5 ことの経緯は

「……兄、ですか?」


 自宅玄関扉の前に立つ制服姿の警察二人組を前に、幸彦ゆきひこは呆然と立ち尽くす。


「はい、お兄さんの寿彦としひこさんです。現在どこで何をしていらっしゃるか、ご存じないですか? 最近お会いになったとか」


 幸彦は、素早く脈打ち始めた心臓を何とか静めようと細く息を吸い、用心深く平静を装った。


「さあ。物心つく前に別れてからほとんど顔を合わせていませんので。それよりも、兄に何かあったんですか」

「いえいえ、少しね、お聞きしたいことがあって。そうだ、もし寿彦さんがこちらにいらしたら、ここに電話をくれますか」


 抜け目ない眼光で、警察は連絡先の書かれた紙を差し出した。幸彦は素直に受け取り頷く。


「わかりました。でも可能性は低いと思いますよ」

「我々もそう思うのですが、まあ、ごま粒のような可能性を一つずつ検分していくのが仕事なもので」

「そうですか。気に留めておきますね。……ああ、すみません。そろそろいいですか、当直明けなもので」

「ほう、当直」

「病院勤めなんです。ちょうどこれから眠ろうと思っていたところで」

「ああ、それは大変失礼いたしました」


 では、と一礼をして去って行く制服姿を見送って、幸彦は何事もなかったかのように扉を閉じて屋内に戻る。


 足が震えている。膝から力が抜け、眩暈がして、幸彦は扉に背中を預けるようにしてずるずると座り込んだ。


「寿彦。いったい何をしたんだ」


 右手には、警察から受け取った白い紙。それを足元に置き、左手をポケットに差し込んだ。


 取り出したのは、郵送物の中に無造作に紛れていた、差出人住所のない素気ない茶封筒。警察がやって来る直前、郵便受けから出したばかりの手紙なのだが、突然インターホンが鳴ったので、咄嗟に尻のポケットにねじ込んだのだった。中に記されていた一文は、用件だけを書き連ねた寒気の走るものである。


 ――永遠に共に過ごす愛おしい人ができたんだ。会いに来てくれる?


「寿彦」


 直筆の手紙の末尾には、幼少期に生き別れた双子の兄の名前。


 先ほど警察に語ったことに、嘘はない。両親の離婚により、幸彦は父、寿彦は母に引き取られ、離れて暮らしていた。以降、顔を合わせたのはたったの一度。母が亡くなった時だけだ。


 あれは幸彦たちが高校生の頃だったので、もう三十年ほども前か。母という保護者を失くした寿彦を、父は引き取ろうと言った。けれど寿彦は受け入れず、母の遺産と父からの金銭的援助で大学を出て、教諭になったのだと聞いていた。一方の幸彦は、父の勧めもあり医学部に通い、医師になった。


 教諭と医師。どちらも手堅い職業だし、母の実家は資産家でもあった。そのため、保護者を失くした寿彦が、幸彦に比べて特別不遇であったということもない。


 むしろ、幸彦だって何の悩みもなく人生を謳歌しているわけではない。四十も半ばになり、バツイチの養育費払い。離婚の原因は、幸彦の多忙であった。家族と患者のために寝食を削って働いた結果がこれでは、幸福な人生とは言い切れない。


 その上、どうやら兄は警察に目をつけられているらしい。そしてこのタイミングで届いた、不気味な手紙である。


「永遠に共に……。結婚したということか?」


 ならば普通に結婚式の招待状を送ればいいではないか。いいやそもそも、なぜ寿彦は、幸彦の自宅の住所を知っているのだろう。


 ぞくり、と背筋が冷える。


「会いに行くとすれば、どこへ」


 手紙にも封筒の裏面にも、差出人の住所はない。ならばもしやと思い、封筒の口を広げて中を覗き込む。あった。もう一枚、薄い紙が入っている。震える手で取り出して、紙面に目を落とす。


「神奈川県鎌倉市……」


 スマホを取り出し、住所を打ち込む。どうやら、指定の場所は鎌倉の大きな公園の近くらしい。地図によれば、そこに家はないようなのだが、新築したばかりなのだろうか。


 妙なことばかりだ。


 警察の剣呑な目が脳裏に蘇る。寿彦はいったい何を疑われているのだろうか。生き別れとはいえ、双子の兄が何らかの犯罪に手を染めているとしたら不都合だ。病院勤めに支障をきたすような事態が隠されているのならば、事前に詳細を知り対策をしなくては。


 幸彦は夜勤明けの眠たい目を擦る。昨晩は救急車の受け入れが多く、忙しい夜だった。だがむしろ、多忙はかえって身体を覚醒させ続けている。


 幸彦は兄からの手紙を黒い長財布の札入れに挟み、スマホを片手に家を飛び出そうとして思いととどまった。まだ警察が近くにいるかもしれない。


 幸彦は上の空でテレビニュースを眺めてから用心深く外へ出て、近所のカフェで昼食をとる。はやる気持ちを押さえつつも平常通りに過ごしてから、電車に乗り込み寿彦が指定した住所へと向かった。


 一度路線を乗り換えて、電車に揺られること小一時間ほど。鎌倉駅を出て、スマホ画面に浮かぶ地図を片手に坂を上る。


 観光客の波を割り、向かうのは閑静な住宅街。町を囲む山々から濃密な空気が迫るようで、辺りは古都特有の神秘的な気配に満たされている。


 幸彦はどこか畏怖のようなものを覚えつつ、一歩ずつ足を進めた。


 やがて、スマホの画面に記されたルート案内が、目的地への到着を告げた。


 ぐるりと周囲を見回す。鬱蒼と木々が茂り、薄暗い。近くに腐敗した肉でも置いてあるのか、胸の奥がぐるぐるとするような不快な臭気が淡く漂っている。


「寿彦、いるか?」


 声を出してみたが、反応はない。口を閉ざし、住所の書かれた紙とスマホの画面を見比べる。住所は合っている。


「……だよな、ただの悪戯か」


 真に受けてしまった自分が途端に愚か者に感じられたが、むしろどこかほっとした気分で来た道を戻ろうとした、その時だ。


 ふうっ、とひんやりとした風が幸彦の頬を撫でた。顔を向ければそこには、山肌の岩を抉ったような洞穴があった。


 こっちだ、と呼ばれているような気がした。


 無論、誰かの声がしたわけではないが、何かに引き寄せられるように、幸彦の足は洞穴へと進む。


 四方を岩で囲まれた空間に足を踏み入れると、むっとする鉄臭さのようなものが鼻をつく。けれどそこにあるのは石でできた五輪塔だけ。


 と、その陰に、何やら木製の四角い物体が見えた。幸彦は怪訝に思い、それをそっと持ち上げる。両手ほどの大きさの長方形の箱。いったいこれは何だろうか。


 屋根があるとはいえ、砂っぽい野外に置かれていたにしては、汚れがない。蓋に埃が積もっていないので、最近誰かが触れたのだろうと思われる。


 己の鼓動が耳に響く。けれど、躊躇はなかった。蓋に手をかけ、ゆっくりと開く……。


 ――やあ、久しぶり。来てくれたんだね。


 少し高めの男の声がした。ああ、俺と似ているな、と思った直後、箱の中から飛び出してきた重たい空気の塊に身体を打たれ、幸彦は意識を失った。

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