08 崩落溝[1]

 次には、――全てがいでいた。


 いつの間にか、僕は大きな交差点の真ん中に立っていた。


 シン、と耳を刺す静寂。


 眼前には、廃墟のごとき、無人のビル街。

 グレーに影が落ち、明かりなくたたずむむそれら街並みと、立ち並ぶ高層建造物群。


 そしてその頭上に広がるのは、えと鮮烈せんれつ

 眩い太陽。白い雲。


 視界に入ったそれら全てが、静止していた。


 人通りも、車の往来も無く、静寂の中、――ただ周囲には、赤く、を示す信号機たち。


 胸中に、当惑が沸き上がる。


 ――なんだ、これ?


 一瞬前まで、全身で風を切り、疾走していたハズなのに、――と、そして気づく。


 体が動かない。


 ――いや、


 知らぬ間に、シャルロットの気配もせている。携えていたはずの武器フランベロジュも無い。


 ――転移ジャンプには成功したのか?

 ――何が起きている?

 ――ここは、目的の位相、――【崩落溝ほうらくこう】なのか?


 そんな思考が、次々と、脳裏を巡りだした時――。


「――えにしちゃん」


 背後から声。――少女の、涼やかな音色。

 咄嗟とっさに振り返ろうとし、――しかし、振り向けない。


 身構えようにも、体がぴくりとも動かない。


 そんな僕の背後に、誰かの気配が立った。


 右後ろの髪に、何かが触れる。


「――っ!!」


 驚き、しかし声を上げる事もできない。

 されるがままに、……髪をかき分け進むそれが、やがて頬に辿たどり着き。――手だ、とそうわかる時には、ひやりとした、柔らかく、あどけないその指先が、僕の頬を優しく撫でていた。


「動かないで――」


 囁かれる、優しい声音が、静寂を頼りなく上塗りする。

 どこかかすれたような響き。その声に、なぜだか僕は、ふと懐かしいような感覚を覚える。


 そして、右耳たぶに、何かをめる感触。


 その後、まるで名残り惜しんでいるかのように、再び髪に触れられ、――その感触も消え。


 次の瞬間、一斉に、信号が青へと変わる――。



『――にし様!! えにし様!!』


 シャルロットの声。

 切羽詰まったような声音が、僕を呼んでいる。風音が戻っている。


 気づけば、僕は上空へと舞い上がっていた。


 ――いや。


 違う。すぐに気が付く。舞い上がっているのではない。


 いた。


 にわかに、重力の方向が変わったのだ。


 状況把握がまるで追いつかない、――ものの、直感するに、僕はいま、恐ろしいスピードで地面に向けて落下している。


 見上げれば、頭上に街。

 いま、頃合いは夜に戻っているようだ。家々やビル街には、どうしてか明かりひとつ無く、――それらは、足元に広がる夜空よりもなお暗い。


 逆に夜空には、いつにも増して、星々と月とがいっそう煌々こうこうと鮮やかに輝いており――。


『――えにし様!! ご無事ですかニャ!』


 鋭く、シャルロットの声。

 目をれば、ほど近くで、シャルロットがきりもみしながら、僕と一緒に落下しているところだった。


「シャルロット!!」


 手を伸ばすと、シャルロットが空中でワタワタと姿勢制御し、僕のそでにつかまり、腕へとよじ登ってくる。


「よし!」


 僕は、そのままシャルロットを小脇に抱え込み、叫ぶ。


「――着地するよ!」


『了解ですニャ!』


 ぐんぐん、頭上へ迫ってくるビル群。


 僕は、そのうちのひとつ、屋上へと狙いを定める。

 そして、勢いよく体をひねって宙返り、ぐるりと逆さまになる視界の中――。


「――ッ!!」


 ブーツの裏が、地面をとららえ、――衝撃。


 ――を、膝で緩衝かんしょう

 制動し、静止。


 バサリ、とひるがえるスカート。


「ッ、フウ――」


 思わず息をつく。

 心臓が、バクバクと高鳴たかなっている。


 なんとか、着地できた。


 ……というか我ながら、いま、もの凄いアクロバティックなアクションをした気がするぞ。


 普通、この高さから落ちたらただでは済まないハズ。魔法少女って、こんな、身体能力も上がるのか?


「すごいな、コレ……」と、思わずひとちる。


 思い返せば、超速度での現場急行に加え、高高度からの華麗な着地。

 なんというか、魔法少女になりたてホヤホヤの状態にしては、かなり上出来なんじゃないかな? ちょっと、自画自賛したくなってくるよ。


 ――と、しかし、そうも言ってられない。

 むしろ、本番はここからである。


 短く息をいて立ち上がると、シャルロットが腕の中でじたばたと声を上げる。


『えにし様! ――今しがた、、えにし様との接続をロストしていましたニャ! ご無事ですかニャ!』


 その言に、「――あ」と、僕は思い至る。


 そうだ。そういえば、先ほどわずかな間の出来事。


 無人のビル街、鮮烈な青空、交差点。

 そして確か、背後に立っていた少女が、僕の右耳に触れて、――何かを留めたのだ。


 思わず右耳に触れると、耳たぶに、何か、アクセサリーのような小さなものがまっている。


 ――なんだこれ?

 ――というかあれ、現実だったのか……?


 次々、疑問が沸き上がるが、――僕は、頭を無理やり現実に引き戻す。


 今は、吟味する余裕はない。


『――おそらく、ジャンプの際、何かに割り込まれたと考えられますが――』


「わかった」僕は、腕の中で動転したようにもがくシャルロットを撫で、落ち着かせる。「でも今はを優先してくれるかな?」


『そうでしたニャ! ――を開始しますニャ!』


 シャルロットは思い出したように声を上げ(……やっぱりなんか、けっこうポンコツっぽいね? けっこうかわいいかも)、――続いて、再び暗号のような呪文を唱え始める。


『――最寄りのアンカーへ接続要求、承認。権限昇格要求、承認。ソナー起動、臨時スキャンを要求――』


「よし」


 それを耳に入れつつ、僕はすぐさま動き出す。

 シャルロットにを任せるあいだ――。


 ――ターゲットとなる【ひずみ】がどこに居るか?

 ――いま自分が居る位置は?


 まずもって、それら状況把握をしなければならない。


 僕は、屋上のへりへ近寄り、屈み込んで、下方を俯瞰ふかんし――。


「うおっ……」


 眼前に広がる異様な風景に、思わず絶句する。


 光なく、宵闇に沈む街。

 そこに、巨大な穴が開いている。


 目算もくさん、ゆうに直径数キロメートルはありそうだ。


 僕の居るビルは、ちょうど辺縁へんえんにあり、穴へ向かうにつれ、地面はなだらかな勾配こうばいをなして落ち込んでいき、ずっと向こうは、もはや円筒状の、縦穴じみた様相ようそうとなっている。


 そしてその向こう岸さえ、宵闇に紛れて霞掛かすみがかり、見通せない。また、穴の中も同じく、月明かりも届かぬやみに黒々と覆われている。


 だが、僕が驚いたのは、その巨大さのみではなく、――信じがたい事に、その円筒に沿って、ようなのだった。

 つまり、円筒の内側をぐるりと、街がそのまま、穴の中心に向かって立ち並んでいるような状況である(さすがに、地面がかなり無理のある感じで変形しており、家々やビル群はボロボロに倒壊している)。


 その様相ようそう数瞬すうしゅんで把握しつつ、――僕は身震いする。


 というのも、道中でシャルロットに聞いたのだ。

 いわく、『位相』とは『並行世界パラレルワールド』のようなものだ、との事。とすれば――。


 ――これが、パラレルワールド??


 それは、要するに、別世界? とはいえ、いままさに眼前にある通り、この景色が現実に存在しているという事を意味するわけだが、……まるで現実とは思えない、恐ろしく、――しかしどこか、美しささえたたえる光景に、僕は戦慄してしまう。


 位相の通称は、確か、【崩落溝ほうらくこう】。

 誰が名付けたか、まさにそのまんまなネーミングだな、と、おののきながらも、若干笑えてくる。


 そして同時に、別の事にも気づく。

 穴の手前側、その上空で、色とりどりの光がチカチカと瞬いている。


 おそらく、4名の魔法少女たちだ。


 距離にして、ここからおよそ500メートル。

 そして、その上空――つまり、より穴の中心に近い位置――に目をれば、配信で見た、例のが浮遊している。


「デカいな……」という呟きが、思わず口を付いて出る。


 空間そのものをゆがめるような、光の屈折、そして、赤白く細い光の筋とが、寄り集まり、球状に複雑な紋様を織りなしている。


 ともすれば見惚みとれてしまいそうな、美しいその姿は、しかし少なくとも、直径50メートルはありそうだ。


 ターゲット名は、確か――。


 ――固有名【監視者ゲイザー】。


 その名前が何を意味するのかは不明だが、星形ほしがた多角形やスピログラフをいくつも組み合わせたような、それら複雑な模様は、脈打みゃくうち、歪曲わいきょくし、刻々とその様相ようそうを変えながら、――毎秒、殺人的な量の光弾こうだんを周囲に放っている。


 そして、ただの光の弾のように見えるそれが、街並みに降り注ぎ、しかしてコンクリートを無慈悲に切り裂いていくさまを見るに、――あれに当たれば、たとえ身体能力が幾何いくばくか良かったとて、無事では済まないだろう事もわかる。


『――えにし様!!』


 シャルロットの鋭い声が割り込み、僕は現実へと引き戻される。


 あらかた状況を把握できた頃合い、まさにベストタイミングである。続くシャルロットの言葉は――。


『出ましたニャ! 既知の結果は省略、として、一方向のみ検出。――第5軸方向にが0.188ポイント、ですニャ!』


「よし……!!」


 その報告に、思わず拳を握る。


 ――だ。

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