3 作戦会議②

朝津木あさづき?」


 あつしは小脇に抱えていた茶封筒の紐を解き、中から紙の束を取り出して珠子たまこに手渡した。写真だ。画質が荒く、端には日時が印字されている。防犯カメラ映像と思われた。


 いずれの写真にも、黒いシャツの男が映っている。彼がこちらを見上げてにやりと笑んでいるような一枚を見つけ、珠子の心臓が不快に跳ねた。


「こいつ、昨晩の」

「そうだ。朝津木寿彦としひこ。六年前、使霊しりょうの箱を奪って逃げ、消息を絶った男だ」

「六年前」

「私たちは、君のお母さんとこの男は、六年以上前から関係があったのではないかと睨んでいる」


 珠子は思わず息を呑み、敦の眉間の皺辺りを凝視した。


「六年前から、関係?」


 確かに昨晩あの男は、珠子の母結子に対する執着を覗かせていた。おそらく彼は、結子のカウンセリングを受けていた教員であり、『永遠に僕を癒してください』のメッセージカードを書いた人物だったのだろう。


 そうだった。珠子はその可能性に気づき、けれど熟考する前に気を失ってしまったのだ。


「あの人!」


 珠子は思わず写真を握り締め、身を乗り出した。


「何者なんですか。もしかして、母の死と関わっているんですか?」


 敦は軽く身を引いて、小さく息を吐いた。


「それを君に訊いているのだがな。しかしそうか、何も知らないようだ。諭」


 敦は、隣に立っている諭を目顔で促した。諭は従順に頷いてから、一歩珠子に近づいた。


「江ノ島で、ヨシちゃんの話をしただろ」


 唐突な話題に、珠子は目を丸くしながらも頷いた。諭は続ける。


「朝津木は六年前、一方的に思いを寄せた誰かを使霊の箱に閉じ込めるため、ヨシちゃんを利用したというようなことを言っていた。きっとヨシちゃんは使霊の箱に囚われていた怨霊だったんだ。だから、朝津木に使役された」


 突飛な推測だ。けれど、オカルト事象にだんだんと耐性がついてきた珠子は、黙って耳を傾ける。


「ヨシちゃんさ、死ぬ前に、親切なカウンセラーさんが学校にいて、その人が唯一の味方なんだって言っていた。もしかすると結子ゆうこさんはヨシちゃんのカウンセラーで、事故の晩、ヨシちゃんが怨霊になって人を……俺を呪い殺そうとしていることを知って、助けに向かったんじゃないかな」

「そんな、都合のいい」

「けど、六年前の俺は見たんだ」


 諭はいくらか語気を強め、淡々と言った。


「赤くて温かい光が、ヨシちゃんから俺を守ってくれた。そしてすぐにどこかへ消えてしまった。光の正体が、事故に遭って肉体を離れた結子さんの魂で、最期の力を振り絞ってヨシちゃんが罪を犯すのを阻んだって考えると道理が通る。その後多分、結子さんは使霊の箱に囚われた。結子さんが事故に遭ったのはたまたまだったのかもしれないし、それすら仕組まれていたのかもしれない。どちらにしても、朝津木寿彦はヨシちゃんを使って結子さんをおびき出し、使霊の箱に閉じ込めようとしたのだとすれば」


 全ての糸がつながるのだ。


 そしてそれから起こったことは、珠子たちの知る通り。


 珠子が花壇から掘り起こした四郎しろうの骨に共鳴し、使霊の箱に囚われていたみぎわの霊力が活性化する。暗雲が湧き、落雷の衝撃で、やぐらに隠されていた使霊の箱が転がり落ちて、蓋が開く。そして汀や結子といった数体の霊が使霊の箱から自由になった。


 それからおそらくほとんど時をおかず、いじめられっ子の瑛人えいとが寿彦と出会う。寿彦は最初に結子を使霊の箱に取り込もうとした時と同じ手法……つまり、いたいけで不幸な子ども瑛人に罪を犯させることで、それを止めんとした結子が姿を現すのを待った。


 無論、憶測にすぎない。けれど、そう考えれば筋が通る。そして何よりも。


「じゃあお母さんは、恋人に会いに行って死んじゃったわけじゃないんだ」


 いいやそもそも、恋人との逢瀬を楽しんでいたとしても、母は何も悪くない。


 本当はずっと前から、心の底ではわかっていた。もし男と会っていたのだとしても、まさかその晩に死のうとしていたわけではない。ならば咎められるべきことは何一つない。珠子が抱き続けていた鬱屈とした感情は、行き場のない嘆きを昇華させるための不当な憎しみでしかなかったのだ。


 結子の死の真相が、彼女のカウンセラーとしての愛情や責任感を逆手に取って仕組まれたものであったならば。珠子はやっと、母の死と正面から向き合える気がした。


「どちらにしても」


 敦の低い声が、珠子を思考の底から強引に引き上げる。


「朝津木は、君に執着しているようだったと諭から聞いた」


 それはきっと、珠子の魂の中に母がいるからだ。きっと結子は、先日の豪雨の折に使霊の箱から逃げ出して、たった一人の娘に縋り、珠子の肉体に飛び込んだのだろう。


「朝津木寿彦をおびき出すために、君の存在は重要だ」


 ほんの一欠片の躊躇いもなく滑り出た言葉。一呼吸の間をおいて、諭が非難の声を漏らした。


「父さん、それは」

「ではどうやって奴を追いつめる? 元はといえば、二度にわたりおまえが失態を犯さなければこれほど複雑なことにはならなかった」

「それは」

「やります」


 珠子は凛とした声音で言った。思ったよりも大きく響いて一瞬怖気づいたが、覚悟を決めてもう一度息を吐く。


「やります。私を、朝津木をおびき出すための餌にしてください」

「自分が言ってることの意味、わかってるの?」


 諭が眉根を寄せている。珠子は大きく頷いた。


「もちろん。でも、朝津木寿彦は母の仇かもしれないでしょう。私は真実を知りたいの」


 使霊の箱を回収することが真相解明につながるのなら、珠子は持てる全てを懸けて、その道を突き進む。


 珠子の強い眼差しを受け止めて、諭は口を閉ざして父を見る。敦は、息子よりもさらに感情の起伏が少ない瞳で珠子を観察し、それから興味を失ったように視線を外す。


「ならばさっそく行動に移そう」

「父さん」

「土蔵さん、君の身の安全は汀という霊に守ってもらうといい。何でも、稚児ヶ淵で動けなくなった君の身体を動かし救おうとした善良な霊だとか」


 汀は元々怨霊であったのだが、恋人四郎を巡る一連の事件で穢れを落としていた。善良といえばなるほど、そういう存在なのかもしれない。


「使霊の箱を使わずとも霊をそのように扱えるとは、君は大江間の呪具師にも通ずる霊力を持っているのだろうか」


 身体の中で霊的なものが折り重なって、蟲毒こどくの原理で珠子自身が呪具になったのかもしれない。以前諭はそう言っていた。敦は今もまだ、その見解を耳にしていないのだろうか。


 諭に目を向ければ、微かに首を横に振る。


 敦の人となりはほとんど知らないが、言葉の端々から滲み出る冷静さと合理性から察するに、珠子が呪具であるかもしれないなどと聞けばどんな扱いをされるかわかったものではない。きっと諭もそれを懸念して、口をつぐんでいるのだろう。


 珠子は心の中で諭に感謝を述べ、素知らぬふりで軽く首を傾けながら敦に返した。


「さあ、どうでしょうか。遺伝の方は、交流のある親戚が少ないので何とも言えません。少なくとも私はオカルトの訓練なんてしたことはないですし」

「それよりも父さん」


 これ以上の追及を阻むように、諭が言った。


「汀を土蔵さんの中に宿らせておくのはいい案だと思いますが、朝津木に見破られてしまう可能性があるんじゃないですか?」

「ではどうする」

「呪具を貸してください。収霊袋しゅうれいぶくろはどうでしょう。あれなら、使い捨てだし量産が簡単で、万が一敵の手に渡っても危険性は薄い」

「許可しよう」

「あの、何ですかその袋って」


 珠子の言葉に答えたのは諭だ。


「霊を一時的に封じておく呪具だよ。霊気が漏れない設計になっているから、この中に汀を入れておけば敵に気づかれる心配はない。本当は、外で捕まえた怨霊を大江間の屋敷に連れ帰る時に使うものだけど」


 汀が耳にしたら嫌がりそうだが、諭はいつになく生き生きと語る。


「小さな袋状をしているから、首にかけたりベルトに括りつけたり、持ち運びに便利なんだ。必要になったときに開けて、汀を呼び出すといい」

「とにかく」


 敦は言って、封筒の中に手を入れた。


「警察が奴の潜伏場所に検討をつけた。だが、普通に突入しても、使霊の箱で返り討ちになるだけで埒が明かないだろう。そこで君の出番だ」


 珠子は背筋を伸ばして耳を傾ける。


「奴を油断させて、使霊の箱を見つけてくれ。目的は回収だ。使霊の箱を手にしても絶対に開けてはいけない。稚児ヶ淵で諭は軽率にも『開けろ』と言ったらしいが、本来使霊の箱は、素人には扱えない危険な代物だ。いいか、絶対に開けるな」

「わかりました。それで、その潜伏場所というのは?」


 敦は封筒から手を引き抜いた。その指先には、小さな長方形のカードが挟まっている。


「葉山の廃ホテル。エメラルドパレスだ」


 緑地に瀟洒な草花の紋様が描かれたカードに、珠子は絶句する。見覚えがある。


 それは六年前、母のドライブレコーダーに映っていた葉山のホテルの名刺だった。

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