家の子が、最近どーもおかしい

青銅正人

プロローグ【賢者の間】

 取っ手もなく、ハンドルもなく、蝶番もなく、決してあかない扉? 誰も見ることができなさそうなその外側には、ヒエログリフで「賢者の間」と書いてあった。


 部屋の内部は10m四方ほどで、部屋の壁床天井の全体が柔らかな光を放っていた。部屋の中央には大きな円形の木のテーブルとそれを囲む八脚の椅子があった。

 数えきれないほどの年輪が細かく刻まれた樺色の木のテーブル上には、八角形をした黒い石のプレートとミカン箱ほどの真新しい木箱があった。

 プレートには薄く金色に光る様々な言語の文字で同じ意味の言葉が書かれていた。「叡智の前に言葉の壁は、一時姿を隠せ」と。


 テーブルの傍には、身長1.8mほどの黒猫?が後ろ足二本で立っていた。黒猫?は金色の首飾りを巻き、大きめの三角の耳と立派なひげをピンと伸ばしていた。

 黒猫?はゆっくりと左前足でシストラムを掲げ、右前足を前に伸ばして言った。

「求める者たちよ。夢に羽ばたき来たれ。叡智を持ち帰りて栄よ」

右前足の爪が何かをひっかけるように一瞬伸びてすぐに引っ込んだ。

 満足げな黒猫?は、ヒゲを右前足で数回なぜて、

「よーっし、これで完璧。あとはまかせた猫助」

と足元に向かって言うやいなや、全身を強く光らせると、その光に溶けるように消えていった。


「bꜣstjt様!『よーっし』ではありませんよ! 呪文を色々忘れておられますぅ! ああもういない……」

猫助と言う名前らしい身長80cmほどの二足歩行の三毛猫?は、おろおろと前足を振り回しながら焦った声を上げた。三毛猫?がいくら部屋をきょろきょろ見回しても、黒猫?は影も形もなかった。


 その代わりなのか、布を巻かれたり、おくるみに包まれたり、ジャンプスーツを着たりしたヒト族の赤ん坊七人が、一人ずつ椅子の上に置かれていた。

「まんまあー」

「うぎゃー」

「くんくん」

「……」

「ほぎゃー」

「みー」

「げっげっ」

当然大騒音であった。


「求める者って……、君らミルクが欲しいなら、お母さんに言いなさい。ここのものはすべて仮初めのものなのですから、お腹はふくらみませんよ」

三毛猫?は、そう言うと前足で「ぽふぽふ」と柏手を打った。その前足からたくさんの光の粒がこぼれ出て、赤ん坊たちの乗る椅子の周りをクルクル回り始めた。

 しばらくすると赤ん坊たちは皆いなくなり、三毛猫?だけが、二本の尻尾を垂れ、肩を落として、テーブルの傍に悄然と立ち尽くしていた。


「求める者たちが、選ばれてしまいましたよ。時代とか場所とか種族とか年齢とか呪文に入れなかったから、どこから選ばれたかも何時から選ばれたかもわかりませんが……。それにしても呪文に年齢を入れないと、年齢は昇順になるみたいですね。勉強になりました」


 いきなり三毛猫?は押し倒された。

「な、何事ですか!」

びっくりした三毛猫?が振り返ると、褐色の肌にくるくる巻き毛の黒髪で一歳ほどの幼児が三毛猫?の背中に抱き着いていた。

「ねーこしゅきゅしゃん」

「あー、あなたいつの間に椅子を降りていたんです。あなたもう歩けるのですね。はいはい、あなたもママのところへ帰りなさい」

「ぽふぽふ」という柏手とともに、一番年長だと思われる赤子も光の粒とともに消えていった。


「やっと静かになりましたね。全員赤ん坊だったのですから、真剣に何かを求めることもないでしょう。しばらくはここへは誰も来ないでしょう。当分暇になるでしょうねぇ」

三毛猫?は、テーブルの上に飛びあがり木箱に飛び込んで丸くなって満足そうに眠りについた。


 しかし三毛猫?は、考え違いをしていた。求める者たちの欲求は、ひっきりなしなのであった。しかも賢者の間は合議制であった。赤ん坊一人が現れると、残り七人がすぐに現れるのであった。

「うぎゃー」

「ぽふぽふ」

「まんまー」

「ぽふぽふ」

「……」

「ぽふぽふ」

「ねーこしゅきゅしゃん」

「ぽふぽふ」

「みーみー」

「ぽふぽふ」

「くーんくーん」

「ぽふぽふ」

「げっ、げっ」

「ぽふぽふ」

「だうだう」

「ぽふぽふ」……「ぽふぽふ」

「あー、終わらないぃ!」

ひっきりなしに現れる赤ん坊たちを現に送り返すために、今日も柏手を打ち続ける三毛猫?なのであった。

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