崩壊の導~闇に選ばれた俺が終焉世界を断ち切るまで~

朧月アーク

第1章 導き

第1話 天帝と闇

 天帝あまかど よい。今年で十六歳になる。


 俺には――神から授かるとされる『しるべ』を使いこなす才能が、驚くほど無かった。自分でも情けなくなるくらい、何度挑戦しても、何度練習しても、うまくいかない。毎日の稽古で汗を流し、夜通し祈りを捧げても、結果はいつも同じ。しるべの気配すら感じられない。


 周囲の視線は痛くなかった。皆優しくて暖かい。期待されることもなく、見下されることもなかったが、それが逆に悔しかった。誰も俺を特別扱いしない。それが、俺の無力さを強調しているようで、心がざわつく。


 毎日神社に足を運んでは神に祈った。「どうか……俺にも力を」と。信じることしかできなかった。信じるしか、俺には残されていなかった。古い木造りの神社は、いつも静かで、蝋燭ろうそくの灯りが優しく揺れている。そこが俺の唯一の安らぎの場所だった。


 誰かに守られ続ける人生なんて、絶対に嫌だった。誰かの背中に隠れて、震えながら助けを待つような生き方なんて――俺の理想とは程遠い。俺は自分の足で立ち、風を感じ、太陽の下を歩きたい。誰かの影に隠れるのではなく、光を浴びて前へ進みたい。


 俺は、俺の力で立ちたい。自分の意志で選び、進み、戦いたい。誰かの盾じゃなく、誰かの荷物でもなく――ちゃんと、俺という存在をこの世界に刻みたかった。たとえそれが、どれだけ険しい道であっても。


 そのためには、どんなに才能が無くても、どれだけ遅れていようとも、足を止めるわけにはいかなかった。諦めたら、そこで終わりだ。俺はまだ、諦めきれなかった。


 でもそんな必死な思いも虚しく、俺は結局力を授かられることはなかった。神社の祭壇前で膝をつき、祈りを繰り返す日々が続く。外の風が窓を叩く音が、俺の孤独を強調するようだった。


「なんでだよ……」


 ぽつりとこぼれた声は、自分でも驚くほどかすれていた。どうして俺には、神様が振り向いてくれないんだ。あんなに祈ったのに。誰よりも願っていたのに。俺の声は、神社の天井に吸い込まれ、消えていく。


 俺が悪いのか? 俺が……弱いから? 努力が足りなかった? それとも、生まれつき価値がないから? そんな疑問ばかりが、頭の中で渦を巻く。答えはどこにもない。誰も教えてくれない。神様でさえ、黙ったままだ。


 俺の声は、まるで空虚に吸い込まれていくようだった。どれだけ叫んでも、どれだけ泣いても誰にも届かない。誰も、俺に手を差し伸べてはくれない。神社の空気は冷たく、俺の心をさらに凍えさせる。


 胸の奥に、黒い何かがじわじわと広がっていくのを感じた。希望が冷たく、静かに消えていくようだった。俺の心に闇が覆い掛かっていく。影が長く伸び、俺を飲み込もうとする。


 ――その瞬間。


 目の前に、突然、見覚えのない男が現れた。


 あまりにも突然すぎて、息を呑む。誰だ――と、問いかける暇もない。そこに立っていたのは、まるで神の化身のような、美しい男だった。神社の蝋燭ろうそくの光が、彼の姿を幻想的に照らす。


 紫と黒が織り交ざったメッシュの髪が、静かに揺れるたびにつややかな光を帯び、まるで夜空と黎明れいめいあわせ持ったような神秘的な輝きを放っている。服装は古風で、黒いローブのようなものが体を覆い、威厳を漂わせている。


 ただ立っているだけなのに、周囲の空気が一変したように感じた。重く、厳かで、それでいてどこか懐かしいような――不思議な感覚。神社の静けさが、さらに深みを増す。


「え……?」


 思わず声が漏れる。何が起こっているのか、理解が追いつかない。さっきまで一人きりだったはずなのに――俺の目の前に、確かに何かがいる。心臓の鼓動が速くなる。


 すると、男が口を開いた。


なんじは何故、そうも嘆くのだ」


 その言葉は、深く静かに、俺の心の奥底へと染み渡っていくようだった。誰も届かなかったはずの場所に、初めて誰かの声が届いた気がした。声は低く、響き渡る。


 その男は、まっすぐに俺の目を見つめたまま、静かに問いかけてきた。不思議なほど落ち着いた声音だったけれど、その言葉には妙な力があった。心の奥を優しく、けれど確実に抉るようなそんな響きだった。


 そして俺は、反射的に口を開いていた。理性よりも先に、胸の内側から感情がこぼれ出た。言葉が止まらない。


「俺だって……!」


 声が震える。けれど、止められなかった。溜め込んでいたすべてが、あふれ出す。


「俺だって、神様からの寵愛が欲しいんだ! 力が……力が欲しいんだよ! 誰かに守られてばかりの人生なんて、もう嫌なんだ! 俺は――俺は、自分の手で、誰かを守れるようになりたいんだ!」


 その言葉は、ずっと心の奥に閉じ込めていたものだった。情けなくて、恥ずかしくて、誰にも言えなかった本音。それが今、見ず知らずの男の前で、すべて溢れ出してしまった。神社の壁に、声が反響する。


 けれど、彼は何も否定しなかった。驚きも、呆れもせず、ただ静かに俺を見つめていた。そして、すっと俺の方へ近づいてきた。距離は一歩、また一歩と縮まり――気がつけば、彼の顔が目の前にあった。息遣いが感じられるほど近く。


 そのまま、彼は俺の耳元に口を寄せ、低くささやく。


なんじに――我の力を与えてやろう」


 その言葉が耳に届いた瞬間、時が止まったような気がした。世界が静まり返る。


「……え?」


 理解が追いつかない。何を言っているんだ?けれど、次の瞬間俺の体を激痛が貫いた。胸から全身へ、電流のような痛みが広がる。


「ぐっ……あ、あああああっ!」


 胸の奥から、焼けつくような熱が走る。骨がきしむ。血が沸騰するような感覚に、思わず膝から崩れ落ちた。地面が冷たく、俺を支える。


「な……なんだ、これ……っ!? 体の中が……燃えてる……!」


 痛みに叫びながら、地面に倒れ込む。視界が歪み、意識が引き裂かれそうになる中――彼は、冷ややかに俺を見下ろしていた。表情は変わらず、静かだ。


 その姿は、美しさをまといながらも、どこか人ならざる威厳と恐ろしさをただよわせていた。蝋燭ろうそくの光が、彼の影を長く伸ばす。


なんじのその強き願いに免じて、我が力を授けよう」


 その声は静かだったが、確かに響いた。魂の奥底に直接語りかけてくるような、不思議な声。言葉が俺の体に染み込む。


ただし――」


 彼の表情がわずかに険しくなる。声に重みが加わる。


「我の力を真に解き放てるのは、辺りが闇に染まった時のみ。それ以外の時は、己の力で我を引き出してみせよ」


 言葉の意味が、すぐには理解できなかった。けれど、その不吉さと同時に――確かに何かが、俺の中に流れ込んできているのを感じた。熱く、重く、そして底知れぬ力。体が震え、力が満ちる。


 それは、祈り続けて、ようやく手にした答えだった。俺の願いが、ようやく届いた瞬間。


 彼はそう言い残すと、ふっと俺の目の前から姿を消した。まるで幻だったかのように、跡形もなく。神社に、再び静けさが戻る。


 次の瞬間――意識が、ぷつんと途切れた。闇が俺を包む。


 ***


「――う……ん……」


 微かなうめき声と共に、俺はゆっくりと目を開けた。重たいまぶたを押し上げると、見慣れた天井が視界に入る。神社の天井だ。


 辺りを見渡すと、そこは神社だった。さっきまで祈りを捧げていた、あの祭壇の前――まさしく、いつも通りの静けさが広がっている。蝋燭ろうそくの灯りが、優しく揺れている。


「……あれ……?なんで……俺、こんな所で倒れて……?」


 思わず口をついて出たその言葉に、自分でも答えられない。確かにさっきまで、あの男がいて……力を与えるとか、痛みとか、何か――確かに、あったはずなのに。夢……だったのか? 頭がぼんやりする。


必死に思い出そうとしても、痛みと声の断片しか浮かんでこない。確かに何かがあったはずなのに、霧がかかったように曖昧で――まるで意図的に思い出せないようにされているかのようだった。イライラが募る。


 けれど、胸の奥にはまだ、熱の残り火のような感覚がうっすらと燻っていた。あれが幻だったとは、とても思えない。何かが、確かに俺の中で始まってしまった――そんな気がしてならなかった。体が少し熱い。


「……わからない。けど、何か……変わった気がする」


 胸の奥にはまだ、微かに残る熱の名残。それだけが、あれが現実だったという証のように思えた。俺はゆっくり立ち上がり、教会の扉を開ける。外の空気が冷たく、俺を現実に引き戻す。


 混乱と違和感を抱えながら、俺はそのまま神社を後にし、自宅へと帰った。道中、風が髪を揺らし、心のざわめきを増幅させる。


 この出来事が、俺とあの方との最初の出会いだったことを、この時の俺はまだ深く知らない――。未来への扉が、静かに開き始めた。


 * * *


 ――時を同じくして。


 上空、雲一つない夜空のさらに向こう。ひとりの男が静かに下界を眺めていた。星々が輝く中、彼の姿は闇に溶け込みそう。


 その男こそ、先程よいに力を授けた者――人ではない、何か強大な存在だった。神々しいオーラをまとい、静かに浮かぶ。


 彼は鋭い瞳で地上を見つめながら、口元に薄く笑みを浮かべる。紫と黒の髪が、夜風に軽く揺れる。


「あのうつわなら……きっと我の期待に応えてくれることだろう」


 その声には確信と、どこか愉悦ゆえつが混じっていた。まるで、遊びがようやく始まったかのように。瞳が輝く。


「さぁ……これから我を、存分に楽しませてくれよ」


 その言葉を最後に、男の姿は夜の闇に溶け込むようにして、静かに消えていった。星空が、再び静かに輝き始める。

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