第7話

 片づけもひと段落し、俺たちは床に腰を下ろして休憩していた。

 窓の外は夕焼けに染まり、部屋の中にも柔らかなオレンジ色の光が差し込んでいる。

 


「湊さんって、今はお仕事お休み中なんですよね?」


 ふいに楓さんが問いかけてくる。

 何気ない口調だったが、その質問に少しだけ胸がざらつくのを感じた。


「……まあ、そんなところですね」


「いつまでお休みなんですか?」


「うーん……」


 俺は考える素振りをする。

 期限なんて決めていないし、そもそも復帰したところで自分の立場があるのかも分からない。


 ただいきなりそんな事を言って彼女に気を使わせるのは気が引ける。


「丁度少し前に大きなプロジェクトが終わりまして」


「はいはい」


「そして上司に呼ばれたんですよ」


「呼ばれた?」


「はい、そしてこう言われました

 ”有給使え”と」


「はい?」


「いや……ふと自分の有給消化率を確認したら年に必ず使わないといけない日数を下回っておりまして。

 それでプロジェクトが成功したので少し長めの有給を半ば強制的に取らされました」


「そんなことあるんですね……」


「えぇ」


 実際、有給をあまりどころか殆ど消化していなかったのは事実だ。ただブラックだったからではなく仕事が生きがいだったのもあって有給を使うという考えがなかったのである。

 ただ今回は有給ではなく半ば休職扱いなのだが。


「なので1ヶ月は確実に休みがあります」


「そうですか……分かりました」


 楓さんはそれ以上は突っ込まず、小さく頷いた。

 でも、どこか納得していないような、それでいて無理に聞こうともしないような表情をしている。そんな彼女の態度に助かる俺。


「まあ、せっかくの休みですし、しばらくはゆっくりしようかなって思ってます」


 と言っても祖母の家の片づけぐらいしか予定をしておらず、本来は数日で離れる予定だ。


「うん。それも大事ですよ。」


 彼女は微笑みながらそう言ってくれた。本当は誤魔化しているだけなのに、妙にその言葉が心に引っかかる。


「湊さんって、普段から忙しそうな感じがしますし」


「……そんなふうに見えます?」


「はい。なんとなく、ですけど。」


 彼女は軽く首をかしげながら言う。


「……」


 図星だった。


 都会にいた頃の俺は、常に何かに追われていた。仕事でも、それ以外のことでも、気を抜くこと出来ず、いつも何かを考え、動き続けていた。

 

「ここに来て、ちょっとはのんびりできてます?」


「そうですね……まあ、多少は。」


 多少どころか、気づけば時計を気にすることも減っていた。何時までに仕事を終わらせなければとか、次の打ち合わせまでの時間を逆算しなければとか、そういう計算をすることがなくなった。


 都会にいた頃なら、こんなふうに意味もなくぼんやり夕暮れを眺めるなんて考えもしなかっただろう。


「なら、もう少しここでゆっくりしててもいいんじゃないですか?」


 と穏やかに言う橘さん。

 

「……そうかもしれませんね。」


 そんな彼女の言葉に俺は小さく頷いた。


 ここに来てから、自分の気持ちに向き合う時間が増えた気がする。

 

 まだ答えは出せない。


 だけど――今は、この時間をもう少しだけ大切にしたいと思った。

 


 しばらく沈黙が続いたあと、ふと楓さんが口を開く。

 

 「そういえば、湊さんって夜ご飯どうするんですか?」


 「あ……」


 言われて初めて、まともに考えていなかったことに気づく。一応、祖母の家には多少の食材があったはずだけど、料理らしい料理をする気力が湧くかと言われると微妙だった。そもそも小食な方なので一食ぐらい抜いても大丈夫だろう。


「適当に家にあるもので済ませようかなって思ってましたけど……」


「……それ、本当に食べる気あります?」


 楓さんがジト目で俺を見てくる。どうやら俺は信頼されていないらしい。まぁ人を信じていない俺が言うのもなんだかだが酷い物である。


「……」


 気まずくなり目を逸らす。


「はぁ……やっぱり」


 彼女はくすっと笑いながら立ち上がった。


「よかったら、うちで食べていきませんか?」


「え?」


「今から帰って準備するんですけど、せっかくなら一緒にどうかなって。」


「いや、でも悪いですよ……」


 朝もらったのに夜までもらってしまってはとても申し訳ない。


「そんなに大したものは作らないし、それに――」


 少しだけ考えるような素振りを見せてから、楓さんが続ける。


「湊さん、たぶん一人で食べるより、誰かと食べたほうがいいと思うから。」


「……」


 その言葉に、一瞬返事ができなくなる。


”一人で食べるより、誰かと食べたほうがいい。”


ただの食事なのに、それがやけに心に響いた。


「……じゃあ、お言葉に甘えて」


「はい、決まりですね。」


 橘さんは満足そうに微笑むと、「じゃあ準備してきますね」と言って玄関へ向かった。

 俺はその後ろ姿をぼんやりと見送りながら、なんとなく温かい気持ちになっている自分に気づいた。


 「あの人ってお人好しだよなぁ……それに甘える俺もなんだかな……」


 そうは言っても心が温かくなるのを感じられずにはいられなかった。

 

 この町に戻ってきてまだ数日だが、少しづつーーほんの少しづつだが前に進めているような気がした。

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