この動物園には、夜だけのルールがある
水月 りか
第1章:夜に消えたホワイトタイガー
ホワイトタイガー編 第1話:夜の動物園と白い王者
◆ 静寂に包まれた動物園
夜の動物園は、昼とはまるで違う姿をしていた。
にぎやかな歓声も、足音も消え、月明かりが園内を静かに照らしている。
わずかに揺れる木の葉の音と、遠くで小さく響く夜行性の動物たちの気配だけが、この場所に命が息づいていることを教えてくれる。
「……昼と同じ場所とは思えないなぁ」
新米飼育員の大澤ゆりあは、懐中電灯を握りしめながら小さく呟いた。
彼女にとって、今夜は初めての"夜間見回り"。
昼間の仕事とは違い、夜の巡回は想像以上に緊張感を伴うものだった。
特に、今日は先輩からこう言われていた。
「何よりも先に、ホワイトタイガーのシロの様子を確認して」
シロはこの動物園の人気者であり、白く美しい毛並みと、賢く穏やかな性格が特徴だった。
猛獣でありながら、どこか品のある佇まいで、多くの来園者に愛されている。
ゆりあも、シロが檻の中でゆったりとくつろぐ姿を見るのが好きだった。
だからこそ、無事を確認しなければならない。
「……よし、行こう」
ゆりあは気を引き締め、ホワイトタイガーのエリアへと足を進めた。
◆ 静まり返る虎の檻
シロのいるエリアに近づくと、いつもなら聞こえるはずの"足音"がまるで響いてこないことに気がついた。
大きな檻の中にいるはずなのに——妙に静かすぎる。
「シロ、眠ってるのかな……?」
懐中電灯を向け、鉄柵の奥を照らす。
そこには……何もいなかった。
「え?」
もう一度、ライトの角度を変え、檻の奥や小屋の隅々まで確認する。
けれど、どこにも"白い虎"の姿は見えない。
「……いない?」
ゆりあの心臓が、強く跳ねる。
猛獣の檻が"空っぽ"になっているというのは、一大事だ。
彼女は急いで、鍵がしっかり掛かっているかを確認する。
金網も、施錠された扉も——異常はない。
「どうして……?」
鍵が開いていない以上、誰かが檻を開けてシロを逃がしたわけではない。
それなのに、シロの姿が"消えて"いる。
「まさか、本当にいなくなっちゃったの?」
慌てて無線を取り出し、先輩に連絡を入れる。
「大澤です! シロが、檻の中にいません!」
しばらくのノイズの後、先輩の焦った声が返ってきた。
「……何ですって? ちゃんと確認したの?」
「はい! でも、どこにも姿が見えなくて……!」
「鍵は?」
「閉まってます! 破られた形跡もないのに、シロが……消えました」
無線の向こうで、先輩が息を呑むのがわかった。
「その場で待機して。すぐに向かうわ」
ゆりあは唇を噛みしめ、もう一度檻の奥を見つめた。
虎の姿は、やはりどこにも見えない。
ただ、冷たい風がひゅうっと吹き抜けていった。
◆ 微かな気配
「……シロ、どこにいるの?」
檻の奥に向かって、そっと声をかける。
もちろん、返事はない。
だけど——
その瞬間、ゆりあの耳に微かな音が届いた。
——ゴロロ……
「……え?」
確かに聞こえた。
それは、虎が安心しているときに発する"喉鳴らし"の音。
ゆりあは、驚きと安堵が入り混じる気持ちで辺りを見回した。
「シロ……?」
もう一度ライトをかざす。
すると——
ほんの一瞬、檻の奥で白い影が揺らめいた気がした。
「今の、なに?」
光を当てた次の瞬間には、その影はふっと消えてしまった。
「気のせい……?」
けれど、その直後——
「クック……ここにいる……」
どこからともなく、小さな囁き声が聞こえた。
ゆりあは、ハッとして声の方向を探す。
すると——
檻の上の高い位置に、一羽のオウムが止まっていた。
虹色の羽を持ち、静かにこちらを見つめている。
「……オウム?」
動物園で飼育されていないはずのオウムが、どうしてここに?
それも、まるで"何かを知っている"かのような目をして。
オウムは、もう一度静かに囁いた。
「クック……見えていない……」
ゆりあは息を呑んだ。
「……見えていない?」
今、一瞬だけ見えた白い影。
まさか——"シロがここにいるのに、見えていない"ってこと?
オウムは、首をかしげながらゆっくりと翼を広げた。
「クック……見つけて……」
まるで「お前にはできるだろう?」と言いたげな、澄んだ瞳だった。
ゆりあの心臓が、強く高鳴る。
「シロは……ここにいる?」
その答えを確かめるために——
ゆりあはもう一度、檻の奥をじっと見つめた。
——夜の動物園には、まだ知らない不思議が隠されている。
To be continued…
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます