赤い星の下にて

噂が広がる工場

冬の空低く、工場の屋根に霜の降る頃、奈緒と杉浦の間柄についての噂が、労働者たちの間に密やかに囁かれ始めたり。最初は単なる耳打ち、しかしそれは次第に広まり、まるで朝の霧が徐々に街路を覆ひゆくが如し。

「田村が見たといふ話だが……奈緒先生と杉浦さんが夜に一緒にゐたらしい。」

「さうなのか？ あの杉浦さん、何時も真面目で口数少なき人が……奈緒先生と？」

鋳造機の傍ら、若き労働者らが声をひそめつつ囁き合ひぬ。蒸気の漏る音と機械の轟音が彼らの低き語りを覆ひ隠しつつも、誰一人その話題を聞き逃すまいと耳を傾けたり。

或ひは、昼の休憩室にて、中年の工員が腕を組みつつ呟けり。

「杉浦さんと奈緒先生がな……さういふ噂、私は信じたくはないが。」

「だが、先生が杉浦さんの組合の集会に顔を出す回数が増えてゐるのは事実だろう？」

他の工員たちも、一様に頷き合ふ。

一方、女工たちの間では、噂はより興味深げに語られけり。織機の音の合間に、若き女工が顔を近づけ、声を低くして言へり。

「奈緒先生、いつもきちんとした人なのに、まさか恋仲とは思はなかったわ。」

「でも、杉浦さんなら良いんぢゃない？ 見た目も誠実さうだし。」

他の女工が口を添へり。

「まあね……けれど、先生がさういふ感情を持つのは何か意外だわ。何時も厳しく教育のことしか考へてゐないやうに見えたのに。」

斯くの如き噂話、奈緒や杉浦の耳には届かぬものの、工場の空気にはほのかなる変化をもたらし始めたり。ある者は微笑ましく感じ、ある者は不安と疑念を抱きたり。

幹部労働者たる田中がこの風潮を耳にし、眉をひそめつつ呟けり。

「斯様な噂が広がると、労働組合の運営にも影響が出るかもしれん。何とか静めねばなるまい。」

斯くして、二人の仲についての噂は、工場の隅々にまで浸透し、しばしは働く者たちの密かな関心事となりぬ。それが奈緒と杉浦の行動にどのやうな影響を及ぼすかは、未だ誰にも知る由もなかりき。