第3話 脱兎の如く

 歩を進めるたびに、謎の音は大きくなっていく。

 夢宙の心臓が、恐怖心と得体の知れないものへの好奇心で、大きく跳ね上がる。


 しかし、突き当たりに差し掛かろうとした頃、音は止んだ。

 代わりに地面を蹴るような音が、夢宙の耳に届く。


 夢宙はごくりと喉を鳴らし、突き当たりで右側へと、顔を僅かに覗かせた。


 ——そこには、人間の首を片手で締め上げる男がいた。


 秋の銀杏のような髪色をしている。

 一本の三つ編で纏められた髪は、肩甲骨辺りで揺れていた。


 服装はシンプルなベージュ色のスウェットに、酸化した血のような色のワイドパンツ。

 足には何も履いておらず、裸足だ。


 三つ編みの男が掴んでいる黒髪の男は、口から泡のようなものを出しながら、ジタバタと暴れている。

 そしてそのまま三つ編みは、指に力を込めて黒髪の喉を潰した。


 ピッ、と。血が飛び散る。


 夢宙は、人間の喉が弾ける瞬間を初めて見た。

 黒髪は地面にどさりと落ちた。死んでいることは明白だった。


 三つ編みは血を拭うこともせず、何かに気がついたように、ゆっくりと振り返る。

 夢宙は、自分の息が荒くなるのを感じ取っていた。それでも、体が言うことを聞いてくれない。


 三つ編みの目が、夢宙を捉えた。


 夢宙は、瞳を動揺に揺らしながら、どこか冷静に思考した。


 大きく見開かれた赤い目。縮まる瞳孔。チロチロと動く、長い舌。

 この特徴はまさに——。


(蛇……)


 何が夢宙を動かしたのかは、わからない。

 しかし、気がついたら脱兎の如く駆け出していた。


 どこに向かえば助かるのか。

 何に縋れば助かるのか。


 何もわからないまま、夢宙はただひたすらに、元来た道を戻っていった。

 遅刻しそうなときよりも、学校で五十メートル走を計ったときよりも速く、路地裏を駆け抜ける。


 しかし数メートル移動したところで、夢宙は走る体勢を保ったまま、いきなりその場で硬直した。


(く……っそ。何だこれ……全然動かねぇ‼︎)


 夢宙は、焦りと苛立ちを表情に浮かべながら、動かせる場所はないかと神経を研ぎ澄ませる。

 かろうじて顔や指先は動くが、それでも、この状況を打開できるほどの可動域は確保できなかった。


「おれもうはやくかえりたいよー」

「あぁ⁉︎」


 耳元から聞こえた子供のような声に、夢宙は苛立ちを隠そうともせず、威嚇するように睨みつけた。

 その声を聞いたからなのか、声の主であろう不気味な生き物が、夢宙の体に腕や足を伸ばし、纏わりついた状態で姿を現した。


「おまえつかえないなー」

「な、何だコイツ! キモッ‼︎」


 夢宙を拘束している生き物は、患者が着るような服を纏い、飛び出た目でキョロキョロと辺りを見渡している。

 

 思わず卒倒してしまいそうな容姿と状況の中、夢宙は不気味な生物の顔に、何やらバーコードのようなものが付いていることに気がついた。

 しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。


 ぐぎぎ、と夢宙は体を動かそうと力を込める。しかし、何度試しても結果が変わることはなかった。

 むしろ、強さは増していった。夢宙は呼吸をすることすら難しくなり、何とかギリギリのところで空気を取り込んでいた。


(このまま締め殺す気か……? 冗談じゃねぇ……)


 不気味な生き物は、眼球の向きを目尻側へ固定すると、腕を伸ばして夢宙の首をキュッと締め上げた。


 この行動により、本格的に呼吸ができなくなった夢宙は「へーへー」「ピーピー」という、ザラリとした情けない抵抗の音を響かせながら、最後まで生きるために足掻いた。


 しかし、そんな足掻きも虚しく、夢宙の意識は暗闇へと落ちて行く——。

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