7 使命に取り憑かれた悪霊
「開けテ。
葉山の高台にある
屋上には魂食い鴉専用の小窓があり、いつでも自由に屋敷内に出入りできるはずなのだが、諭に用がある時にはいつも、こうして直接部屋までやって来て、窓を突いてくるので騒がしい。
そして彼が諭を訪ねるのは決まって、厄介な問題が発生した時なのだ。
先日の
「
「燃えていル、燃えていル」
諭は窓を開き、ばたばたと羽音を立てて暴れる魂食い鴉を招き入れた。
開き切るのを待つ間も惜しいとばかりに、細い隙間から飛び込んできた黒い塊を抱き留める。魂食い鴉はカアと鳴き、カーペットの上に舞い降りた。
「火事ダ、火事だヨ!」
「火事? どこが」
「あの廃ホテル!」
諭は眉根を寄せてから、少し肩の力を抜いた。
「そうか。朝津木が暴走して火でもつけたのか? でも、父さんたちが見張っているからきっと大丈夫だろ。消防車は来てる?」
「カア! 諭、呑気! 馬鹿!」
暴言を吐き、魂食い鴉は地団駄を踏むようにその場で跳ねて諭の足を突いたり踏んだりする。
「諭、珠子が危ないゾ。火をつけたのは、ご当主ダ」
「は?」
思わず気の抜けた声が出る。魂食い鴉は大江間の呪具。彼が当主と呼ぶ人物は、
「父さんが、何だって?」
「火をつけたんだヨ。寿彦を蒸し焼きにするつもりダ! 珠子も巻き込まれル」
「な……」
「カア! 耳悪イ、諭、耳が悪イ」
「うるさい。耳は普通だ」
魂食い鴉に鴉のくせに罵詈雑言をまくし立てるとは気に食わないが、それどころではない。諭は舌打ちをしてから、部屋から飛び出そうとてドアノブを捻った。しかし。
「開かない」
がちゃがちゃと音を立てるだけで、扉はびくともしない。ドアノブが空の上下を繰り返す虚しい感触だけが、手のひらに返ってくる。
背筋がぞっと震えた。父は、諭を閉じ込めたのだ。六年前の、ヨシちゃんの事件の時と同じように。
血管が凍りついたかのように全身の血流が滞り痺れに襲われる。やがてそれが去ると、腹の奥底から強烈な感情の塊がこみ上げてきて、諭はドアノブを乱暴に離すと扉に拳を食らわせた。
――どうして最近来てくれなかったの。僕のことがいらなくなったの。
六年前のヨシちゃんの声が脳裏に蘇る。
――やっぱり僕のことなんて誰も必要としていないんだ。誰も一緒にいてはくれないんだ。
当時ヨシちゃんは、徐々に生前の姿を取り戻しつつあった。あのまましばらくすれば、怨念と孤独を完全に脱ぎ捨てて、成仏できるはずだった。それなのに、父により外出を禁じられた諭が会いに行かなかったから、死した瞬間の痛ましい姿に戻ってしまった。
呪具の回収という目的遂行だけを求めるならば、父の行いには正しい面もある。呪具師という特殊な使命を持つ一族の当主としては、大勢のために少なきを切り捨てる非情さも必要なのだろう。
けれど、今回のように生身の人間を危険にさらすなど、やり過ぎだ。人間の行いではない。もはや狂気の沙汰である。それこそ、怨霊と何ら変わらない。そう、父は大江間家の使命という妄執に取り憑かれた悪霊だ。
――私はさっきの失礼な人みたいに、大江間君を馬鹿にはしないよ。
呪具師仲間以外で諭の家業を理解してくれた人は、これまで一度もいなかった。それはただ、諭がはなから諦めて、友人と語らってこなかったからなのかもしれないが、出会ったばかりの珠子が唯一、ありのままの諭を受け入れようとしてくれた人であることに変わりはない。
もちろん、強烈な友情を抱くにはまだ、共に過ごした日々が浅い。けれどいずれ、かけがえのない絆が生まれるだろうと期待を抱き始めていたもの確かである。
家長である父に対して、畏怖を覚えている。世間一般の親子の愛情というものを真っ直ぐに注いでもらえなかったとしても、やはり心のどこかでは、父に認められたいとも思っていた。
失望させたくない。幾度も使霊の箱回収を失敗に導いてしまった身としては、この後に及んで言いつけに背くことを考えると、恐怖と罪悪感に身がすくむ。
だからといって、ヨシちゃんの時のように後悔はしたくない。珠子のために、自分のために。そして、過激な過ちを犯しかけている父のためにも。
諭は扉を殴った衝撃で少し赤らんだ拳をさらにきつく握り締め、先ほど魂食い鴉が飛び込んで来た時のまま半開きになっている窓に近づいた。
「カア、諭、どうしタ」
「行くんだ」
短く答え、観音開きの窓を大きく押し開く。
月の細い暗夜。庭を隔てた隣家はもう寝静まり消灯している。街灯の明かりがいつもと変わらず周囲を照らし出してくれていることが、これほどまでにありがたいものだとは、思ってもみなかった。
ぼんやりと降り注ぐ白光を受け、庭木が立派な枝を広げている。
ヨシちゃんに会うために窓から木を伝って庭に降りたのはもう、六年前。中学三年生だった当時と今では、体格はかなり成長している。枝はこの体重を支えてくれるだろうか。
「折れないカ」
「折れたらその時だ」
この高さならば、もし地面に落ちてしまったとしても、よほど打ち所が悪くない限り、命を落とすことはないだろう。火に巻かれて焼けかけている珠子を思えばこの程度の危険、何ということもない。
窓枠に片手を添え桟の上にしゃがみ、枝の方へと足を伸ばす。できるだけ太そうな枝を選び、怖々と爪先を乗せる。
ざらざらとした樹皮が足裏に食い込み、微かにたわんだ気配がして肝が冷える。耐え忍んでくれることを祈りつつ、枝を渡り、やがて爪先が土に触れる。諭は安堵の息を吐き、梢で心配げに見守っていた魂食い鴉を見上げた。
「行こう。案内してくれ」
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