プロローグ-3
何をされるのか分からず、首をすくめて「ひっ」と短い悲鳴をこぼしてしまった。次に訪れたのは、眉間から額中央にかけての衝撃。
「いて!」
いわゆるデコピンだった。最初に重たい痛撃が来て、徐々に鈍痛になる。男は頭がくらくらした。
「一番効果的になるように指の形を変形させて、食らわせてやった。これくらいはお返ししても、文句ねーよな? 訴えるなよ、ややこしくなるから」
「あ、ああ……」
「よろしい。――あとはよろしく、黎葉ちゃんに未明ちゃん。着替えてくるわ、この小っ恥ずかしい格好」
ぶつぶつ言いながら樹は出て行った。
男は黎葉によって立たされると、頭からすっぽりと布を被せられた。
「何だ、何のためにこんなことを」
まだぼーっとする頭を振って、質問する男。
「顔が見えた状態だと、高瀬歩さんに迷惑が及ぶ恐れがあります。犯行は、あくまでもあなたの仕業ですよ、謎好さん」
首を少し傾け、微笑みかけるようにして告げる未明。細めた目は決して笑っていなかったが。
* *
世の中で起こる本格ミステリ的な犯行の多くが、謎好によるものと判明してから十五年が経っていた。
きっかけは、先に推真の存在が明らかになったおかげである。年端も行かない女子小学生が、警察を悩ませていた不可能犯罪を見事解決したことに端を発し、その女児に何らかの特別な才能があるのではと研究がスタート。じきに、女児がまず知り得るはずのない知識を有していることから、才能云々の問題ではなく、外的要因があるものと推定され、そこから一種の憑き物、後に推真と命名される怪異の存在が確認された。推真は同じく憑き物たる怪異・謎好を退治する存在であり、人間の若い女性にしか取り憑かない。多少の差はあるが、たいていの場合その女性が二十歳を過ぎると肉体から離れてどこかへ行ってしまう。
一方、謎好は男女の別なく取り憑き、年齢層も偏りがない。憑かれた人は、物語の本格ミステリに出て来るようなトリックや不可能犯罪に拘った犯行――その多くは人命に関わる――を成し遂げようとする。そして謎を解かれるまでやめようとしない。全てが難事件になるのではなく、謎好のレベルによるものなのか、難易度の振れ幅は大きい。ただ、厄介なことに単なる人に解き明かされても、謎好は取り憑くのをやめず、死に絶えもしない。いつまでも取り憑いた人物に居着き、いつまた目覚めるか分からぬ状態に入る。
それを防ぐために推進されたのが、推真の積極的活用であった。理論的な仕組みは不明のままだったが、二十歳以下の女性が探偵を志すことで才能が開花すれば、推真に憑かれるイコール相性のよい体質になることが観測されたのだ。
そうして推真に憑かれた者に事件を解明されると、謎好は大人しくなるだけでなく、徐々に弱まっていき、最終的に消滅する。解明に失敗するあるいは半端な解明に終わると、謎好も復活してしまうので、帝国少女探偵団の団員には謎解きの実力が確かな者しかなれない。
重要な注意点としては、謎好や推真といった憑き物の存在は、政府判断により公にされていない。せいぜい、一時的・局地的に憑き物が出た等の噂が発生することはあっても、やがて忘れ去られて収束する。
何故、公に認められていないか? もしも認めたとしたら、特に謎好の存在が及ぼす影響が極めて大きいためである。人が謎好に取り憑かれた結果、殺人に走ったとしたら、罪を問われるのは人か謎好か? 難しい問題だ。
さらに、解決済みとされる過去のありとあらゆる事件に関して、「もしかしたら、謎好に取り憑かれていたから起こしたのでは?」と再捜査・再審を求められることが、充分に想定された。その結果生じる騒動と司法の信頼失墜は大きな混乱を招き、下手をすると社会が立ち行かなくなる恐れすらある。かような事態を避けるために、憑き物、特に謎好の存在は非公開が徹底されている。
厄介なのは、犯人をどうするか、だ。憑き物の存在が公的に認められずとも、謎好による事件は起きる。通称・帝国少女探偵団の働きにより、解決すれば、犯人(容疑者)が捕らえられる。その容疑者をどう裁くのが正しいのか。基本的に謎好のせいなのだから、無罪判決を下してもよさそうなものだが、被害者及び家族などの関係者が納得しないであろう。犯人が逮捕されているというのに、憑き物の存在が認められていないが故に、何の説明もなく無罪放免、では通らない。
そこで表向きは懲役刑を科し、収監するが、実際には研究施設での調査に協力する形が取られるようになった。「何故、謎好に取り憑かれたのか」「謎好に取り憑かれやすい条件があるのか否か」「取り憑かれている間、本人の意思はどの程度働いているのか」等、数々の疑問を解消するための研究だ。その成果如何では、対応が変化していくことは充分にあり得るが、現状ではまだ分かっていない事柄の方が圧倒的に多い。
* *
(今度の捜査は、相当にラッキーでした)
探偵本部の会議室に一人残り、
(何しろ、高瀬歩さんのご母堂が国会議員経験者、お父上が警察官僚とあって、謎好や推真について当初よりご存知でした。故に、ご子息のちょっとした異変が謎好によるものでないかとの疑いを持ち、帝国少女探偵団への通報が速やかになされた。おかげで、事前に高瀬歩さんは謎好に取り憑かれていると強い確度で推定でき、対処しやすかった。おまけに、謎好としてのレベルも低く、私達に捕らえられたあとどうなるかも知らなかったようですから、比較的穏便に捕縛することが適いました)
通常だと、ここまでとんとん拍子にはいかない。まず、事件が謎好の仕業か否か、解決してみるまで分からない場合がほとんどである。これぞという難事件を苦心の末に解き明かしてみせたものの、謎好の関与していない、人間の仕業であったというケースは意外と多い。恐らく、瞬間最高風速的に流れる噂を信じ、「本格ミステリっぽいトリックを用いて事件を起こせば、悪霊だか妖怪だかのせいにできる」と思い込んで事件を起こす輩が、一定の割合で現れるのだと思われる。
(事件解決前に、関係者の中に謎好に憑かれた人がいるかどうかが分かればいいんですけどね。それこそ、探知機のような物ができれば……)
あれやこれやと直接には無関係なことにまで思い耽りながらも、記録は完成した。
筆記用具を片付け、書類の端を揃えたのとほぼ同時に、廊下へと続く扉の方がけたたまし音が聞こえてきた。駆け足で近付いてくる様が、容易に想像できる。人数は一人。
音無未明は念のため席を立ち、突発事に対応できるだけの心構えと姿勢を取った。程なくしてドアが開く。
「やはりまだ残っていたか」
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