私のカフェの書生さん

KazeHumi

鮭の群れと、無二の書生さん

一年弱、大学に通った最近、心から思う。

女子大で本当によかった。


まだ桜の咲かない、春の日差しが渋谷中を柔らかく輝かせている。


金曜日の午後の渋谷は、明るいうちからもう忙しい。

一秒でも速く目的地に着きたくて、人の波をかきわける。


スタバの渋谷チェリオシティ店は、私の第二の部屋。

入り口付近の人口密度から、今日はそこまで激戦じゃないと予想して、すこし胸が躍る。


さっそく常連のムキ爺を発見すると、その右隣の席には見慣れたリュックがあった。

ムキ爺は今日も半袖で、二の腕の質感は彫刻。

シルバーグレーの髪で顔もお爺ちゃんだけど、一番逞しい身体つきだ。

それでいてリモートワークのエンジニアだとかで、いろいろ不釣り合いで面白い。

直接会話したことはないけど、きっとムキ爺も私を認知してくれているはずだ。

まさか「ムキ爺」なんてあだ名を密かにつけられているとは思ってないだろうけど。


念じるようにゆっくり歩いて近づくと、ジャストタイミングでムキ爺の隣のソファが空いて、すかさずバッグを置く。

今日のスタバ・チェリオシティ店の中で最良の席を確保できた。


レジの列に並ぶと、スタッフのメガネのお姉さんがすぐ前にいた。

お姉さんの前は、あのリュックの主、書生さんだった。


お姉さんが振り向いて笑顔で手を振ってくれる。

私が唯一ここで机に向かう理由を話した人だ。

大学生活で目的がなくて、なんとなく始めた英検の勉強は、一人ぼっちの挑戦だった。

お姉さんはすごく応援してくれて、願いが叶うという渋谷千代田稲荷神社の御利益を教えてくれた。


今日のお姉さんはいつもよりタイトに壁際に並んでいる。


書生さんはスタッフさんたちとは最小限の会話しかしてなさそうにみえる。

常連さんの中でも、ムキ爺と話してるところしか見たことがない。

それでも他者想いで礼儀正しくて、それでいて自分の作業に異常な熱意で取り組んでいる書生さんを、スタッフさんたちがリスペクトしていることは伝わった。


精悍な顔つきと身体つきは二十代に見えるけど、書生さんの眉毛には白髪があって、私は勝手に三十路前後と予想してる。眉毛の白髪を検索して「白眉」という言葉に出会って、書生さんにぴったりだなと思った。

リモートワークらしいけど、私は書生さんというあだ名をつけた。

スタバに来る多くの会社員は、スーツだろうとカジュアル系だろうと、そのほとんどがノートパソコンを広げてくつろいでいる。その中で書生さんだけは、一人でいつも夢中に作業していて、会社員というよりは書生さんだった。


お姉さんは、超タイトに壁際に並ぶ書生さんを完全コピーしていた。


列の横をカップルが通る。

鮭男やぼっちの間から、「私たちは一抜けた」とでもいわんばかりに。

知っている心地よい香りが鼻に届く。


フランス語で「想い」という名の香水だ。

このお店でなのか、渋谷の街中での話なのかはわからないけど、「想いを届けたい相手」に会う時につけると想いが届くという素敵なおまじないがあるらしい。

好きな香りで、買ってみようかなと思ったけど、意味を聞いてしまった後では無理だった。なぜなら私はぼっち。


狙っていた新作の春の甘味が売切れだったから、いつも通りのドリンクだけを買って席にもどる。


ムキ爺と書生さんの周囲は空気が違う。

スムーズに隣に座れた今日はかなりツイてる。

そう思った途端、ムキ爺と反対の女性が席を立って、ヌルリと滑り込むように黒い影が席に着いた。


左半身がザワつく。

シルエットでなんとなく男性ということがわかる。

もう鮭かどうかじゃなくて、どのタイプの鮭だろうかと考えた。


1mmも勘違いされたくないから、鮭には絶対に視線は向けない。

反射するウィンドウで姿を確認すると、キノコ頭黒マスクタイプだと判別できた。たぶん近くの学生だ。

参考書を広げ終えて、ペン回しで周囲に馴染んだら、あとは女の子を目で追いつづける鮭男だ。


キノコ頭黒マスクが身体を寄せてきた。

左半身の肌がゾワりとする。

それでも隣にはムキ爺と書生さんがいる席だから心は落ち着いていた。

「拒否」を表明するために、鮭がつめてきた分だけの距離を、ムキ爺側に移動した。

イラだったのか落胆したのか、キノコ頭黒マスクが貧乏ゆすりをはじめた。

その不快な存在丸出しで、どうしたら女の子に好かれると思っているのか、本当に鮭の生態は理解できない。


とても同じ生物とは思えないから、そういう男を私は鮭男と呼んでいる。

川の中で、ペアの雄雌が愛し合っている最中、そのスキを狙って望まれない遺伝子をぶちまける、あの鮭だ。

不特定多数の男が出入りし、自由に女性の隣に接近できるスタバに通うようになって初めて、鮭と同レベルの男が、人間に驚くほど多いということを知った。


鮭から離れるため、結果としてムキ爺にかなり近づいてしまったけど、意識的か無意識的か、まるで気にする様子はない。さすが極少数の鮭以外の男だと、あらためて尊敬する。


鮭にトドメをさすため、私はスマホを持ってトイレへ立った。



書生さんの前を通り過ぎる瞬間、横目で白眉の顔を脳裏に刻んだ私は、鮭と同じ罪に問われるだろうか?

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