第15話 変わりたい
横川さんから取材の話を聞いてからすっかり混乱してしまって、よくない事だけど全く作業に集中できない。
編集作業中そわそわと時計ばかりが気になって、やっと休憩時間になったのを見計らい、すぐに鈴原さんの姿を捜しに行く。
しかしデスクに鈴原さんの姿はなかった。
「あ、あの! 鈴原さんってどこにっ……?」
「ん? あぁ、ちょうど今は会議中かな。会議室にいるんじゃない?」
「わかりました、ありがとうございますっ」
たまたま近くにいた部署の人に聞き、焦る気持ちが押さえられず会議室に向かって走った。
「鈴原さん!」
会議室に着くと、ちょうど部屋から鈴原さんが出てきたところだった。
「天宮くん? どうしたの、そんなに慌てて」
「はぁ……あ、あのっ……」
走って息は切れるわ、頭は回らないわで、なかなか言葉が出てこない。
「とにかく落ち着いて。ほら、深呼吸」
鈴原さんは子供に接するように俺をなだめる。言われた通りにゆっくり深呼吸をすると、ようやく気分が落ち着いた。
「……あの、ライアン・アダムス選手の、取材の事でお話が」
「あぁ、あれね。まさか本当にOKが出るなんて思わなかったよ。意外と言ってみるもんだよね」
「そ、それは、よかったんですけど、白瀬選手との対談が問題で……」
「向こうが出した条件だよね? どうして問題なの? 確か、昔から交流はあるはずだけど」
「それは……ですね」
どう伝えればいいんだ。いくら鈴原さんでも、那緒を裏切るような事はできないし。
「うーん……そうだ、天宮くん。これから一緒に飯行かない? ここで立ち話もなんだし、食べながらゆっくり話そうよ」
「……は、はい」
どうやって話せばいいのかわからなかったけれど、なんとか鈴原さんに事情をわかってもらいたい。
とりあえず今は鈴原さんの言う通りにした。
――――
鈴原さんおすすめの定食屋。
安くてボリュームがあってコスパがいいらしいけれど、今はそれどころじゃなくて、ご飯も喉を通る気がしない。
「うーん……つまり、ライアン選手と白瀬選手は、昔は仲が良かったけど、今は気まずい間柄ってこと?」
「まぁ、そんな感じで」
詳しく話せないから、ふんわりと二人の関係を鈴原さんに話した。鈴原さんもあんまり納得できない様子で味噌汁を啜っている。
「お願いします。なんとか条件を呑まずに、ライアンの単独取材にできないですか?」
迷惑だとわかっていたけれど、頭を下げて鈴原さんに頼み込んだ。
「こっちからの申し入れだし、正直難しいだろうね。出版社も断られるかもしれないリスク、わざわざ負わないだろうし」
難しい事はわかっていたけれど、鈴原さんの困惑した様子に、また頭が回らなくなって言葉に詰まる。
「天宮くんは、白瀬選手と仲がいいの? 確か、はじめて彼の取材に立ち会った時、すごく怒ってたよね?」
「あ、あの時は、十年ぶりに偶然会って……向こうは、俺の事忘れていたんです。でも今は、友達、だと思います」
友達……その言葉を口にすると、どうしてだろう、少しだけ胸がチクッと痛む。
「だからっ、あいつの傷つく姿、見たくなくって……すみません、無理を言ってるのはわかってるんですけど」
無理かもしれないけれど、何とかしたい。これ以上、あいつの心を傷つけたくない。
その思いで、もう一度鈴原さんに深く頭を下げた。
「……顔を上げてよ天宮くん。白瀬選手がキミにとって大事なのは、よくわかったから。とりあえず、出版社に今の状況を確認してみるよ」
「ありがとうございます!」
顔を上げると、鈴原さんが優しく微笑む。
まだ問題が解決したわけじゃないけれど、その表情に少しだけ肩の力が抜けた気がした。
――――8月末 アスリート専用ジム
「白瀬くん、そろそろ一回休憩しようか」
「はぁ……はいっ」
5月頃から本格的にトレーニングを再開して、もう3ヶ月が経つ。
転倒した時の負担の軽減と、バランス感覚を鍛えるため、まずは体幹と下半身の強化を中心としたメニューから始めた。
最初は体も鈍っていたから、ハードなトレーニングに息が切れる時もあったけれど、最近は少し調子が戻ってきた気がする。
「体、違和感ない?」
「はい、ちょっと調子戻ってきた感じがします」
「良かった! この感じで行けば、冬には復帰も出来そうだね」
「もちろん、そこを目指して調整してるんで。あ、俺ちょっと着替えてきます」
「うん、ゆっくり休憩してきて」
ロッカーで着替えを済ませてからスマホを見ると、珍しくメールが届いていた。
「あ、これ、確か前に取材があった……」
正直、インタビューやこういった雑誌の取材は得意じゃない。前回からそんなに経ってないのに、また取材? 違和感を感じつつも文面に目を通すと、ある一文に体は硬直した。
『今回は来日中のライアン・アダムス選手のご希望で、対談取材のご提案をさせていただきます』
ライアン……日本に来てるんだ
ライアンからの連絡は春に電話があったきりだった。
てっきりカナダにいると思っていたのに、どうして何の連絡も無しに対談取材なんか……
ライアンの顔を見ると、どうしても事故の事が頭によぎる。自分の下敷きになったライアンの姿が甦って、頭が真っ白になるんだ。
今もメールを見ただけで、動悸が激しくなって、息の仕方も忘れそうだ。
急に膝の力が抜けてしまい、情けなくその場にうずくまった。
「こんなの……無理だよ」
これがカメラの前でなんて……きっとまともに話しも出来ない。
ライアンのスノボ人生を奪っておいて、俺だけがのうのうとスノボを続けている。どうして、自分じゃなかったんだろう……
天才と言われた、ライアンの方が、スノボを続けるべきだったのに。
どうしてもこんな思いが渦巻いて、もう昔みたいに純粋に、スノボに向き合うことなんて出来ない。
『那緒、大丈夫だよ。すぐにまた、絶対スノボを好きになるから』
真っ暗になった頭の中に、あの時の煌太の言葉がよぎった。
「……煌太、本当に、そんな風になれるのかな? こんなに、情けなくて……臆病者なのに……」
煌太が俺の事を信じてくれるから、あいつの言葉に応えたいって気持ちが湧いてくる。
それでもまだ、怖い。ウジウジとしてる自分には心底嫌気がさしてるはずなのに、いつまで経っても前に進めない。
「俺、変わりたいよ……」
膝を抱えたまま呟くと、あいつの優しい声が頭の中に響いてくる。
『那緒、大丈夫だよ』
妄想の中でも、煌太は優しく微笑んでいた。
あいつに、煌太に会いたい……
まるで精神安定剤みたいに、煌太の事が無性に恋しくなった。
忘れてたはずなのに、いつの間にこんなに、大切な存在になっていたんだろう。
――――
「天宮くん」
仕事終わり、鈴原さんに難しい顔で声をかけられた。
「鈴原さん、お疲れさまです。どう、でしたか?」
難しい表情から、いい話ではないのは、なんとなくわかった。
「雑誌社に確認したら、もう白瀬選手に連絡済みらしい。まだ、返事はないみたいだけど……」
「……そうですか」
俺が、ライアンの取材を頼んだせいだ。
せめて、取材を断ってくれれば。いや、この話を知っただけで、きっと那緒は、苦しい思いをしてるんじゃないのか。
どうすればいいかわからず、ぐるぐると悪い方へばかり考えてしまう。
「とりあえず、今は彼からの返事を待つしかないね。彼が断れば、おそらく取材も無くなるだろうけど」
「はい……」
鈴原さんと別れて、暗い気持ちのまま会社を出た。
あいつは、断ることすら、怖いんじゃないか……
どう話せばいいのかわからないけれど、那緒と話をしないと。
しばらくスマホを見つめて、深く深呼吸をする。
「はぁ……よし!」
気持ちを切り替えて、那緒に電話をかけようとした瞬間、タイミングよく那緒からのチャットが届いた。
タイミングの良さに驚きながら、恐る恐る画面を開く。
『今から、会えるか?』
チャットはその一言だけだった。
けれど今は、それだけで十分、あいつの気持ちがわかる。
俺はすぐに返事をして、いつもの公園で待ち合わせることにした。
――――
俺の方が先に着いて、いつものベンチに座って、那緒の事を待つ。
この公園、あいつと再開した時に初めて来たけれど、それからは何度もこのベンチで、いろんな話をした。
那緒が泣いたり、くだらない話で笑ったり。
ここに座っていると、お前のいろんな顔が浮かんでくるよ。
「那緒……」
胸が苦しくなって、ぼんやりとあいつの名前を口にしていた。
「呼んだ?」
「わぁっ! え、いつからいたの!?」
急に那緒がひょっこりと現れて、動揺と恥ずかしさで顔が熱くなる。
「今来たとこだよ。ふ、なに慌ててんの?」
那緒はフッと呆れたように笑って隣に座った。
良かった、笑ってる。
どんな暗い顔をしてるか心配だったけれど、少しの笑顔が見れてホッとした。
でも、隣でぼんやりと夜空を見上げる那緒の横顔は、儚げで、やっぱり元気がないように思えた。
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