた。

「本当です。でも続けられませんでした」

「実は、そうなんじゃないかと思っていました」初上が目を細めながら言った。「エクリプス・メロディ、ですよね」

 望月のポーカーフェイスが崩れる。

 彼女の大きくなった瞳が、初上を捉えた。

「あれ、エクリプス・メロディって……中の人が亡くなったんじゃなかったでしたっけ」加古井が言った。

「突然すべてのアカウントが削除されて、失踪しまったからそういう噂が立っていただけですね」初上が答える。

「なぜ、わかったのですか?」望月の声は少し上ずっていた。

「ファンでしたから、声を聞けば分かります」

「え? じゃあ、本当にエクリプス・メロディだったんですか⁉」加古井が身を乗り出しながら続ける。「喋り方とか、全然違いません? エクリプスはもっと、元気一杯な女の子だったような気が……」

「彼女は……エクリプスは私の理想でした」望月は鼻で笑いながら言った。「精一杯、演じていたのです」

「へえぇぇ……すごい」加古井が感嘆の息を漏らした。「皆既月食の日は、絶対トレンドに上がっていましたよね、エクリプス・メロディ」

「懐かしい……月食の日に投稿される、彼女の歌動画が大好きでした」と初上が思い出すような視線を上に向けて言った。

「よく覚えていますね」

「あの歌声を、忘れることはできません」初上が首を振った。

 望月の口元がわずかに緩んだ。

「キャラ設定も自分で考えて、デザインも自分でしました。エクリプス・メロディは可憐で、上品で、好奇心旺盛な女の子なのだ、などという理想像を立てて、私はそれになりきりました」望月はシャンパングラスの縁をなぞりながら語り始めた。「理想の自分になれて、多くの人に賞賛され、憧れられる。私はエクリプスと共に、そんな時間を過ごしていたのです」

「最高じゃないですかぁ」加古井がおだてるような口調で口をはさんだ。

「でも、ある日突然、エクリプス・メロディはいなくなってしまった」初上が言う。「何の言葉も残さず、すべてのアカウントを削除して、ネットから姿を消した」

「ええ。私は、インターネットに蔓延る悪魔たちに負けたのです」望月は窓の方に視線を移した。「罵られ、傷つけられ、疲弊していくエクリプスが見ていられなくなりました。つまるところ、いつのまにか、私が理想としていたエクリプスを演じられなくなっていたのですね」

 望月はそこまで言って、背もたれに体重を預けた。そして、ゆるやかな動作を首を回し、初上を見つめた。

「私は、初上さんに後悔してほしくありません」

「後悔?」初上が首を傾げる。

「私は結果的に、エクリプスという存在を殺してしまいました」望月が俯く。「弱い自分が、彼女を殺してしまったのです」

「エクリプスは死んでいません」初上が微笑む。「私の目の前にいます」

「……そうですか。少し話過ぎましたね」望月は顔を背けた。「甘姫である時間を大切に、長く続けて欲しいと、それを言いたかっただけですので、エクリプスの話はどうぞ忘れてください」

「ええ、ありがとうございます」初上は頷いた。「覚えておきます」

「私、絶対に忘れません」加古井は立ち上がりながらそう言って、訝しげな表情を浮かべる望月の両肩を掴んで、肩もみを始めた。

「なんですか、急に」

「いえ、望月さんともっと仲良くなりたいな~って」加古井がへらへらと笑う。

「エクリプスの名前を出したら急に……現金な方ですね」

「あ、それは違いますよ」肩たたきに変更する加古井。「私はエクリプスのファンでもなかったので、純粋に今の望月さんと仲良くなりたいだけですから」

「そうですか。どうぞ頑張ってください」

「わかりました。頑張ります!」

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