世界の黄昏には負けないように
私はグラディオスにおぶられ、どうにかして煉獄から抜け出した。
「ウエスタ……!!」
その声を聞いた途端に、目尻からボロリと涙が溢れた。ムルキベルがオケアノスを伴って走ってきたのだ。
「ムルキベル……よかった、ちゃんとこっちに戻ってこられたんだ」
「あーあー……だいじょぶ? ウエスタ」
オケアノスはムルキベルの後ろで複雑そうに私を見下ろしていた。彼からしてみれば久々に会った神殿で堂々と反逆した行儀見習いが見るも無惨なボロボロ具合になっていたら、そりゃ心配にもなるだろう。私は薄く笑った。
いったい私の乙女ゲームのどの記憶から抜き取ったのかわからないけど、関西弁が取れているおかげで少しばかり聞きやすくなったオケアノスの声に、私は少しだけほっとしたのに「なに?」と彼は返した。さっきまでいた煉獄の中で、あなた方言キャラだったのよとは、さすがに伝えなかった。
それはさておいて。私たちが集まった中で、「戻ってきたか」とメルクリウスが歩いてきた。こちらは余裕の表情だった。
「聖女フォルトゥナは!?」
「彼女は我々をどうにかして刑にかけようとしているが……王族を揺すろうにも、既にこうして救出されているからなあ」
「……彼女、自分のやろうとしていることを本気でわかっているの?」
「彼女は聖女としてこの世界を守ろうとしているのは本当だろうとも。だが、マナにされた人間も、マナがないからと襲われる世界のことも、彼女は度外視している。人間の恨み辛みというものを、彼女は本気で軽視しているんだから」
聖女って、世界を守るために選ばれるはずだったのに、どうしてここまで視野が狭まってしまったの。周りが持ち上げすぎたの? それとも視野が高いところにあり過ぎて足下見えなくなっちゃったの?
どっちでもいいけれど、私の元いた世界にこの世界の人全員で押しかけようとしても、絶対に無理なんだ。彼女にはきちんと言わないといけない。
「でも……メルクリウス。不思議に思ったこと言っていい?」
「なんだ?」
「……あなたの性格を考えたら、本来は聖女フォルトゥナ側についてもおかしくなかったのに、どうして私たちの味方になってくれたの?」
彼の性格を考えたら、異世界のマナのない文化や文明なんて興味深いものだから、それを得られる絶好の機会を逃すとは考えにくかったんだけれど。
それに対してメルクリウスは「馬鹿なことを言うな」ときっぱりと否定した。
「異界の技術習得のために異界を襲うのはリスクが高過ぎると判断しただけだ」
「あー……」
知ってたよ。この人は感情で動いてくれないってことは知ってたよ。どうせそんなことだろうと思ってた!
私がグラディオスの背中で百面相をしている中、「だが」とメルクリウスは私のほうをじっと見た。
「君の知識から得た情報の集積分析研究ならば、できてもかまわないと思ってるが」
「えっ?」
「ウエスタが異界からの転生者なのは、皆知っていることだからな」
「……私の知識なんて、たかが知れてるけど。分析しようにも、私は詳しくない」
「だから聖女フォルトゥナの奇跡が必要になるんだ。彼女を倒したところでなんにもならない。彼女の奇跡は使わないと埃を被るから使う。それだけだ」
そうだった。この人はものすごくこういう人だった。
私が頭を抱えている中、ムルキベルが言った。
「ウエスタ、無事でよかった……聖女フォルトゥナの元に行くが、行けるか?」
彼は私が存外カピカピに乾いてボロボロなことを気にして、本当なら置いていきたい様子だったけれど。でもなあ。
私ひとりのために、神殿出入り禁止だったオケアノスが中に侵入しているし、神殿騎士のムルキベルだってどれだけ制約を踏み抜いたのか。普通にダブルスパイをして聖女フォルトゥナを出し抜いたメルクリウスだって、堂々と軟禁生活から脱出してきたグラディオスだってそうだ。
この中で一番元気なのは、一番かぴかぴなはずの私だから、私がなんとかするしかないだろう。しゃべるだけならば、聖女フォルトゥナに丸め込まれないはずだ……そもそも私には信仰心がないのだから。
「それなら行こうか」
「……ああ」
こうして私たちは、聖女フォルトゥナがいるはずの礼拝堂へと出かけていった。
****
神殿は混沌としていた。
今まで煉獄を脱出した罪人なんている訳もなく、それが軟禁状態の王族におぶられて逃走中って、どうすればいいのか誰だってわからない。
私はおぶられたまま、神殿の人々の驚愕の顔を見ていた。
かつてウエスタは彼女たちに嫌がらせをされていた記憶があるけれど、あれは聖女フォルトゥナが私を煉獄に放り込んだときに見せた悪夢じゃないのか。彼女たちは驚愕の顔をして私を見ているだけで、私に攻撃してこない……今はグラディオスが背負ってくれているのだから、後ろはがら空きで私に石投げ放題なのに、それもしない。
嫌がらせすら嘘偽りだったというのに、私はほっとしたというよりも、ぞっとした。聖女フォルトゥナの煉獄は、きっと罪人を悔い改めさせるのと同時に、嘘の記憶を植え付けて思い通りにマインドコントロールするためのものだったんだろう。彼女はそれを本気で世界のために使っているところがおそろしい。
「どうして」
そこで祈りを捧げていた聖女フォルトゥナが振り返った。豪奢な刺繍たっぷりのレースが揺れる。彼女は美という美で固められた姿をしていて、本気でこの世界を案じているのがわかる。だからこそ彼女は理解ができなかったのだろう。
世の中は、彼女の思っているほど優しくも単純でもないと。
「どうしてあなたは世界のために身を捧げてくれないのですか?」
「それが聖女フォルトゥナ。あなたの望んだ世界?」
「わたくしはあくまで神の代行者です。わたくしがこの世界の存続を望むのではありません。神が存続を望んでいるに他ならないのです」
「……あなたは私の記憶を読み取って、前世の私の世界に行こうとした……それ、どうなるか本気でわかっているの?」
「多少の犠牲が出るかもわかりません。ですが、それはささいなこと。世界の前に、それらはただ礎でしかないのですから」
本当にこの人は。ああ言えばこう言う。こう言えばああ言う。彼女は理性的に言っても、はね除けてしまう。状況証拠を固めても、きっと逸らしてしまう。堂々巡りで、対話にならない。
でも、それでも彼女を殺すのは正解じゃない。彼女の力はメルクリウスの言った通り必要だから。マナが消えかけているこの世界で、マナの必要ない生活を送れるようにとする発想だけは間違いじゃない。襲撃するっていうのが間違っているだけで。
私は口を開いた。
「私のことを異端者と攻撃したでしょう。あなたは異界の方々に対しても、異端者だと見なして攻撃し、土地を奪うつもりですか? あなたはご存じないかもしれませんけど、マナのない世界にもマナのない世界なりの秩序があり、力があり、魔法も魔科学もないだけで、戦争だって普通にあります。あなたが思い描いているほど平和で優しい世界ではありません」
「……戦争は、異界でもあるのですか?」
「あります。皆が皆、兵器を携えて、兵器の量で黙らせるようなおそろしい戦争がゴロゴロしています。異界からいきなり襲撃が来たら、彼らは間違いなくこちらの世界の人々を敵と見なして攻撃します」
聖女フォルトゥナは少し考え込んだ顔をした。私の記憶を読み取っても、きっとウエスタの記憶や千里の記憶は読み取っても、千里が読んだことのあるものなどは私の世界の文字が読めないせいで、理解できなかったのだろう。フォルトゥナ神話の概要もガタガタだったのは、きっと彼女が読めないなりに再現したせいで、内容の精査ができなかったせいだろうから。
「ウエスタ。だとしたらあなたはどうしたら、この世界の危機を乗り越えられると思いますか?」
「残念ながら聖女フォルトゥナ。私ではマナを増やす方法はわかりません。ですが、私は異界の知識があります。異界のマナに頼らない生活を送ってきた知識はあります。それを我らが神官メルクリウスが解析するとおっしゃっています」
メルクリウスはこちらを見て、小さく会釈した。
「王族の伝手もあり、その技術は世界中に伝えられるでしょう。吟遊詩人が見知らぬものに対する恐怖を取り除いてくれたら、先入観も消え、皆がその技術を好んでくれるやもしれません。どうか」
私は必死で訴えた。
もうどうせ一度死んだ身だし、今は現在進行形でボロボロのかぴかぴだ。これ以上悪くなったところで、煉獄で無限拷問より上のひどい目には遭わないだろうから、彼女としゃべることだけに集中できる。
お願いだから、聖女フォルトゥナには止まってほしい。そして私には楽させてほしい。
私はただ、恋をしたい。一度はかなぐり捨てたものを拾うのは大変だけれど、それでも。一度くらいは本気の恋がしたいんだ。
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