第13話

 案の定、課長の河田にはこっぴどく叱られたが、なかば呆れ顔の河田も組織の蛮行にこそ腹を立てているようだった。最後には、「必ず挙げるんだ。国家を愚弄する行為に屈してはいけない」と激励し、席を立った。

「生きてますね」

「死なないって。そんな予定じゃなかったんだから」

「課長はこれから本省ですよね」

「政策統括官から直々の呼び出しみたい」


 厚生労働省で指針に関わる政策を立案する部門の長、政策統括官と直接の面識はなかったが、年齢は河田よりも若いと聞いたことがあった。頬骨のあるあたりを紅潮させていた河田が、今度は青白い顔をして統括官の雷を受ける姿を想像する。

「なんか申し訳ないですね」

「それが課長の仕事だからしょうがない。私たちは私たちの仕事を」


 感傷的になっている場合でもなかった。とはいえ、一体何をすればいいのか、方針もなければ見通しも立たない。

「一度、状況を整理します?」

「そうしよっか」

 志村は、のんびりしているようで現実をよく見ている、と思う。感情に飲まれて足元がおぼつかなくなる時、志村はいつも落ち着いた様子で今自分たちがいる場所を示してくれる。


「起こったことは二つですね、指針が改ざんされたこと、そして対象者が奪われてしまったこと」

「改ざんの方は、編纂係に対処を任せるって課長からも言われているけど、重要参考人の中野さんが行方不明になったのは想定外だった」

「指針を改ざんしたのは、てっきり向こうの実力というか、力を誇示するのが目的だと思っていましたけど、中野さん自身が何か役割を与えられたということでしょうか?」


「可能性はもうひとつあるよ。八幡さん、あの子って中野さんの友人だよ」

「そうなんですか?」

「うん。昨日、元々は中野さんと会う予定だったみたい」

「二人の関係性に漬け込んで……、やるせないですね」

「あの二人の関係性を知って組織が動き出し、それに引きづられるように、八幡さんも動いた。友人を助けるために……。そう考えても辻褄は合う」


「昨日の映像だけでは、自分の友人かどうかなんて判別できないんじゃ……」

「そんな素振りもなかったしね。でも神田先生なら、私たちと同じように調べることができる。八幡さんをこちら側へ引き込んだ引け目があるだろうから」

「そうか、八幡さんは神田先生から指針のことを聞いているだけじゃなくて、指針から抜けているはずですよね」

「うん。一昨日かな、そう言う手続きをしているはず。厚生局での基礎研修は指針の外でないとできないからね」


「八幡さんは指針に縛られず、自由に動くことが可能。でも、だからってそんな危険を冒すでしょうか」

「八幡さんが中野さんとどの程度親しかったか、それによるだろうけど、流石にそこまでは分からないよ。あくまでも、可能性のひとつ」

「けど、八幡さんに接触するにしても、いくらか確証がないと……」

「今のままだと、はぐらかされるかもしれないね。向こうには神田先生もいるし」

「それなら、やはり組織の方を優先するべきです」


「それは、神田先生が組織と繋がっていないことが条件かな。八幡さんにせよ組織にせよ、単独なら標的はそのどちらか。けれど、その二つが繋がっているとしたら、つまり神田先生がスパイだったら、押さえるのは神田先生、ってことになる」

「神田先生が怪しいなら、改ざんを企てたのが神田先生ってこともありうるってことですか」

「それが三つ目の可能性。志村くんはどれに賭ける?」

「正直、どれもいやですね」


 志村がげんなりと顔を引き攣らせる。自分も同じ気持ちだった。現状、考えうる可能性はこれで一通り出ただろうか。

「繋がりがあるかどうか判断がつくまでは、とりあえず志村くんの言うことを聞くことにしよう」

「言うことを聞くって、組織を調べるってことですか? わがままを言ってるつもりはないですけど……」

「まあまあ。課長に頼んで、神田先生のことはマークしてもらおう。不意を突かれるのは、組織だけでたくさんだし」


「課長にはあとでメールしておきます。それで、今日はどうします? もう一度昨日の映像見ます?」

「そうしよっか」

 志村の提案に乗る。パソコンを立ち上げ、アーカイブから映像を探り出す。

「別の角度の映像もありました。先にこっちを出します」

 志村は言いながらすでに映像ファイルをクリックしており、開いた映像を全画面表示にした。路地を南側から映す画角だと見当をつける。画面の奥が新宿通り、左側に問題の喫茶店があるはずだ。


「向こうから歩いてくるのが中野茜さん。喫茶店の前まで来て、ここで改装工事に気づいた感じですね」

 店のドアから離れたところで立ち止まる姿は痛々しい。ぎこちなく歩き出し、少し進んだところでまた立ち止まる。警報が鳴ったタイミングだ。周りを歩く人々も一様に歩みを止める。警報が鳴った時のそれは生理現象と言ってもいい。世代を超えて刷り込まれてきた行動だと聞いたことがあった。エスカレーターで片側を開けるのと同じだ。

「止めて」


 画面をじっと眺めていた瞳が、何か違和感を訴えた。中野とは路地を挟んだ反対側に、人がいた。白い影のような印象の、線の細い少女のように見える。

「少し戻して。警報が鳴ったあたりに」

「はい」

 志村がカーソルを画面のコンソールに伸ばし、十秒ほど時間を遡る。映像が再び動く。少女はすでにそこにいた。路地に立つ細いポールのようなものの袂で、まっすぐ中野を見ているようだった。


 少女の前を人が歩き、通り過ぎた直後に立ち止まった。僅かに揺れる立木の梢がなければ静止画と区別はつかない。その静止した世界の中、それまでじっとしていた少女の手が動く。

「この子、何をしているの」

 腕を前に出し、中野を指差すように指先までまっすぐ伸ばしている。

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